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香りと存在

県を越えての移動が制限されている今、1か月に1回くらい会えればいいかな‥なんてことを思っていた私たち遠距離カップルには受難の時である。まぁ人類はいつも、こういうことはきちんと乗り越えているからあまり深刻に落ち込んでいるわけではないのだけど。太陽の活動が大幅に変わらない限りね。

とはいえ、こんな急激な環境変化は、今まで読んでいた本に新しい気付きをくれることとなった。

私は、なるべく仕事仲間が「この本いいよ」といった本については読むようにしている。仕事とは別に、その人の価値観を知ることができて面白いからだ。せっかく出会えた人だ。どんな世界の見方をしているのか、知りたいじゃあないか。

今回取り上げるのは、上司が「いい」と紹介していた本。

「ある人殺しの物語 香水」である。

18世紀のパリの「魚臭い市場で」主人公グルヌイユは生まれる。彼は、生まれながらにして数キロ先の匂いをも感じ取り、そして香りの要素に分解し、理解できるほどの超人的な嗅覚を持っていた。

ストーリー早々に、グルヌイユの母は、あっさりと亡くなる。まるで、いない人だったかのように。そして、グルヌイユは孤児となり、孤児院に入れられる。そして、まるでさなぎが孵化するように、孤児院を「破り」国を放浪する。

グルヌイユには、狂人的な嗅覚に加え「存在を人に知られない」という特殊技能があった。山にこもり、たまに村に降りて強奪を働くなんて朝飯前である。

こうしてすくすく育ったグルヌイユは、ある日、街中で運命的な香りに出会う。何とかその香りを自分のものにしたい…魅惑的なその香りを思う存分嗅ぐために、香りを発する少女を見つけ、その少女を殺すことにした。

しかし、殺して体が冷たくなるまでの間に、その少女の香りはなくなってしまうのであった。

この少女の香りを、いつまでも、思う存分嗅ぎたい…

一度嗅いだ香りは忘れないグルヌイユは、その香りを探し、再現するため、パリで最も著名な香水師に出会い、「好みの香りを作る」すべを身に着けていく。そして、あらゆる方法を試し、最終目標である「ヒトの匂いをそのまま再現する」すべを開発する。

香りは、油脂や水に溶ける。グルヌイユが開発した方法は、人の匂いを移すことができる「特性な油脂がついた布」で人を拭い、そうして集めた匂い付きの油脂を、丁寧に分離し「香り成分」を抽出し、人の匂いの「香水」を作るという方法であった。

しかし、人とのコミュニケーション方法が分からないグルヌイユである。人の匂いを採取するには人を殺す、という手段をとっていく。(「手段をとった」と書いたが、もはやここには何のためらいもない。彼にとっては、人は「匂いを発する」物体でしかないのだ。)

自分の存在を知られないメリットを最大限に活用し、人を殺し、その人の体温が冷え切る前に「匂い」をしっかりと拭えばいい。準備は完璧だ。

あとは、「いい香りだった少女と似たような香りを持つ少女」を探すだけである。

嗅覚が鋭いグルヌイユは、ある日、その少女を街で見つける。そうして、その少女の香りをぬぐおうと、様々な策を打つのであるが‥‥

この本は、グルヌイユの視点で描かれる。こんなにも世の中は、「香り」に満ちているのかと驚く。本の冒頭部の出産シーンを読んだ瞬間、この本を読み進めるか本当に迷うくらい気持ち悪くなり、この本を読み進めるかとても迷ったほどだった。映画にもなったようだが、PG-12指定になるほどである。

この本を読んだ2年後であるつい最近、義母から

「オンラインだと、体温を感じられないから寂しい」というコメントをもらった。

最近、「離れていても一緒に生活していると感じられる技術を何とか作れないかな」と考えていることもあり、「一緒にいる」と感じられる要素って何だろう、と考えていた矢先のこのコメント。なるほど、体温か!気づかなかったよ、おもしろいなぁ。

ここで、Twitterの皆さんからいくつかコメントをいただく。

たしかに、背後にヌッと立たれてすごく圧を感じるのって、体温なのかも。気温と同じ体温だったらそんなに感じない気もするし、実験してみたい。(非公開アカウントなので匿名)

「なるほど、体温ねぇ…」という議論を基に、「匂い」というキーワードをもらい、びびっときた。

そうか、グルヌイユは「匂い」を求めていたのではない。存在を求めていたのではないかと。

ちなみに、「なぜか人に気付かれない」グルヌイユは、自分の「匂い」を持たない。無臭なのである。「人の匂いの香水」を作れるようになったのち、彼は、「他の人からぬぐい取った匂いの香水」を身にまとい、他者の反応を楽しみながら生きていくようになる。

なるほど、自分に匂いがない「グルヌイユは存在しない」ということだったのか。

彼は「この世にある」ということを、他者から認めてほしかっただけなのかもしれないな‥。

こんな気づきがあるから、人生って面白い。

(余談)

読み終わった当時は、上司のキャラクターの狂気性を感じて少し恐怖を覚えたことと、多分、グルヌイユが渇望していた香り成分は、女性が年齢とともに失っていくという説がある甘い香り成分「ラクトン」だったんじゃないかな‥なんていうことを考え、そっと本を本棚に返したのでした。

※女性の若い頃の「甘い」ニオイのもととなるのは「ラクトン」であり、ラクトンは10代後半をピークに年齢とともに減っていくというデータが日本味と匂学会第51回大会にて発表されていますが、n=50なので、一般論として断定するにはもう少し調査の必要はありそう
とはいえ面白い知見ですよね。私は実感したことがないのですが、同期は「めっちゃわかる!!!」と言ってたので、実感として分かる人はいるのかもしれませんね。

もし・・もし、サポートいただいた場合は、それを軍資金としたnote関連企画をしようかと思います。