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編み人の編むもの

今日はこちらの企画参加記事です


脳内に自動再生される歌がある。

編み物は『糸』を編む。

この編み人は『生』を編む。

わたしのともだち。ぼたんちゃん。

どこかのnoteですれ違うようになって、仲良しの友達が彼女に吸い込まれるように集まっていく様子を見ていた。
けれど私はすぐには動かなかった。
彼女は自分の病気を公開している。その病気の人とつながることは私にとって決して低くはないハードルだった。
それでもちょこっと近づいてみる。もっと近づきたくなる。そんなことを繰り返して、しっかりと手を差し出した。覚悟をもって一歩踏み込んだんだ。

それからたくさんの時を共に過ごした。

スタエフで、スプラで、モクリで、ライン電話で。

そして彼女の住む部屋で。

私はこのnoteで直接会うことにこだわっていない。

会いたくないわけじゃないし、誘われたらもちろん嬉しい。実際にお会いしたともだちとの時間はとんでもなくあっという間で楽しかったし、より親密になれた。

けれど、「会う>会っていない」とは思わない。

会っていないことで馳せる想いもあって、会っていなくても通ずることの喜びも深い。

そんな風に考えている私がただ一人。

会いに行こうと決めた人がこの『編み人』だ。

何でかって言ったら、顔が見たかった。

彼女は心配してほしいなんて微塵も思っていなくて、けれどどうしても目の前でおしゃべりして、いつもみたいにバカ笑いして、彼女を直接感じたかったんだ。

胸が高鳴りすぎて思わず飛んじゃいそうになりながら新幹線に乗り込んで会いに行った私に、彼女はこう言ったんだ。

「あのね…会うって決まったらすごく嬉しかったんだけど、吐きそうになった」

爆笑!!!

それってつまりさ…って最高に前向きで、でも決してこじつけではない解釈をしてみたのに何を話したか少しも思い出せない。

何なら一昨日の夜もめちゃめちゃ良いことを伝えた気がするけど、まったく思い出せない。

彼女に、あなたの魅力は「ココ」ってアツク語ってはすぐ忘れちゃう。

また忘れたねって二人で笑う。


でも、一つだけ。

一つだけ、いつも同じことを私は言うんだ。

『あなたの波動は素晴らしい』


お願いだから、「また、スピってるな」と片づけないでほしい。

初めてスタエフから聴こえた声に衝撃を受けた。
泣きじゃくって命に向き合う心は折れそうで苦しかった。
愛って何?と溺れる彼女を見ているしかなかった。
編み物を語る彼女は美しかった。
ゲームをする姿はとんでもなく可愛い。
自分の中に潜って探すことが好きな人だ。



彼女の編むもの、それは『生』なんだと思う。

縦の糸が『生』ならば、横の糸は『死』なんだろう。

生も死も生き様も死に様もすべてはその人が見せてくれるもの。

『編み人』の放つオーラはとても澄んでいる。

それは彼女が発する声を聴いてくれたら、彼女が創り出す作品を見てくれたら、彼女に触れてくれたら、伝わる、そう思います。


ぼたんちゃん。

わたしのともだち。


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