見出し画像

「起業のエクイティ・ファイナンス」から考える、インセンティブの本質

スタートアップの経営者やCFOのバイブル、磯崎哲也さんの「起業のエクイティ・ファイナンス」の増補改訂版がこの7月に出版されました。この本の初版の出版は2014年でしたので、8年ぶりの改訂となります。磯崎さんはベンチャーキャピタリストとしても有名で、私がCFOを務めるnote株式会社に出資いただいている株主でもあります。

この本は、エクイティ・ファイナンスに関わる様々な論点が書かれており大変勉強になる本ですので、テクニカルな内容については本書をぜひご覧いただければと思います。このnoteでは、本書のサブタイトルにもなっている"スタートアップを成長させる「インセンティブ」の設計図"という点について本文を引用しつつ、私の考えも交えながら紹介したいと思います。

エクイティ・ファイナンスの本質は、「インセンティブ設計」

本書は、初版の内容を発展・アップデートさせつつ、初版にはなかった要素として全体を「インセンティブ設計としてのエクイティ・ファイナンス」という観点からまとめている点に特徴があります。磯崎さんは本の中で、スタートアップのエクイティについて、"ビジネスで生み出された価値を関係者間でどのようにわける(シェアする)か、という「インセンティブ設計」の話"というスタンスをとっています。

スタートアップは世の中に新しい価値を提供して売上を上げ、企業価値を上げていきますが、その成長の対価は投資家はもちろんのこと、起業家や社員の間でもストックオプションなどエクイティの形で分け合うことができます。これを経済的なインセンティブとして、優秀な人をスタートアップのエコシステムに呼び込む、これがスタートアップにおけるエクイティ・ファイナンスの本質だという意味です。大企業でも理屈は同じですが、スタートアップは成長性が高くエクイティのインセンティブとしての機能が強くなる点が大企業との違いとなります。

ともすれば専門的でCFOしか関係なさそうなエクイティ・ファイナンスの話を、「インセンティブ」という形で捉え直して、スタートアップの成長の観点からの意味合い・重要性を説いている点が、本書が専門書にとどまらない、起業家やスタートアップにとってのバイブルとされている理由だと思います。

スタートアップと個人のインセンティブの「アライン」

磯崎さんは、失われた30年で日本企業と世界の差がついた理由として、"「企業価値の向上に連動するインセンティブが与えられていたかどうか」の差が大きかった"と指摘しています。

アメリカに留学していた私個人の経験を踏まえても、GAFAをはじめとしたアメリカ企業はインセンティブ設計が非常に上手いと感じます。ストックオプションをはじめとするインセンティブの仕組みもほとんどアメリカ発ですし、大企業の経営者の報酬も業績連動型の株式報酬など、インセンティブ付けが上手くなされています。もっというと、アメリカという国全般が頑張って成功した人が正しく報われるようなインセンティブ付けを意識しているように感じます。

私がスタンフォード大学のビジネススクールに留学していた時、「アライン(Align)」という言葉がよく授業で出てきました。「揃える」「目線を合わせる」などの意味で、組織と個人の目標をアラインすることが重要、などの文脈で繰り返し出てくるのですが、まさに企業とそこで働く個人のインセンティブ構造をエクイティ・ファイナンスによってアラインしていることが、アメリカで有力なスタートアップがどんどん生まれて成長する要因の一つかと思います。

インセンティブ構造の日米格差

そもそも、アメリカ人がイノベーションが好きで前向きだから、アメリカ企業が成長しているわけではありません。日本人もアメリカ人も、個人のインセンティブに忠実な行動をしているだけです。

スタンフォードMBAの先輩で産業再生機構、経営共創基盤などで有名な冨山和彦さんは、長年企業再生の現場に従事されていた経験から、人間はインセンティブと性格の奴隷である、とよくおっしゃっています。奴隷というとネガティブな表現ですが、個々人のインセンティブ構造を理解し、その人間集団を正しく動機づけることが経営者の役割である、ということです。

この観点でみると、伝統的な日本企業は、企業と個人の間で必ずしもインセンティブが上手くアラインされていないように感じます。

磯崎さんの「起業のエクイティ・ファイナンス」の中でも書かれていますが、日本企業では自分より優秀な人が外から入ってくると自分が用済みになってしまうため、優秀な人を採用しにくいインセンティブ構造になっています。伝統的な日本企業は成果に対して金銭的な報酬で報いる機能がアメリカよりも弱いため、インセンティブがお金に向きにくい構造になっています。インセンティブがお金じゃない、というと聞こえがいいのですが、その代わりのインセンティブが「出世」など別の方向に向くことになるので、出世のためにリスクを取らない、企業価値の向上よりも個人の出世が優先されることになり、会社が成長しなくなってしまいます。

日本の大企業をはじめとする伝統的な組織では、働いている人は優秀で志を持った方も多いと思う反面、個人のインセンティブとして出世が優先されがちな組織構造になっており、熾烈な社内政治がある会社も多いのではないでしょうか。その結果、リスクをとって将来の企業価値を10倍に上げることよりも、リスクを取らず現状維持をすることが出世に有利であれば、後者を選ぶのが個人の判断として正しい行動になってしまいます。磯崎さんの本では、"「確率」的な考え方 vs. 「期待値」的な考え方" という概念が対比されており、企業価値を押し上げるのは確率が低くてもリターンが10倍になる、「期待値」的な考え方であると書かれていますが、日本企業では成功確率が高いか低いかという「確率」的な考え方になってしまいます。これは組織的なインセンティブ構造の問題なので、個人の資質の問題ではありません。

