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ドット道東立ち上げと、これからについて

以前、Twitterでこんな投稿をしたところ、思いの外反応があったことを覚えている。

私が所属している釧路市のにぎやかし団体「クスろ」の代表就任にあたって書いたエントリであるが、ここでその決断の経緯とともに、「拠点とする地域と、自分との関係性」についても触れている。

私は地元釧路について「付き合っているときにボロボロになったけど、なぜか忘れられない元カレ」と表現したが、同じくクスろに所属している名塚ちひろさんは、釧路のことをこう言っている。

「結婚するには最適だけどいまいち決め手に欠ける幼馴染」

そして、遠軽町白滝で農家民宿をやっている江面さんは、遠軽をこう言う。

「流れで結婚してしまったので、イケてる男性になってもらおうとアレコレしてるうちに、すっかり情がわいてしまった旦那さん」

 そしてもう1人、大樹町の神宮司さん。

「収入もステータスもあるのにイマイチ私のことを大事にしてくれない彼とダラダラ関係を続けてたら、『おまえ、それでいいのかよ』と言って引き戻してくれた、実はイケメンだった幼馴染。」

長い。

以上のように、それぞれ、何かしらの「地元」に対しての複雑な感情はあると思うし、こういう地方を拠点に活動している人は、その地域に対しての思いがこんがらがっていることが多いと思う。
手放しで「地方は素晴らしい!」と言えているわけではないような気がする。

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2019年5月、「一般社団法人ドット道東」を立ち上げた。
詳細はこちらのプレスリリースを読んでいただきたい。

「道東」という、限定的なようで実はとっても広くて深いこのエリア。
そこを拠点とするデザイナ、カメラマンなど多様なスキルを持った人たちが集まり、プロジェクトを実行するチームを、私たちは「ドット道東」を呼ぶことにした。

この「ドット道東」だが、事の発端は「道東誘致大作戦」というイベントにある。詳しくはこちらのnoteを。

このプロジェクトは、2018年3月、冬と春の境目の時期に、我々運営が「この人に道東を楽しんでいただきたい!」という気持ちだけでお呼びしたゲストの面々が集められ、ひたすらオホーツクを連れ回されるというもの。
見積もり激甘なクラウドファンディングをやってみたり、グダグダもいいところのトークイベントをやってみたりしたが、結果は運営の完敗、ありとあらゆる場面でのクオリティの詰めの甘さを指摘され、うなだれてしまった(と聞いている。なぜなら私はそのお叱りの場面であろうことか寝ていたので)。

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あれから一年半経ち、私は現在大学4年生である。

あまりにも長すぎた学生生活を終え、来年度からいよいよ社会人デビューをする予定。本当にできるかは全くわからない。
詳しくは「就活日記」シリーズに書く予定なのだけれど、来年度、私は釧路に戻ることにした。
釧路に戻って企業に就職するのではなく、フリーランスとして自分にできそうなことをやらせてもらいながら、働いていこうと思っている。
2018年3月の時点ではそんなことはみじんも思っていなかったのだけれど(関東の大学院を受験する予定だった)、この一年半で道東で起きた様々な出来事は、私をその選択に進ませるのにたくさんの影響を与えてくれた。

道東誘致大作戦という無謀なチャレンジ、脳天直撃学校祭という奇祭、「ニッポンを解剖する!北海道図鑑」での苦しかった(そして進行管理だった神宮司さんにもたくさんご迷惑をおかけした)取材と執筆、やってこ!シンカイでの出店、ジモコロでの記事執筆道東角打ちでのめまぐるしい熱気、すべてがバラバラの点ようで、私の進路にとってはそれが一本の頼りない線になっていたのだと、このnoteを書きながら思っている。

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道東を拠点に活動をしていく中で、わかり始めてきたことがある。

それは、何かをやればやるほど、自分の器の小ささ、無力さ、至らなさというものにぶち当たる、ということだ。

文章を書くのは好きだ、写真も最近好きになってきた、「この件どうなっていますか?」と突っつくのも怖くなくなってきた、誰かの「助けてください」に応えることも臆さなくなってきた。
それでも、自信はなかなかつかない。進みたいからやるのに、やってもやっても何も進んでいないような気持ちになる。それは苦しい。

最近まで、上京してどこかの企業に入ることも考えていた。
バキバキに叩き上げられて、スーパーマンみたいになるとか、身の回りの幸せとかそういうことは置いておいて、莫大な利益を追求するとか。
そんな経験もしてみたいと思ったし、一度はしてみるべきだとも思う。

でも、私は、23歳の今、道東が目の前にある今、自分にとっての地獄と向き合うべきだと思った。

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結局私は「付き合っているときにボロボロになったけど、なぜか忘れられない元カレ」のことを、ずっと忘れられないのだと思う。
釧路には月に1〜2回ほど帰っているけれど、帰るたびに重苦しい気持ちになる。
すっからかんでちぐはぐな大通りや、建物の何倍の面積もある駐車場が広がるモールや、潰れたパチンコ店、ビデオレンタル店。
そういうものを見るのは、もう疲れてしまった。この世の果てである。じわじわと浸かっているお湯が熱湯に変わっていく地獄。

そんな釧路を尻目に東京に本社がある企業で、面談を受けたときのこと。
私のプロフィールを見ていた人事の方に、開口一番こんなことを言われた。

「須藤さん、釧路に帰るんでしょう?」

今から面談を受けようとしている学生に、そんなことを言う人事がいるんだ、とびっくりし、ついでに嘘がつけない私は阿保面のまま、

「はい」

と答えてしまった。以上で面談は終了である。余った時間は私の人生相談に充てられ、帰りのエレベータでは「釧路でも頑張ってね」と見送られた。

全てはお見通しである。

元カレを忘れるために告白した男の子に、「でもやっぱりあいつのことが好きなんでしょう?」と言い当てられてしまった気分だ。そういう漫画、この世にごまんとありますよね?
とにかくその瞬間、私は「釧路に行くしかない」と思った。退路は断たれた。高速エレベータを降りながらそう思った。

何かをやればやるほど、自分の器の小ささ、無力さ、至らなさというものにぶち当たる。
それはいつかは抜け出すべきループかもしれない。
ただ、もしそれをどうしても抜けられないのであれば、釧路がいい、道東がいいと思った。
いま帰らなければ、何か大事なことを見落としてしまうような気がした。

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そしてそんな宙ぶらりんな私を、新たな受け皿で迎えいれてくれたのが、「ドット道東」の先輩方だ。



それぞれが自分の拠点であるオホーツクや十勝、釧路に対して、様々な思いを巡らせている。その思いの中には期待と希望だけじゃなく、不安や翳りもあるはずだ。
これから予想もできない大きな新しい波が来たら簡単に流されてしまうような、とても小さな場所が、道東に限らず、地方には存在する。
皆それをわかりながら、でもなんとかなるようにと願いながら、100%の希望は持てないけれど動いている。

この一年半、そんな姿勢を間近で見せてもらった。

「何かをやればやるほど、自分の器の小ささ、無力さ、至らなさというものにぶち当たる」などと、わかりきったことを言っている場合ではないのだ。

ひたすら縦横無尽に移動しながら、点をつなぎ、線を太く強くしていく人たちと。
そこが地獄だとしても、それなりにサバイブしていくことができるはずだと、たった一年半前にはそう思っていただけのことを、濃い形にしていく準備ができた。

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「ドット道東」、お気づきの通り、しつこくややこしい団体です。
無数のドットの皆さま、これから出会うドットの皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

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