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ウォルター・アイザックソン『イーロン・マスク』変人の素顔と、その本質

彼が誰かと言われたら、答えてあげるが世の情け。世界の破壊を防ぐため、世界の平和を守るため、愛と勇気の悪を貫く、ラブリーチャーミーな敵役。イーロン!マスク!銀河をかけるスペースXの起業家には、ブラックホール、黒い宇宙が待ってるぜ!

つうわけで米タイム誌元編集者ウォルター・アイザックが手がけた最新の伝記本『イーロン・マスク』です。帯にどどんとでっかく「世界同時発売」と書かれており、この男がいまどれだけ注目されているのかを感じさせますね。あちこち様々な分野に手を出し、常にその破天荒な行動・発言は議論の的となり、その都度偉大な成果を上げ、併せてバカみたいなゴシップも提供してくれるこの人物の実像とは。メディアの報道でなんとなく知ったつもりになっていても、実際には「世界一の大金持ち」とか「Twitterを買収した起業家」といった大雑把な認識に留まるって人も多いはず。この本はそんなイーロン・マスクという男の人生を端から端まで追いかけた公式の記録本なのです。

ビジネス界におけるマスクの偉業は数多く、有名なところでは、電気自動車によって自動車業界を推進させた「テスラ」を立ち上げたこと。あるいは民間で開発したロケットによって火星を目指す「スペースX」を創業し、ロケットの打ち上げを成功させたことなんかがあげられる。どれもこれも常人には不可能な業績だが、彼のルーツはどこにあるのだろう。また、何が彼をそこまでかきたてるのだろう。

本書は上下巻の2冊に分かれている。上巻は、南アフリカでの生い立ち、父親からの虐待、サバイバルキャンプで過ごした日々、カナダやアメリカで工学や物理学を学んだ青年時代。やがてX.com(PayPal)を立ち上げた流れなんかを丁寧に追い、テスラやスペースXを創り、ビジネスを軌道に乗せていくまでが書かれている。下巻では2020年以降の動向が中心となり、スペースXでのロケット打ち上げ事業から、2022年以降に起こったTwitterの買収劇までを網羅。私がTwitterを使い始めたのは2022年の夏頃からで、まさにこの1年間はイーロン・マスクに振り回されている感覚があった。だから実際そこでどんなことが起こっていたのかには興味があったし、イーロン・マスクという人物像をもっと深く知りたいとも思っていた。

んで本書にはそんな需要を満たしてくれる記述がたくさんあって、イーロン・マスクという人物がいかに精力的で、かつ不安定な人物なのかが見えてくる。仕事の鬼となった状態のことを本書では「シュラバ」と呼んでおり、そういうときのマスクは他者への共感能力が欠如し、自制というものが効かなくなる。空気を読んでる暇があったらとにかく事業を先へ進めるために仕事をしまくれ!というスタンスであるため、周りの人はその猛威にさらされっぱなし。喧嘩っ早く、リスク中毒であり、パワハラ気質な上、ワーカホリックでもあるという、正直私なら絶対一緒に働きたくないタイプの人間だ。当然、一部の人間以外は彼に着いていくことは出来ないわけでありまして……。そのため本書では彼と共に働いた経験がある者たちの証言も大量に盛り込まれており、同時に「なぜ彼の元を去ったのか」という部分も分かってくる。

また、そうしたマスクのヤバい部分を書きながらも、ジョークが好きでどこかお茶目なところもあり、なおかつ強いリーダーシップも持っている面も書かれていて、「なぜそれでも部下たちが着いてくるのか」という部分も見えてくる。きっとマスクの近くにいたら退屈してる暇なんてないんだろうな、と思う。常に刺激たっぷりで、「人類のため」という壮大なビジョンを見せてくれるのだから、そこに共感し、信奉する人ならば楽しくってしょうがないはずだ。