また、大企業だけでなく、スタートアップあるあるですが、事業の0→1、1→10、10→100など様々なフェーズが短期間で訪れるため、創業期にすごくパフォーマンスが高かった人が、会社がレイターステージになった時には以前ほどの活躍が見られなくなるという話もよく聞きます。人にはそれぞれ得手不得手があるので、会社の様々な成長ステージで常にハイパフォーマンスを出すというのはそもそも難しいことだと思います。

本書で書かれているとおり、アメリカは、「自分は退いても組織のためになることを考えることで、その人自身にも大きな経済的メリットが出る」というエクイティ・ファイナンスの仕組みが上手く機能しており、それがGAFAをはじめとして次々と出てくる巨大なスタートアップの成長の源泉になっているのではないかと思います。

日本のスタートアップでも、会社のステージが変わった時に、ある仕事を自分より向いている他の人に託し、自らはそれまでの事業成長に対するエクイティ・ファイナンス面での対価を受け取って退く(あるいは別の役割に従事する)というようなことがアメリカのように一般的になれば、その経験や資産はまた他の会社やスタートアップエコシステムで活かすことができるので、社会全体としてもいいはずです。

日本でも、SmartHRのように、組織規模の成長に伴って創業者でない別の方に社長を託すという事例も出てきていますが、これはもちろん創業者として会社にオーナーシップを持っているからこそ、会社の成長を第一に考えてできたことでもあると思います(それでも、創業者として社長を他の人に譲るというのは、大変な意思決定だと思います)。

社会とスタートアップのインセンティブの「アライン」

ビジネス以外でもインセンティブ構造が重要となる局面はたくさんあり、たとえば政治の世界で「シルバー民主主義」という言葉があると思います。ネガティブな意味で使われますが、高齢者が投票数の多くの割合を占めている以上、政治家は高齢者に好まれる施策を打ち出すのがインセンティブ構造として合理的ですし、高齢者自身も若者の未来よりも自分の現在の生活に直結する施策を支持するのは当たり前です。高齢者も、若者を応援したいという気持ちはあると思いますが、インセンティブ構造としての優先順位は自身の生活 > 若者の応援 となるのは仕方ないことです。

一方で、この高齢者の生活に関わる話として、本書が発売されたのと同じ今年の7月、日本人の年金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」が初めて国内のベンチャーキャピタルのファンドにLP出資することが発表されました。

このニュースの持つ意味として、高齢者の生活に直結する年金マネーがスタートアップに流れ込むことで、高齢者のインセンティブ構造がスタートアップにも一部振り分けられるようになっている点が本書の文脈からは重要だと思います。

年金マネーが、高いリターンが期待できる(その分リスクも高いですが)スタートアップに投資されることで、年金基金の利回りが上がり、高齢者の現在の生活がより豊かになるということが実現すれば、高齢者のインセンティブ構造がスタートアップの成長と「アライン」されることになります。そうすると、現役世代にもっと頑張ってもらって自分(高齢者)の生活をより良くしていこう、そのために子育ても含め現役世代が成果を働きやすい環境にしていこうという考え方になり、高齢者の人口が多くても若者のことを考えた投票行動につながるはずです。

アメリカでは、年金基金に関する法律(ERISA法)の規制が1979年に緩和されて以降、ベンチャーキャピタル等への投資が可能になったことで大量の年金基金が流れ込み、スタートアップ投資が加速化したと言われています。日本も社会的な課題とエクイティ・ファイナンスのインセンティブ構造を上手くアラインさせることで、世代間の対立を解消させることができるかもしれません。

エクイティ・ファイナンスという武器で、世の中をより良く。

話をビジネスに戻すと、スタートアップは大企業と比べて経済的なリソースが圧倒的に不足しており、戦略的な打ち手の手段が限られてきます。

その中で、大企業と比べて有利な点があるとすると、まさに本書のテーマである「エクイティ・ファイナンス」を活用したインセンティブ設計が大企業と比べて柔軟にできる、それによって優秀な人を呼び込むことができるということだと思います。

磯崎さんは本の最後で"スタートアップの本質は「ステークを持つ」ことにある"とおっしゃっています。ステークとは、ステークホルダーのように広い意味で関係性を有するという意味もありますが、本書の文脈では主に経済的インセンティブとしての直接・間接的な株式(ストックオプション含む)を意味しています。

優秀な人がスタートアップに飛び込み、その人にステークを持ってもらって事業やサービスを成長させる。そしてそこで生まれた付加価値が、本人はもちろん、年金基金などを通じて社会全体に還元されて世の中がより良くなる。そんな世の中が当たり前になったら、スタートアップ冥利に尽きると思います。私もエクイティ・ファイナンスという武器を使って、世の中をどんどん良くしていけるよう、がんばります。

↓磯崎さんの「起業のエクイティ・ファイナンス」はこちら。

この記事が参加している募集

読書感想文

最後までお読みいただきありがとうございます!よろしければシェアもいただけると泣いて喜びます🙌