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2020年。亡くなったおじいちゃんから受け取った私の大切なもの。

2020年は、意外と新しいことを体感した年だった。

手放すことの楽しみを知ったし、自分の持ち物は工夫次第で楽しくできるとわくわくしているし、ざっくりと「生きる」を考え人を大切にしたいと考えた年だった。

髪の毛を染めた

周りの染まるのがいやで、ずっと染めなかった髪の毛。

でも、「この黒髪を守ったところで、何になるんだろう」と思って、染めた。

ずぼらなので、1月のあとに染めたのは11月、と年に2回しか染めなかったし、毎回「明るくなりすぎたらどうしよう、高いのに」などネガティブなドキドキ感はあるけれど、髪の毛を染めてからちょっぴり毎週の楽しみが増えたような気がする。あ、明るくなってきたな、とかね。

私の周りには、無意識に、もしくは、意識的に守り続けているものがあるはず。それを守り続けることが本当に大切なわけではなかったり、ただの意地だったりするならば、解放してあげたほうが新しいことに気づけて楽しいことが広がるんだな。

ロードバイクを始めた

あ、にわかです。

彼氏が所属する会社のメンバーから5万円でBianchiのロードバイクをいただき、2週間に1度くらいのペースでサイクリングするようになった。

「楽しい」より、「キツイ」気持ちの方が強いけれど(笑)、新しい景色をたくさん見れた。

今はロードバイクは頑張るためのものだけど、ロードバイクを「キツイ」で終わらせずに、自分の人生をもっと楽しむための手段として使う方法があると気づいたから、来年は乗り回したいんだ。この方法を使ったら、自然とロードバイクのスキルも向上するはずなんだけど・・・。これはまた別の項で話す。

おじいちゃんが死んだ

お母さんから「おじいちゃんが亡くなりました」と連絡が来たとき、「何でそんなふざけたことを言ってるんだろう」と思った。けど、さすがに言ってはいけない冗談だから、お母さんは事実を言っているんだと察して、「お母さんの嘘つき」と思った。

1週間前にお母さんが札幌に行ったとき、「おじいちゃんは元気だよ。おばあちゃんは・・・」と言っていたじゃんか。私にそんな嘘をついて、何になるんだ。何をしたかったんだ。

でも、本当におじいちゃんは元気なまま、逝ってしまったらしい。

2日前までゴルフに行っているし、行きつけの天ぷら屋さんで天丼食べているし、亡くなる前日まで日記を書いているし、亡くなる2時間前までいつもどおり足の悪いおばあちゃんに靴下を履かせて、お布団をかけて、「おやすみ〜」と行って、2階の自室に行っている。

その日だけ「おやすみ〜」のあとに、「じゃあね〜」と言ったらしいけど。

身内が亡くなるのは初めてで、今札幌に向かってもいいかわからなかったけど、飛行機に飛び乗った。いとこの到着を待って、警察署へ行った。遺体は警察署の遺体安置所に保管されることもはじめて知った。

おじいちゃんの顔は、最期までおじいちゃんだった。口角をあげて、口を開けて、私たちのお話を聴いて「そうかい」と頷いているときの、朗らかな笑顔のまま固まってた。笑ったまま人は死ねることも、はじめて知った。

はじめて参加した家族葬。お通夜でお着替えさせられている最中に「こんにゃろめ〜(笑)く〜すぐったいなあ」と言いながら起きるんじゃないか、と期待したけど、起きなかった。

お花を入れるときに、何年ぶりかにおじいちゃんに触れた。「遺体」に触れた経験もはじめてだった。「死んじゃうと、冷たくなっちゃうんだよ」と幼い頃にきいたことがあるけれど、それは本当だった。

真冬の玄関に並ぶ壺のように、おじいちゃんは冷たかった。わたしはそこでやっと、おじいちゃんの死を受け入れた。

結婚50周年を迎えるはずだったおばあちゃんを見た。「パパ、何しているの?どうして早く私を連れてってくれないの?」

そして母親を見た。祖母のそんな姿を横目に、これ以上大切な人が逝ってしまわないように、賢明にお世話をする母。本当に一生懸命だ。

そこから、生きることについて考えた。私はまだ、理想の死に方ではなく、幸せな生き方について考えたい。

おばあちゃんは、何があれば幸せな気持ちになるんだろう。

もし、もしもおばあちゃんまでも亡くなってしまったら、母は何をモチベーションに生きられるんだろう。「あ、私がいるじゃん」。娘の私がいるから、まだ生きようと思えるかもしれない。(私は70歳までは生きない、と言っているから違うかもしれないけど)

もし、私が今の状態のまま両親を亡くしたら、私は何になるんだろう、と思った。ありがたいことに今は彼氏はいるけれど・・・。

私も子供がほしいと思った。そして、親と祖母に見せて、みんなで笑いたい。人を愛したい。

おじいちゃんは、いろんな人から愛されていた。全ての人を愛していたから、愛した分だけ人から愛されている。

私の父が尊敬している人物は、おじいちゃん(自分の嫁の父)だ。

おじいちゃんが25年(?)通った天ぷらやさんで食事をしていたら「今日、お父さんいないんですね」と言われた。先週亡くなったことを話すと、「ええ!だって2週間前・・・」と、とても驚かれて帰り際に「お参りさせてください」と名刺をいただいた。

行きつけの八百屋さんも大変驚いていた。おじいちゃんが放った一言で、自分たちのスタイルを変えて、ここまでうまくいったのはおじいちゃんのおかげなんだと。そして、毎週のようにウチに野菜を届けてくれる。(おばあちゃん、歩けないからね)

今日(12/31)もお客さんが来て、おじいちゃんの話をたくさんしてくれた。「お父様にこのお話をして、何て言うか聞きたかったのに」と。

人を大切にするおじいちゃん。誰の話もうんうんと聞き、最後にどんと一言話し、それにみんなが感銘して、行動を変えて、幸せに向かっていく。みんながおじいちゃんのことが大好き。

ありがとうね、おじいちゃん。私も大切な人をうんと大切にする。し、私らしさをぎゅっと詰めて、大切な人を大切にした年な気がするよ。

雑なまとめ

もう少し振り返ることがあると思うけど、特に印象的なできごとはこの3つ。自分と、周りを大切に、手放せるものは手放して行きたい。

おじいちゃんのおかげで、私が一番大切にしたいものは家族だと気づいた。血縁関係があってもなくても、「家族」。家族をつくりたい。あったかい場所がほしい。そしてそれは自分次第でつくれる。つくりにいける。見出しにいける。それに気づいた今は、2021年という未来に向けてわくわくしてる。

今年が生き生きしていなかったとは言わないけど、過去を未来に落としこみながら、細かく計画を立てて、来年はもっとワクワクを形に仕上げた年にしたい。

メモ:私は前々から計画と行動フローに落とさないと動けない。から、細かく立てるよ。仕事が始まる前に。


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