マスクがスペースXを立ち上げたのは、「複数の惑星にまたがる種となることで人類の意識を持続させる可能性を高めたいから」らしい。テスラやソーラシティは、持続可能なエネルギーが未来のためには大事だという考えからだし、オプティマスとニューラリンクは人工知能から人類を守り、人の力によるインターフェースを作ることが目的だ。
Twitterに関して言えば「民主主義が死なないために、Twitterから偏見や偏向を根絶して、どのような意見でも表明できるオープンな場とするため」とのこと。でも著者が言うようにマスクがTwitterを手中にしたかったのは、もっと単純でわかりやすい理由が第一にあるのだろう。つまり「遊園地みたいに楽しいから」

そんな感じで本書は、ビジネスの表面的な部分だけでなく、内面的な部分からもマスクを解体していく。もちろんビジネスでマスクが作り上げた功績は大きく、イチ起業家の物語としてパワフルで面白いものエピソードもてんこ盛りだ。例えば、2008年は彼にとってしんどい年だったようで、資金難によりぎりぎりの状態だった。スペースXが行っていた打ち上げも3回続けて失敗しており気分もどん底。しかし苦労のかいあって、なんとか4回目の打ち上げを成功させる。ロケット製造にあたって部品が高いという理由で内製化に踏み切ったというエピソードもすごいし、徹底的にコストカットして宇宙への道を探り続けた結果から得た劇的な成功だったのだ。
脳とコンピュータを繋ぐ「ニューラリンク」という技術なんかは『攻殻機動隊』あたりのSF作品を彷彿とするし、つくづくテクノロジーを信奉している人なんだなあと感じる話が多かった。

いろいろ問題発言が多く、嫌な形でメディアに取り上げられがちな存在ではあるものの、彼が非常に優秀な経営者であり、エンジニアでもあることに異論はないだろう。著者のアイザックソンはひとつひとつのエピソードを粘り強く調べ上げることで、彼の”虚像”の部分と”実像”の部分を丁寧に精査し、私たちに伝えてくれる。だがそこに説教臭さみたいなものはなく、かといってマスクを突き放しも、擁護するような姿勢も取らない。常に一定の距離感を保ちながら、家族や知人、従業員などのインタビューもふまえ、俯瞰的に取材することで「イーロン・マスク」という男の姿を捉えることに成功している。そしてそれらをつなぎ合わせることで、これまで語られることのなかった彼のストーリーが浮かび上がってくる。いやはや、これほど極端に振り切れる人間じゃなければ偉業を成し遂げることはできないものなのかと圧倒されることエピソードの多いこと多いこと。さらにジェフ・ベゾスやビル・ゲイツとの関係についても語られていて、ここら辺も興味深かった。

幼いころのマスクにとって『銀河ヒッチハイク・ガイド』は愛読書だった。そして、このSF小説によって培われたマインドは、「いまの世界をさらなる未来へと推進させる」という壮大なビジョンへと繋がっている。人工知能やロボット産業に手を出しているのもその一環であり、TwitterをXへと変え、スーパーアプリとしてマルチプラットフォームにすることを目指しているのも、根っこの部分は同じなのだろう。

私はSFが好きな人間なので、なんとなく彼が目指していることがわかる気もする。きっとマスクは純粋なのだ。言い方を変えれば幼稚なのだ。しかしだからこそ彼はこれからも前へ進み続けるだろうし、進むことをやめないだろう。
少しだけいつもより創造的に、少しだけいつもより積極的に。そうしないことには何も変えることは出来ず、のうのうとした人生を歩むことになる。だからこの本が誰かにとって、何らかの刺激となってほしい。この本を読むことでちょっとだけ未来について思いを馳せてほしい。本書からは著者のそういう想いが伝わってくる。
飽くなき探究心から生まれるイノベーションと、未来を指向する精神力。そんなものを感じさせてくれる本だった。

ちなみに今年11月ころに出たニュースによると、この本を題材にした映画化が決定したそうです。なんとA24製作で。しかも監督はダーレン・アロノフスキー。なんだか娘との関係性に焦点をあてたダメ親父の話になるのが容易に想像できますなあ。上下巻あわせて900ページ以上あるけど、読み物として最上級に面白い部類の本でした。おすすめ。




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