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ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』海物語で確定演出。

感想:いあいあ
『シャドウェルの影』『ミスカトニックの怪』に続くホームズ×クトゥルーのパスティーシュシリーズの第三弾。一作目『シャドウェルの影』では20代だったホームズとワトスンもこの巻では50代後半になっており、サセックスで隠居生活を送っています。数々の難事件を解決した名探偵は田舎の牧歌的な暮らしをのほほんと謳歌、自由で気ままな余生を楽しんでいるのでした。……なんてことはまったく無く、ホームズもワトスンも相変わらず宇宙的恐怖に立ち向かうため、闇の勢力たちと戦いを繰り広げ、今日も今日とてワトスンは何者かに誘拐されてしまう――てなところが導入です。

この「クトゥルー・ケースブック」は作者であるジェイムズ・ラヴグローヴのもとに手紙が届き、その手紙によると「ジェイムズ・ラヴグローヴはクトゥルフ神話を創ったラヴクラフトの遠い親戚であり、3つの原稿を君に託すよー」という内容。これわこれわ大変な代物だ、私が代わりに出版してみんなにこの物語を知ってもらわねば、ってのがすべての始まりでした。
つまり、その3つの原稿こそが『シャドウェルの影』『ミスカトニックの怪』そして『サセックスの海魔』であり、それらを書いたのは誰であろうワトスン本人。コナン・ドイルによってシャーロック・ホームズの活躍と人生が書かれた「正典」とは、すべて裏で起こっていた事実を隠すために書かれたものに過ぎず、真実は二人の出会いからクトゥルフとの戦いが始まり、太古の神々と戦いに明け暮れていた――いわば「正典」とされている物語は壮大なミスディレクションだったんだよ!(な、なんだってー!!)

……という、で書かれた小説がこのシリーズなわけです。

『シャドウェルの影』の舞台は1880年のロンドン。ワトスンはホームズと出会い、恐ろしいモンスターや古き神々との戦いを経て、人類世界を守る決意を固めます。15年後が舞台の続く『ミスカトニックの怪』では、一昨目で生まれた因縁が姿を変え襲いかかり、宿敵モリアーティ教授も登場しつつド派手に邪神たちと対決。さらにそこから15年後、またもや神々の戦いに巻き込まれ化け物たちに立ち向かうことになるのが本作『サセックスの海魔』というわけ。

正典である『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』によるとホームズが隠遁した場所は「サウス・ダウンズの小さな農場」となっており、原作にあるそういった記述と齟齬がないように、ある程度舞台や登場人物、年代は準拠して書かれています。タイトルの通り、全体を通して海の悪魔シー・デヴィルとの戦いや、海上での旅など「海」にまつわる冒険が多く、いわゆる隠れた精神ヒドゥン・マインドはホームズの精神を執拗に悩ませてはいるものの、相変わらず二人とも元気いっぱい。ホームズは持ち前の推理能力や口車、たまにバリツを、ワトスンは人柄の良さと解説の上手さを活かして(正直もうちょいワトスンが活躍してるところを見たかったぞ)危機を乗り越えていくのです。

ただねー、ちょっと不満点もありまして。一作目ではクトゥルフのことなど何も知らない状態の二人でしたが、今作ではもはや闇の勢力を退治する専門家という立場になっており、そのため過去作に比べて危機感は薄く、敵対するシー・デヴィルもなんだか弱っちくみえるんだよなあ。というかシー・デヴィルはずっとホームズのことを「ホルムスス」、ワトスンのことを「ワッション」って言ってて、その舌足らずな感じがなんとなく可愛く見えてきてしまい困った。ルルロイグに関しても、敵であるにもかかわらずほぼずっと海で一緒に旅をすることになるし、「いつかぶっ殺す」って言ってる割に絶好の機会があっても何かしら理由をつけてホームズたちを生かすことから、もう君たち結構仲いいよね?と感じながら読んでいた。そういうわけでテンションの高さや危険度の高さでは『シャドウェルの影』が一番だったなあという印象。でもその分、もはや長年の連れとなったホームズとワトスンの掛け合いや、二人の熱い友情が見れるので、そこが本作の売りどころなのだと思います。特に中盤ホームズがワトスンに対して本音を吐露し、若干デレるシーンなんかも用意されてて、ほくほくすること間違いなし。作者がホームズとワトスンという二人のキャラに対して深い愛と理解があるからこそ出来る場面だったと思う。

