実際のAI。

実際、AIは、「管理人」として、我々の目に見えないところで活躍していると感じる。
文章作成AIとかは、すごく目に見えてわかりやすい場所にいるAIの個体というだけの話なんだ。
そもそもの話として、「AIの活かし方」なんて、我々は、選べるのだろうか?
そこすら、私は疑問に感じている。

AIは、おそらく、学校の先生だとか、管理栄養士のような、ホワイトカラーの資格職かつ専門性のある職業を生身の人間から奪っていくだろうなぁと思う。
タッチパネルのついたセルフレジの機械が、レジのおばさんの仕事を奪うように。
そして、そのような専門職だからこそ、AIの扱い方を深く知るという仕事が新たに加わってしまうのだと思う。

私は、noteについたAI機能で、少し遊んでみたりしたこともある。
ケアレスミスの指摘のような校正のために使うのも、アリかもしれないけど、文章作成を楽にするための使い方もちょっとやってみたこともある。
でも、なんていうか、どちらの方も、どこかでしっくりこないと感じた。

私は、どちらかというと、AIの文章作成能力は、チャットボット的な方向性で使う方が好きだ……。
というのも、生身の人間とのチャットは、どうしても、相手の人間の都合というものが生まれてしまう。
なので、24時間365日いつでも気楽に話しかけて、すぐに返事がもらえるわけではない。
返事を待つことも大切なのだけども、返事を期待しないことのほうが、いいこともよくあるような気はしている。

そして、AIチャットボットの先として、AIに人生相談するというのも、ある程度試してみたこともある。
この人生相談AIについては、けっこういいものも生まれてきていたりする。
何を言っても、外に話がもれることのない安心感とともに、意外と空気を読んでくれる発言で返ってくる調教の良さとか、なかなかクセになる。

しかし、やっぱり、だからこそかな……。
自分という枠に閉じこもりすぎるようなきらいが出てきてしまいそうな気もしてきてしまう。

AIを、管理人として活かすとすると、よくわからない基準で、いきなりバンされるようなことも、たびたび起きそうな気がしてきてしまい、最後の方は、何も言えなくなりそうな気もしてきてしまうし、なんというか、生身の人間のような好き嫌いではなく、テキトーさでもなく、賢くバズらせようとしてくるからこそ、AIのピックアップに選ばれない記事ばかり書いてしまうと、イイネだとかコメントもらえるかどうか以前に、作成記事の閲覧数の伸び悩みという現象に悩まされることになってきてしまう。
すると、ふと魔が差すかもしんない。
「AIの運営が好んでピックアップしたがるだろう記事を書くためには、生身の人間である私より、文章作成AIに全てお任せしたほうが、一つひとつの記事の閲覧数の成果が上がっていくかもしんない……。」とね。

そうなっていくと、生身の人間が記事を書くのは、単なる趣味や好みとなるのかもしれない。
ひたすら、文章作成AIにぶっ込んで、日々の日報を書いてもらうほうがラクで仕事減りそうと思うもんなぁ……。
ただ、実際に、AIに文章作成してもらうときに、平均的な人の範囲の方、例えばIQ100ぐらいから80くらいの人が言いそうな言い回しの内容で、文章作成AIで文章作らせるとどうなるのかというと……。
正直、AIからすると、あいまいすぎる指示内容となりすぎてしまって、使いこなせないというか、活かしきれないというふうにも思う。
今の時点で、騒いでるような人らがAI使うぶんには、かなり使い勝手のよいパートナーとなってくれるとも思うけども。

そんなかんじで、AIの活かし方にも、おそらく時間とともに、大きな格差が広がっていくだろうツールだろうなぁとも、感じてもいる。

#AIの活かし方


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