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『福田村事件』舞台挨拶付き上映

9月30日にフォーラム仙台で行われた
『福田村事件』舞台挨拶付き上映
に行ってきました。
私が行った回はその日の中で最後の回だったので、質問時間などは無く、5分くらい森達也監督が挨拶をしたらすぐに上映がスタート。
とりあえず監督の、日本映画の閉塞した状況を打破したいという思いが聞けました。
結構印象的だったのが「たかが映画です、しょせん映画です、光と影が映ってるだけです」という言葉で、その上で「でも(映画を)観てくれた方がもしかしたら、今の現状をおかしいと感じてくれたら嬉しいです」と言っていて、この映画に対する思い入れの深さを感じました。

本作は史実を元にした作品で、1923年9月、関東大震災直後の千葉県福田村で起きた、香川県の行商団10名が地元の自警団から暴行・殺害された事件を描いている。これまで『A』、『A2』、『FAKE』などのドキュメンタリー映画を撮ってきた森達也が手がけた劇映画であり、9月末時点で観客動員数が10万人を突破。100年前の事件でありながら、いまを生きる私たちにとって決して無関係とは言えない内容となっている。

正直かなり精神が摩耗する映画でした。映画は2/3を過ぎるくらいまで結構のんびり進行していって、村に住む人々の生活や、夫婦間の諸事情が描かれていくのだが、同時に「村」単位の差別意識や、部外者へのうっすらと、しかし確実に存在する偏見描写を積み上げ、その感情が”集団心理”として後半爆発していくことを想像させてゆく。この映画に足を運ぶ方なら観る前からこれが「虐殺事件」についての物語であることはわかっているはずで、それゆえに前半のじっくりとした展開は、それが続けば続くほど恐ろしい何かが積みあがっていくようにしか見えず、終始ざわざわとした恐怖感が私の心を埋めていた。

村人たちの意識には部外者への差別、あるいは仲間に対する虚栄心があり、それが惨劇へと繋がっていく。同時に、必ずしも全ての人が朝鮮人に対する差別感情や愛国精神だけで行動しているわけではなく、例えば周りの人との同調だったり、いまでいうところのマチズモ的な発露であったり、わからないことに対する恐怖心から虐殺に加担していくこととなり、その行動原理・心理描写が丁寧に可視化されていた。さらに虐殺される側である行商人たちにもそういった偏見の感情があることを露わにすることで、これが「日本人が行った日本人への虐殺」というだけの話ではなく、朝鮮人虐殺という事件の一端であることを伝えようとしている。それらは群像劇という体裁を取ることで、いかに「普通の人々」がいとも簡単に人殺しという行為に加担してしまうかを明らかにしていた。

事件が起こった原因は、韓国併合により民族独立運動の気運が高まり、これまで差別やいじめをしてきたという意識が日本人の中にあったからこそ「仕返しをされる」という社会的不安があったこと。根も葉もない流言飛語が飛び交い、警察や報道がそれに加担したこと。村というコミュニティにおける意識の偏重。それらあらゆる原因が積み重なり起きたことであり、現在と地続きの問題として浮かび上がってくる。また、ここで描かれるのは”言葉によって生まれる差別意識”でもあるだろう。日本語が、というよりも自分にとって馴染みのある言葉かどうかで村民たちは短絡的に「仲間」か「敵」かを判断する。それは千葉県と香川県というちょっとした方言の違いではあるのだが、ただそれだけで人の心は傾いてしまうのだ。人が誰かを仲間か敵かに分けるとき、どれだけ言葉に依っているかが、まざまざとわかるシーンがこの映画にはいたるところにあり、無意識に判断してしまう危うさと、その構造の恐ろしさを感じさせる。

堰が切れたように虐殺が起こってからの鳴り響く太鼓の高揚感はまさに祭りのようであり、怒号が飛び交い、決壊した「普通の人々」の心はもはや誰にも止められない。対する観客はその興奮と熱気に包まれたおぞましい情景を見ながら悲鳴を上げたくなるほど絶望的な気持ちになるだろう。なぜならこれは遠い過去の話でも、離れた場所に暮らす人たちの話でもなく、状況さえ整えば誰もが同じように誤った行動を起こす可能性があるということを描いているのだから。ドキュメンタリーを撮り続けてきた監督ということもあり、ここで描かれる虐殺シーンの”目撃してしまった感”は凄まじく、観ている観客に対して「あなたなら何ができる? どう行動する?」という問いを突き付けてくる。そして、こんな言い方をしたら怒る人がいるかもしれないが、やっぱりこの作品は映画としても面白く、出来がいい。丹念な人物描写や、俳優たちの演技、無駄を排除した農村の光景、そんな映画としての出来の良さが作品全体にダイナミズムを与えていた。

光州事件やハーヴェイ・ワインスタイン事件に対する海外の映画作品と同様に、日本映画においてもこのような作品が出てくるのは喜ばしいことだ。そして、ここで起こったことは関東大震災朝鮮人虐殺事件からすればほんの一部に過ぎず、虐殺された朝鮮人がこの何倍も何百倍もいたという事実も忘れてはならない。
澤田静子(田中麗奈)が夫である智一(井浦新)に投げかける「あなたはいつも見てるだけなのね」という台詞は賢しらに安全圏から見ているだけである我々すべての観客に対するメッセージだろう。
この映画が映していることは、当たり前に多くの人が知っているべき事実であり、忘れてはならない感情だ。
観終わり、精神が摩耗しながらも、この映画を観て良かったと心から思う。監督の言葉が心に残る。


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