フングルイ・ムグルウナス・クトゥルー・ルルイエ・ウガフナグル・二グン(ルルイエの住処にて、死せるクトゥルー、夢見ながら待つ)

ただ私は正典とされる『シャーロック・ホームズ』シリーズをちゃんと全部読んだことは無く、深町眞理子さん訳の『緋色の研究』『シャーロック・ホームズの冒険』『シャーロック・ホームズの事件簿』を読んだ程度。映画やドラマシリーズはいくつか観たことあるし、世界一有名な探偵なので大体わかるのですが、細かい部分については知らないことも多い。だからどうなんでしょう、正典を読んでる人や、色んなパスティーシュを読んできた人にとっては「こんなの邪道だ!ホームズのパスティーシュとして認められん!」って人もいるのかな。本シリーズに関して言えば、B級映画みがあって私は好きなのですが。『シャーロック・ホームズ・バイブル: 永遠の名探偵をめぐる170年の物語』あたりの本を読んでいると色んなパスティーシュがあって面白そうーとは感じるのでいずれ読んでみたいとは思ってるんですけどね。まあそれくらいの知識の人間でも十分楽しめる三部作ということでひとつ(何が)。

フングルイ・ムグルウナス・クトゥルー・ルルイエ・ウガフナグル・二グン

そういえば、去年SF大会に参加したときのこと。たまたま同行することになった人と雑談していたのですが、その人はホームズにとても詳しい人のようだったので、私が「○○さんはシャーロキアンなんですね」と言ったらちょっと戸惑った顔になり、「私はシャーロキアンと言えるほど大層なもんじゃないですよ。というかあの界隈は怖いから……」と言っていたのを思い出した。
シャーロキアン。
シャーロック・ホームズの熱狂的なファンのことを指す言葉。ちょっと憧れを感じるとともに、人によっては「怖いファン」になるんだろうなと、その時は思った。まあ「SF好き」も界隈の外から見れば似たようなもんだろうし、例えば「鉄オタ」とか「ミリオタ」とか色んなコミュニティがある中で、外から感じる印象と、そこに属している人の印象は違うものなんだろうなあと、そんなことを考える。
とりあえず来年はコナン・ドイルが書いた正典「シャーロック・ホームズ」を読もうかな。SF大会でたまたま同行した方からは駒月雅子さんの新訳版をおすすめされたのですが、他にもこの版がおすすめだよーってのがありましたらどなたかご教示ください。

閑話休題。

さて、このジェイムズ・ラヴグローヴによるシリーズは、三作とも終盤に大きく盛り上がる場面が用意されていて、今回も絶体絶命な状況におちいり、どうなっちまうんだーってなことになります。そんで最後は長いこと危険な目に遭ってきた二人の友情に祝福を込めた、少々もの悲しいラストを迎えるのでした。ちゃんちゃん。
……というところで終わらないのがこのシリーズの特徴。説明した通りこの小説はメタ的な入れ子構造となっているため、原稿を世に送り出すという仕事を終えたジェイムズ・ラヴグローヴの「あとがき」も本編の一部であり、最後の最後でまったき底の無い恐怖を感じさせ幕を閉じるのでした。ホームズ×クトゥルフという意外な組み合わせではありましたが、どちらの世界観も大事にしており、相乗効果によって大変楽しい出来となっているのでおすすめのシリーズです。
フングルイ・ムグルウナス・クトゥルー・ルルイエ・ウガフナグル・二グン
闇がこちらを見つめている。まっすぐこちらを見つめている。
フングルイ・ムグルウナス・クトゥルー・ルルイエ・ウガフナグル・二グン
フングルイ・ムグルウナス・クトゥルー・ルルイエ・ウガフナグル・二グン
フングルイ・ムグルウナス・クトゥルー・ルルイエ・ウガフナグル・二グン


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