自分のストーリー

久々のnote更新


離れていたnoteを再度書くことにした。
最近、モヤモヤが解消されないから。そろそろ吐き出しておかないと。
就活で想定よりも厳しい現実を突き付けられたからだろうか。

出遅れたというか漫然と就活に突入し、数回ケース面接をこなしたのみ。

でも、「就活どうにかしなきゃ!」「対策頑張ろう!」とはならない。
収入にも肩書きにも欲が出ない。
自己実現の方向性と一致しないからだろう。

甘えなのかもしれない。逃げかもしれない。
まだ自分が「何者である」かのように錯覚しているのかもしれない。

とにかく、モヤモヤが拭えない時にはストーリーに縋る。

ストーリー

自分の人生はストーリーだ。
大きなストーリーの中に小さなエピソードがいくつもあって、過去の意味付けは今の自分の考え方、環境によって解釈が変わる。

夏休みということもあって、高校時代の同期、後輩、先生方、そして小学校の同級生ともご飯に行く機会が多い。こういう場合の会話は自然と、過去と今を紐付ける方向性になる。

その紐付けは無理矢理なものかもしれないし、後から見たら小さいこと、もしくは当時何とも思っていなかったことを過大評価しているかもしれない。

しかし、歴史解釈や語られ方が時代や地域によって異なるのと同じで、今の自分が語るストーリーは昔や未来と異なって当然だし、今抱えている将来への悩みは過去という文脈がないと考えることが出来ないと思う。

今回は、自分の過去を今の自分なりの切り口と解釈で語ってみたい。

ちなみに、本文中に登場する「競争」については次回記すことにする。

無意識な勝者

小学校の頃とても恵まれていたと思う。サッカーチームに属していたからか何となくクラスの中心にいられる。某大手塾の1番上のクラスから一度も落ちることなく、受験は全勝。足が速いわけでもないのにバレンタインにはそこそこチョコがもらえる。応援団長、学芸会の主役、委員会委員長。

今思うと、親が用意してくれた環境もあってか何か犠牲を払ったという意識もないし、だからこそ何かを勝ち取ったという感覚すらなかった。無意識のうちに学校内の立ち位置や勉強というヒエラルキーで頂点にいた。

この時は楽をしていたから競争に身を置いているという自覚がなかった。勉強は褒められることしかないし、自信、というより合格する未来しかなかったから重圧もない。

塾講師のバイトで小学生に接していると、クラスの上下に敏感に反応したり、親に怒られることを気にしている生徒の何と多いことかと思う。そして目立つ生徒がいる一方で表情から感情が読み取りづらい生徒も多くいる。

彼ら彼女らの方が、「競争」に迫られて生活しているように見える。しかし、大人に褒められたい、あの子に勝ちたい、目立ちたい。そういった欲求があれば努力する上で内外に在する動機が一致しやすいのではないか。

ポジションがない

中学校に入って勉強の優位性は当然失われ、サッカー部キャプテンや応援団長を務めたとはいえ、強烈な個性は発揮出来ずリーダーとしての才覚も不足していることは明白だった。(最大の行事である文化祭では事務に強い人として会計を務めることとなった。)

何かに打ち込み、(閉じられたコミュニティの中ではあるが)トップになろうとすることがなかったのは、トップになりたいというモチベーションを小学校時代から持ったことがないからだろう。無意識の弊害だ。

この時はとにかく楽しかった。中高一貫校の中学生として、閉じられた環境で自由を謳歌し、電車通学だからか自分が大きくなったような気がしていた。サッカーと行事のことだけ考えていれば良かった。

競争の階層・ピラミッドが存在すること、自分が競争を強いられること、そして世界はオープンであることなどにはまだ気付いていなかった。同質性の高すぎるコミュニティなのだから仕方ないといえば仕方ないのだが。

もや

そんな僕の心の中に明確に「もやがかかった」時期がある。高校1年生だ。

サッカー部では外部コーチとソリが合わず、はっきりと嫌い合っていた。勉強も基礎の定着を疎かにしたこと、そして自分のセンスを過信してきた甘えが徐々に成績に反映される。

つまり、役職や部活を通じて得ていた学校内でのポジションの土台が大きく揺らぎ、勉強という意識せずとも勝ってきた競争でも滑落し始めたのだ。

どちらも自分の努力次第でどうにか出来たことだ。閉じられた環境の中にいれば無意識的にでも競争で生き残らなければならない、とか自分に負荷をかけなければとか思ったのかもしれない。

そんな時、Twitterを通じて学校外の趣味友達を作った。大学生を中心としたハロプロヲタク、そして同年代のFC東京サポーター。高校や塾の閉じられたコミュニティの外に出ることで自分が解放された気がしていた。

高1から高2にかけて、学校内で自分が暗いオーラを放っていたことは周囲から見ると明確らしい。今までそうであったはずの自己から乖離した自分の現状を受け入れられず目を背けていたのだ。

この時の自分を否定するつもりはない。マッシモ監督時代のFC東京には夢を見せてもらったし、半月板を怪我してどん底のメンタルの自分を救ってくれたのはアイドルであり、現場で会ってくれる友達だったと思う。

しかし、自分が中1以来、いや、小4で塾に通い始めてから身を置いてきた勉強という一つの競争階層(これはそのまま就活ヒエラルキーに置き換わっていく部分があると思う)を外から見たことで、うまく言葉に出来ない虚無感が心を支配した。

離脱

大学受験。今思うと自分が戦ってきた階層から離脱する良い機会だった。

自分の時間が増えて、サッカーそのもの、そしてその周縁として自分が位置付けた分野の勉強は進むようになった。自分が学びたいことを学ぶ、あるいは同志の友人を得るには必ずしも勉強・学歴という階層でトップにいる必要はない。

ただ、そんな自分をもう1人の自分を使って観察する余裕はなかった。東大か医学部を目指す以外の選択肢なんてあの学校にいたら正直見えない(最近は海外大も増えてるのかな)。予備校に通っていたから最低限は勉強したけど、運に身を委ねるレベルにしか達しなかった。

深刻な自己肯定感の低下から鬱状態に入っていたし、東大に入れずとも、大学入試が終わったことに安堵したことはとても覚えている。

精神が疲れ切った僕は大学に入って別のことにチャレンジしたい、という動機で起業家支援サークルに入った。スタートアップでインターンもした。

しかし、「行動力」「成長」というワードに違和感があった。僕には課題を自分ごととして捉えて解決してやろう、と思えるほどの原体験や幅広い世界を見た事がない。そしてビジョンに心から共感出来ないと自己投資のためと思って働くことも出来ない。

サッカーコーチは1つの自己実現の形であったことは間違いなく、それがインプットの広さと深さに繋がり、現場での実践も日々アップデートし一定の成果を残している要因だろう。

自覚がなかった時、立ち位置を見失った時、気付いてしまった時、既存の競争で負けた時。学生としての自己実現を意志を持って達成した時。

これらを経て次の選択だ。思い切って起業したり友人と違う進路を選ぶことなく、違和感を抱えながらも保険をかけて自分が属する階層の中で生きてきた。

階層から離脱するか。それとももう一度階層で逆転するか。いずれにしても勇気と努力が必要だ。どっちつかずで消費した10年と決別し、もやを取り払うことは出来るのだろうか。

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