さよならなんて云えないよ/小沢健二

うっかりすると何ヶ月も文章を書かないままだ。
noteの新機能も追加されていて焦る。もう3月が終わる。

先日は大学の卒業式があった。卒業しません。できませんでした。
あともう一年頑張ります。

卒業しないくせに同期が卒業するのにかこつけて、卒業旅行という催しをやってみた。これが予想外によかった。

一泊二日の小旅行である。全員金がないので、宿泊費や交通費をいれても一万円以内で収まるようにした。
函館のリゾート地である大沼公園内で一軒家を借り、12名で肉を焼いたり温泉に入ったりした。
最後にはきちんとそれなりにしっぽりした雰囲気を作り、ほぼほぼ全員が号泣して別れを惜しんだりもした。バイブス。エモーショナル。いいことである。

旅の最後に、全員でジンギスカンを食べて別れた。
このジンギスカンというのがまたすごい話なのだ。

参加者の中に実家がジンギスカン屋の女の子がいた。
前日の夕食に消費しきれなかった肉を持て余していた私たちをみかねて、なんと営業前の店舗を貸してくれ、お肉を焼かせてもらった。
鉄板、秘伝の(多分)タレ、最高。
加えてお味噌汁、白米、デザートなどをいただく始末……本当に一生頭が上がらない。
どうしても、せめて場所代ということで、とお金を払おうとしたが、受け取ってもらえなかった。

「また来てくれたらいいから」。

神様か……?本当に泣きそうになった。
ありがとうございましたありがとうございましたと全員でなんども頭を下げた。

店を出る。
いつも車を持っている友達に乗せてもらい函館内を駆けている我等奥地の大学生卍だが、バスや徒歩で不便ながらも、ぞろぞろと五稜郭やら市電沿いを歩くなど。
風の強さに会話も不便だが、揃って歩くという行為は集団下校のようでどことなく非日常感もある。3月の函館はものすごく暖かいわけではないが、日差しが柔らかで歩くことが楽しかった。

それぞれ年齢も就職先も違う。デザイン、エンジニアリングに進む人もいれば営業、大学院生になる人も。
進路が違うということ、同じ場所にいなくなるということ。
大変残酷な話だが、いつしか優先順位も変わり、それぞれの環境も変わり、
もしかすると連絡を取りあわなくなるかもしれない。
目を開けるのがしんどいほど泣き腫らしても、記憶は薄れていき、お互いの心は離れていくのだなと思いながら五稜郭を歩く、そして同時に、それでもこういうことはある意味きっと永遠なんだろうなと矛盾したことも思ってしまう。
日々の忙しさ、環境の変化に、普段は頭の中から消え去っている思い出も、またいつかふとしたときに蘇るのかもしれない。

楽しい2年間でした。私はまた明日からも学生として生活を頑張ります。


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