『RRR』感想~イングロリアスバスターズ×コマンド―×ゴールデンカムイ??

※とりあえず観た直後の感想をわーっと備忘録的に書き殴っています。いろいろ読んで裏取って後でまとめます。

いやー盛りだくさんで面白かった。

インド神話の語り直し、現代版リブートという作品だそうだが、確かにいわゆる王道ヒーローズジャーニーのストレートな構造を持ちながら、貴種流離譚を「潜入捜査/成りすまし誤解もの」に置き換えるアイディアが面白い。
「レジスタンスに匿われながら総督の命を狙う凄腕の殺し屋と、その姿かたちも知らないままレジスタンスに潜入して殺し屋を探す捜査官」が、ひょんなことから意気投合して互いの素性を知らないまま親友になるという展開は愉快だし、正体を明かすシーンの描き方も「それを知ったとて相手にはどうにもできないタイミング」なのが上手い。作中に2回ある大カタストロフの決戦シーンはド派手かつ痛快でアクションの魅せ方にアイディアも多い。虐殺を愉快なエンターテイメントとして見せることになんの葛藤もない感じ、「あの頃のシュワルツェネッガー系アッパー映画」の匂いがする。アクション・殺陣の撮り方は、スローモーションやバレットタイムっぽい構図を多用するガイ・リッチー以降感のある絵作りながら本質は『コマンドー』や2以降の『ランボー』。「人質の幼女がどこにいるか分からないうちからドンパチ始めちゃう」中盤の下りは本当にコマンドーオマージュかもしれない。

インターミッションの入り方も、「あっ、ここで彼の物語はこんな形で終わって、その真意を相手は知らず憎まれたままなんだ……粋だけど切ない締め方だな」と思った2時間経過時点で区切り、そこから「そんな終わり方イヤでしょう!?さあこっからは全部の誤解がとけて最強コンビが復活し、気に食わないやつをフルボッコにしていく30分ですよ!!!!!」と公式が二次創作みたいなことを始める……他作で言うと『シン・ゴジラ』や『イングロリアス・バスターズ』、あるいは『天気の子』のような枠の外し方をしてカタルシスを高めてくれるホスピタリティの高い作劇。一応史実を扱いながら、「歴史に忠実な必要あります?ヤな奴はボコられた方が嬉しいでしょ?」とシフトする意味で、イングロに非常に近いところにある映画な気がする。
あと単純に、ひげもじゃで筋肉ムキムキのおじさんがいっぱい出てきて、抑圧されているマイノリティが軍と戦ってボッコボコにしていく構図が『ゴールデンカムイ』とほぼ同じ、という指摘は笑った。

長い回想シーンでメイン人物たちの苦しみと身内の死を執拗に描き、敵へのヘイトを高めた上で最後の決戦のカタルシスに持ち込む手口はほぼワンピース。バーフバリもそうだったし、ワンピもラーマーヤナとかを下敷きにしているらしいからそもそもインド神話の文法なのかもしれない。
キャラクター同士の絆が強化されたり、窮地を打開するシーンで必ず「細長くてしなやかなもの」(ロープ、鎖、誓いの紐、毒蛇……)がキーアイテムになるのは、インドの蛇神信仰に由来するシンボルなのだろうか?

ともかく3時間という長さを、「これこれ」系王道娯楽大作としてさばき切っており、その意味では正直、後半に中だるみを感じた『バーフバリ』二部作よりもストーリーの精度は上な気がする。収容所に潜入するまでの手続きのいい加減さとか手配書をなんで見ていないのかの理由付けのなさとか、それこそ「神話的」ご都合主義、いい加減なところも少なくはないんだけど。
国際市場を考えたらここまでまっすぐにナショナリズム的かつ好戦的な映画には出来なかっただろうから、「自国内だけで『製作費100億円、興行収入200億円』(インド都心部の物価は日本の1/3程度と言われているので、感覚的には300億かけて600億稼いでるインパクト)みたいなどんぶり勘定が可能な人口ボーナス&経済成長期の賜物」なのでしょうね。
逆に言えばあの時期にロシアを空爆する映画を軍と一緒にヘラヘラ撮って全世界公開してた『トップガン・マーヴェリック』チームはマジで頭おかしい。

「インド人を差別しないで歌とダンスを楽しんでくれるイギリス人女性たち」というモチーフが、「白人男性からの被差別者の連帯」みたいな感じに見立てちゃうとこに、「人種差別と男女差別を同列にして大丈夫?」みたいな危ういざっくばらんさを感じたりとか、決して全面的に「正しい」作品とは思わないけど、別にそうである必要のない市場に向けた映画なんだからそれで良いだろという話。この映画をポストコロニアル~みたいな視点で政治的に語りたい人は気をつけた方が良いと思うけど。
ただ、ジェニーさんっていう味方してくれるイギリス人女性の描き方は良かったなぁ……優しい人なんだけど、彼女の現地人への優しさが本当に「人対人の優しさ」かって言うと怪しい。ビームさんが何度も「英語喋れないんです」って伝えても、ずーっと当然のように英語で喋り続けちゃうんですよ。会話する気がない。彼女が現地人を「可哀想」と思うのは、所詮、飢えた犬猫を憐れむのと同じ次元の話で、芯の芯のところで結局理解者たり得ないんだよっていうシビアな描き方なんですよね。だからクライマックスでのびのびとイギリス人を皆殺しにできる。

この感じの映画が日本でエキゾチックかつキッチュなものとしてバズるの、多分だけどアメリカンニューシネマ的な内省的で暗い潮流がうんざりされ始めて、また派手バカ映画に揺り戻される過渡期の70年代アメリカで黒澤明が「なんか強いサムライが派手なアクションやって血がいっぱい出て嬉しい!」って悪いオタクに喜ばれたのと、たぶん同質なんだろうな。
ポリコレ的なるものへの忌避感、「正しくないと怒られる」感へのうんざりと「アッパー系バカアクション映画」を褒めてそこには与しないと宣言するカタルシスね。まー反知性主義なんだけども。
ただ、「インドの人たちの、自分たちは西側諸国の被征服民であったというトラウマと恨みは当然ですが今だってこんくらい苛烈ですよ」ってことに対して、現在とりあえず西側に属してて、かつどこかの国に占領されてひどい目に遭ったという民族史は持っていない国(琉球や蝦夷は「日本に占領された」なわけで)の人間からまっすぐに語れることはあまりないし、その憎悪の熱に改めてビビッておいた方が良いという説はある。

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