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結婚生活3分の1は強制的別居〜それがもたらすもの〜

先日、子供4人の末っ子の高校の卒業式がありました。

といっても、去年1月上海よりコロナで退避帰国したまま戻ることができないまま迎えた 海を越えた卒業式となりました。1年間、友達に会うこともできずにオンライン授業で、実感のないままの中の卒業式でした。

彼女の卒業式で私の子育ても終了。頭の中で

「任務終了!チーン!」

と鐘がなりました。

転勤族で国内外を移動移動で、今回の引越しで13回目。両親のサポートは期待できない中、時には7年もの単身赴任あり、仕事もしながら一手に子育てを担わなければならない苦しく辛い時もありました。そんな時、この日をどんなに待ち望んだことでしょう...同時に、愛しい子供たちが自立したあと空っぽになってしまうのでは?と思ったり。

しかし、いざ、その日を迎えた私が感じたことは、自分が想像したのとは全く別物でした。

その時々、自分ができることをやってきたので、子供に自分がしてあげれることはやり切った、という思いが湧いてきて、子供達と離れることへの寂しさは不思議と感じないのです。むしろ、大学以降は、親がそばにいない方がいい、とも思っています。

その”やりきった感”と同時に 自分の心を占めたのは

「1日も早く上海に戻って、主人と暮らしたい」

という思いだったのです。

この1ヶ月一年ぶりに、彼は一時帰国していて、ずっと一緒に過ごしました。この会えない一年は、コロナの不安の中帰国、中国から帰国ということで差別も受けました。そしてそれに続いて感染急拡大したアメリカから次男をいつどうやって帰国させるか、ということで神経をすり減らし、それが終われば、末っ子の大学受験。それと並行してマンション購入に向けての諸々。

自分がやらなければ、しっかりしなければ、という思いが、極度に自分を支配していたのでしょう。彼の一時帰国によって、それが一気に解け、その時、いかに自分が緊張状態を続けていたかに気づきました。

同時に、彼の存在の大きさにも気づきました。

私たちは、単身赴任、SARASとコロナによる強制帰国での別居、という具合に、本人たちの意思ではない別居状態が通算10年、つまり結婚生活の3分の1になります。

一緒に暮らしているときは、お互いの存在や、考えを俯瞰することはなく、日常の些細な〜そう、こういうパンデミックになって初めてわかる、そんなのどうでもいい、大したことじゃない〜ことに意識がいって、文句が出たりしがちになる。

当たり前の生活があることが当たり前の日々は、それに”感謝”することを忘れてしまいがち。それは、相手がそこにいるのも当たり前、ということに通ずるように思います。

”親がいなくなって、そのありがたみに気づく”なんていうのは昔からよく言われること。でもそれでは遅いですよね?

私たちの場合は、”当たり前が当たり前になって、感謝の思いを忘れる”、そんな日常を、何かしらの強制的な別居によって、リセットされて、一番大事な思いを 思い出させてもらっているように思います。今回も、そうだな、と。

ただ、今回は、”親としての役目終了”の時と重なったのもあり、これから、自分が何を拠り所に生きていくのか、というのを漠然と感じる節目にもなっていて、そんな時に 心に湧いてきたのが

”主人とともに生きていくこと”

だったのです。

彼は、今、上海入国後のホテル隔離中。隔離中には、こんなものがあったほうがいい、など経験しながらシェアしてもらっています。まだ何も動きがないので、目処は立っていませんが、もう少しかな、とその時が来るのを待っています。

まだまだ人生、今の時代、折り返したばかり。後半の人生を ”二人” で今までのより もう少し自由に 生きてゆきたいと思います。価値観も同じ、そして辛苦を共にしてきた二人の歴史、まだまだ続いていきます....

自分でも少し驚いた 自分に湧いてきた想いを 初めて整理し、書いてみました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Have a nice day♬

#自分にとって大切なこと


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