人間ドックが好き。

先月、人間ドックに行った。

いつもはだいたい夏くらいに行っているのだけど、今年はコロナの影響で年度ギリギリになってしまった。時期はずれてしまったけれど、いつもと同じ施設で、いつもと同じように検査を受けてきた。

こう言うと、たいてい怪訝な顔をされるのだけれど、私は人間ドックが好きだ。年に1度だなんて言わずに、毎月行きたいくらい。

怪訝な顔をする人々は、たいてい「だってなんか見つかったらこわい」と言う。

確かに、自分の体の悪いところが見つかったらこわい。もう手遅れだったらどうしよう、なんてことを考える。検査中の先生が「ん?」なんて顔をすると、本当にドキドキする。

でも、もし検査を受けず悪いところがあるのを知らないでいられたとしても、その悪いところはなかったことになるわけじゃない。むしろ、よりまずいことになる。だから、こわくても、毎年きちんと定期検診を受けましょう。

そんな正論を言うと、相手はだいたいうんざりした顔をしながらも「そうだね」と肩を落とす。そんな顔をするなら、私が変わってあげたいくらい。

それから、相手はこうも言う。「時間がかかってめんどくさい」と。

それも確かにその通り。身体測定、血圧測定、心電図に腹部エコー。検査項目はいくつもあって、しかもそれぞれ部屋がちがっていたりする。はい採血はこっち、レントゲンはこっち、って感じに。

検査ごとに待ち時間もある。5分とか10分とか。1回1回はたいしたことがなくても、その細切れの待ち時間が積み重なると、かなりの時間になる。さらに「婦人科検診は午後から」みたいな決まりがあったりして、待ち時間が上乗せされる。実際に検査をしている時間より、圧倒的に待ち時間の方が多いと思う。

だけど、私はその待ち時間がすごく好きなのだ。

当日は、たいてい本を持っていく。今回は宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」。この日のためにずっと楽しみに取っておいた本だ。それを最初は細切れの時間の中で、そして全ての検査が終わった後の結果が出るまでのまとまった時間の中で、読む。静かで清潔で、快適な湿度温度に調整された室内は、読書をするのに最適な環境だ。

適度に人気があるのもいい。周囲の人々は無言で、私のように読書をしたり、字幕表示のテレビを眺めたり、あるいは何もせずにじっとしたりしている。みんな同じ検査着を身につけているのもいい。誰もが健康や老いの下には平等なのだ、という気分になる。最小限の動作や言葉で業務をこなすスタッフの方々の存在にも安心感を覚える。静かに穏やかに機敏に働く人の気配が、私は好きだ。

集中できる環境のおかげで、小説の言葉はするすると私の中に取り込まれ、深く早く染み渡り、全ての検査が終わる前に、一冊の本を読み終えてしまった。健康によいおいしい食事を終え、休憩室に置かれたリクライニングチェアでまどろみながら、さっき自分の中に侵入させたばかりの物語を反芻する。「天国」と、簡潔に、私は思う。

午後、検査結果が出て医師との面談に呼ばれる。今回は秋から地道に続けていた生活習慣見直しのおかげで検査数値がだいぶ改善され、先生にほめられた。とても嬉しい。

一年後の人間ドックも楽しみだ。

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