お好み焼きのお店のお話 #わたしの食のレガーレ

「学生の街」というものの、京都は物価も、居住費も、食費もとても高い。

「なぜヒトは腕や脳の再生能力を失うのか?」を研究するために、札幌から初めて京都に来た私にとって、その物価の高さは驚くべきものだった。

学生の街の有名交差点の一つ、百万遍。

そこには「安くハンバーグが食べられる(スープとごはんはおかわりOK!)というお店や、ちょっと贅沢をしたいときに行くオムレツ屋さん(残念ながら私の好みと反して卵は硬くて薄い)、そして、ブラックバイトで有名な焼き鳥屋さん(でもめちゃくちゃ仕事ができるようになるらしい)があった。

私が京都を去るときには王将もできたらしい。羨ましいぞ。

そんな百万遍に、広島焼きのお店があった。
(広島の皆さん、お好み焼きと言わずにごめんなさい)

広島焼き。それは、日々キャベツのレパートリーを増やす私にはおなじみの大阪風お好み焼きとは別格の、工数が多く発生する料理である。絶対に家では作らない。

焼きそばを焼いて、卵を焼いて‥店員さんたちが作るときに、あの多重構造が重なる動作を見るのも、そして、箸やヘラで切るときのあの切れ味の変化も。あの多層構造と、甘い卵とオタフクソースの味が、私は昔から大好きだった。

京都に来たばかりのある日、百万遍の交差点で「広島風お好み焼き」という幟が立っている、入口がビニール張りのお店を見つけ、私は吸い寄せられるように入っていった。

ビニールの扉を分け入って入ると、中には、安くて油で少しぬめっとする床や赤い机、そして、数名の学生。一番奥には、気のよさそうな日に焼けたお兄ちゃんと、たくさんのカープグッズがあった。

「いらっしゃい!お、何にする?お、学生?学生さんは応援したいから、トッピングとかおまけするよ~」

トッピングのおまけ…!お腹を空かせた学生には、最高の響きである。最初は、お餅を頼んだように思う。

それから、研究が詰まったとき、愚痴を言いたいとき、甘いものが嫌いな研究室のメンバーのお誕生日ケーキの代わりにお持ち帰りするために‥何度もそのお店に通った。

「広島焼き」の麺は、焼きそば麺だけじゃなくて、うどんの場合もあること。息を吸うのも億劫な、うだるような暑い日に、広島焼きと飲む、キンキンに冷えたアサヒビールの美味しさ。そのアサヒビールのジョッキが濡れて、グダグダになる前に飲み干してしまったほうがいいこと。

近所のスーパーでいきなり、近所のおばちゃんから「あんた、このくじ引き補助券、余るから使い!」と話しかけられてびっくりしたこと。

そして、一緒に住んでいた人がいなくなる寂しさ、夢を諦める悔しさを感じていた時も、広島焼きを食べに行った。特に、事情を話すわけでもなく。

そのお店で、アサヒビールの費用を払ったことは、ほとんどなかった。

そのお店は、広島焼き1枚の値段で、ビールも、トッピングも、何なら、2枚目だってサービスしてくれるお店だった。そして、私が福山雅治のファンと言えば、当時のアサヒスーパードライのモデルだった福山雅治のポスターをくれる、本当に「京都でのお兄さん」だった。

京都を離れるその日だっただろうか。久しぶりに行こうとしたら、そのお店は百万遍になかった。調べたら、百万遍から移転して、地価の安い地域に移転したらしい。そして、その後、京都に行ったときに行こうとしても、なぜかお店が見つからない。

百万遍は、学生が吸い寄せられるように集まる、お店から見れば一等地である。

「やっぱり、学生にサービスしすぎたのかな‥‥」

百万遍なんて、学生や大学関係者以外のお客さんのみだろう。メインターゲットにあんなにおまけをしていたら、儲かるものも儲かるまい。

よく考えればわかることだ。

そこから、良くしてくれた人や、応援したい人は、きちんとお金を払いたい。そんな思いが沸き上がるようになった。

「ちゃんとご飯を食べたい」と思って、アカデミアの研究職は諦め、今の職についた。余裕が出た今、可能であればあのお店に行って、学生のみんなに食べてもらう分も含めて、お金を払うようにしたい。でも、叶わないのかもしれない。

生命の不思議のみならず、お金というものは汚いものではなく、必要な人に払いたいと思って、払うものである、そんなことを学んだ広島焼きとお兄さん、ありがとう。またいつか、会えますように。

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