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幸せになってはいけないという呪い

土曜日最高、こんばんは。
毎日が土曜日であればいいのにと思うくらいには素晴らしい。

しかしながらこの土曜日の輝きはカレンダー通りに過ごしているからこそ感じられるもののような気がする。私には、鬱で季節も曜日も関係なく自室にこもっていた時が何年もあった。

今もその自室は実家にあるわけだけれども、実家に帰ったりすると、今のこの自分だけの暮らしのほうが夢で、自室のベッドの上が現実なのではないかと錯覚する。

少しだけ貯めた障害年金を握りしめ、家を出たのが8年前。母とタイマンで暮らすのはもう限界だった。当時は無職だった。まあよく審査が通ったな。初めての一人暮らしだった。そうやって借りた家は、ワンルーム。とにかく暮らせればいいや、とオートロックもない、衣食住がすべて1つの部屋で済むお家を選び、今の今までずっと住んでいる。今やお気に入り。

何せ無職でスタートしたこの一人暮らし生活、一時期は資金が底をついたりリボ払いの世話になったり、毎日小麦粉を平たく焼いたものしか食べられなかったりと色々あったけれど、職業訓練や派遣社員でコツコツスキルをつけて、今は正社員として普通に働いている。自分で暮らし始めると薬も不要になり、ご飯も色々と食べられるようになった。莫&大な奨学金も、30代になってやっと返し始めることができた。

気づけばミドサーになり、社会にもすっかりなじんでしまった。いよいよこの苦学生のような家を、卒業するときが来た、ような気がしている。

手に入れろ、大人の住まい。(ドラゴンボールの曲のメロディで)

というわけで感傷的な文章を書きつつ、ついに新居の審査に申し込んでしまった。見積もりまで出してもらっちゃった。初期費用、カツカツだけれど一応払えそう。よかった。家賃も少しだけ上がる。
料理が好きなのでキッチンで家を選んだ。今より料理が楽しくなる家という基準でチョイスして、なんとまたワンルーム(!?)だけれど、アイランドキッチンのワンルーム。うふふ。

わくわく!のはずが、どうしても何かひっかかる。なぜこんなに踏ん切りがつかないのか考えてみた。そしてわかった。

「母に怒られる」
と、私はこの期に及んで思っている。

太い実家、細い実家なんていう言葉があるけれど、私の実家は糸のように細い。母が存命なだけ有り難いというもの。毒々しかった母も今や高齢者に片足を突っ込み、か弱く細々と1人暮らしている。
今はもう、時々会っても食事の会計は私が払い、お正月にはお年玉。幼い頃から精神的な立場は逆転していたが、今はもう、金銭的にも肉体的にも何もかも、完全に私が上になってしまった。

母がこんなに細々と暮らしているのに、私はこの不要不急な引っ越しを執り行っていいのか?漠然とした不安が私にはあるらしい。家を出たばかりの頃は、食べ物ひとつ買うのにも「母に怒られる」と思いながら選んでいたことを思い出した。私だけ幸せになってはいけない、という呪いが私にはかかっているのだ。

自分で稼いだお金だもの、好きに使っていのは当然のことだけれど。
不動産屋さんからの連絡に折り返して、この契約を進めていくことにものすごくものすごく罪悪感がある。このまま折り返さず、何事もなかったようにこの苦学生ハウスで暮らしていくことをイメージする。まあそれはそれでよしなのだけれど。自分のために課金することは、私にとって怖いことだ。

母にはまだ引っ越しを考えていることなど何も伝えていない。どういうリアクションなのかはわからない。いいねえ、私も引っ越したいわあ。そうやって遠くを見る母の顔を想像する。苦しくなる。

甲斐性のない母親で申し訳ない、申し訳ない。と、母は最近言うのだった。毒どころか、もう弱々になってしまった。
だからきっと私が引っ越しても表面的に怒ったりはしないはずだ。でも今もまだ、私の中には恐怖心があるのだなとこの度改めて考えるなどした。

タイマン家族ゆえ、いつか私が本当に母を背負わねばならない日がくるのだろうと覚悟はしているけれど、1人で暮らせているうちは、お互い好きにやろうぜ。なあ、母よ。

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