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『人魚姫』はもう古い?!時代と共にアップデートされてきた人魚姫のテーマ

この記事は以前に書いた記事をバージョンアップして書いたものです。

この記事は、アンデルセンの『人魚姫』で描かれている心理社会的な問題を取り出しています。
そして、同じ人魚姫を扱っている話の中から、ディズニーの『リトルマーメイド』と『トロピカルージュプリキュア 』の2作品を取り上げ、人魚姫のテーマがどのように変化しているか、あるいは変わらずに描かれているのか比較をしています。

人魚姫のテーマと現代人の課題

本題に入る前にお聞きしたい事があります。あなたは人魚姫という話に、どのようなテーマがあると思いますか?あるいは、どのようなイメージを抱いているでしょうか?

魔女に声を奪われてしまうこと、泡になって消えてしまう、などが浮かびやすいかなと思います。どちらも象徴的で大切なシーンです。

しかし、僕が考える『人魚姫』の最大のテーマは【越境】です。人魚姫は海の世界から地上の世界へと境界を超えます。故郷を離れて、まだ知らない土地に憧れを抱き、その土地へ足を踏み入れようとします。越境は人魚姫だけの問題ではなく、様々な国や文化と関わらざるを得ない、現在を生きる私たちに重要な視点を与えてくれる物語だと思うのです。

もう少し具体的に言うと、言葉の通じない国や地域に行くことと似ています。陸に上がった人魚姫が声を奪われるたように、日本語しか話せない人が英語を学ばずにアメリカに行けば、たちまちコミニュケーションが難しくなります。これと似ています。

今では国同士や文明、文化が交流しお互いに理解が進み文化が発展しています。異国の人達とも友好的に関わることが出来る事が増えています。

しかし、そんな現代においても、余所者に対する警戒心や敵対心が強い人や文化があります。それはどこの地域でも同じだと思います。
様々な地域で起きてきた戦争も、よりプリミティブな感情を辿れば、そういった知らない人や文化に対する恐怖心や警戒心なんかが発端になっているのではないでしょうか。

日本人が麺類を食べるときに音を立てる行為を、
いわゆる「ヌーハラ」だと感じる外国人のイラストです。

まして、アンデルセンの人魚姫が刊行された19世紀では、交易が盛んになっていたとはいえ、他所から来た人に対し警戒したり、偏見の目で見るなど風当たりは今よりも強かったのではないでしょうか。

そんな時代に女性が異国の地で安心して安全に暮らしていくためには何が必要だったでしょうか。それは、『王子様的』な存在です。パートナーとして自分を選んで庇護してくれる存在を見つける事です。今でこそ女性の社会進出が当たり前になりましたが、当時はまだ女性には強い権利がなかった時代です。男性パートナーの庇護なくして生きていくことが難しかったであろうと想像します。

特にアンデルセンが生きていたような19世紀では、男性からの愛を手に入れなければ、人魚姫のように死んでしまう運命というのが容易に想像出来ていたのではないでしょうか。実際に生活が困難になる例がいくつもあったから、人魚姫のような話が出来上がったのかもしれません。

そんな異国の地に足を踏み入れる体験を描いたファンタジー作品が、時代を経るごとにどのような変化を遂げてきたのか見てみたいと思います。

平成の人魚姫

では、アンデルセンの100年以上もの時が進んだディズニー版の人魚姫『リトルマーメイド』では、どのような違いがあったのでしょうか?

人魚姫とリトルマーメイドでは、王子と添い遂げる事が出来た点で結末が違います。それから、王子と
出会う前から地上への憧れを抱いていた点でも異なります。

『歩ける走れる日の光浴びるの』

映画『リトルマーメイド』の劇中で使われた楽曲パートオブユアワールドの一節です。『リトルマーメイド』の象徴が現れている歌だと思います。歩ける走れるという言葉から、足が連想されます。足は立つこと、つまり自立が象徴されています。

それだけではありません。『リトルマーメイド』の細部を見ると、恋愛の話に隠れて描かれているテーマがあることに気がつきます。どこからテーマを見つけたのかと言いうと、『人魚姫』から『リトルマーメイド』に何が足された要素であるかを考えると見えてきます。

それは主人公アリエルのバックグラウンドです。どんな背景を持った主人公であるのかをより詳細に具体的に語ることによって、作品が扱うテーマを描くことに成功しています。

『リトルマーメイド』の世界では、人魚の王女が主人公です。自分の住んでる海の世界以外にも世界がある、見てみたい。そんな好奇心に突き動かされて地上への憧れを膨らませていく姿が描かれています。
海に落ちている謎の物体を見ることで空想したり、拾った遺物をコレクションしていることなどからも見て取れます。

そんな王女は、周りの世話人や大人たちから外の世界は危ないと聞かされて育ってきました。嵐の夜に王子を助けて、実際に外の世界と関わったことで、外の世界に対する恐怖心が低下し、自分は地上でも何とかなるかもしれないと、自信が生まれます。

陸は危険かもしれないという不安な気持ちと、外の世界に対する憧れや好奇心が強くなり気持ちが揺らぎます。しかし、憧れがいよいよ暴走してしまい、国家転覆をたくらむ魔女にその望みを利用されてしまいます。周りの人が反対しているからと、自分の欲望を押し殺そうとしますが、欲望のしっぽを掴まれてしまっているので膨れ上がった欲望を叶えようと動いてしまいます。

外の世界での生き方とその描き方

足を得た主人公が初めて地上に上がる場面、自分の足で地面の上を歩くシーンは感動的に描かれています。

『歩ける走れる日の光浴びるの』

パーオブユアワールドの一節を改めて引用させていただきます。『リトルマーメイド』は、この歌詞に重要なテーマが込められている気がします。

たとえ未熟であっても自分の意思で自分の人生を動かす事の美しさや尊さが演出されています。演出に着目すると描こうとしているものがより顕著に見えてきます。

完成された大人になって自分自身で生活を成り立たせるという意味での「自立」には程遠いのですが、声を奪われでも尚、他の人たちに助けられながら未知の土地で何とか生活していきます。そして最後には王子様と添い遂げ、呪いも解けて声を取り戻し、親の許しを得て地上で暮らしていくことを決めてこの話は終わりを迎えます。

この話は、初めは言葉も分からないなりに異性と付き合い、コミュニケーションをとっていくうちに言語をある程度獲得し、親の許しをもらった国際結婚まで至った現代のカップルを描いているように思います。

アンデルセンの『人魚姫』では、人間の世界で王子様と添い遂げる事ができず、元の世界にも戻れなかった人魚姫は泡になって消えてしまいます。境界を越えるという事は、死を覚悟して行う冒険であった事が伺えます。
それが現代になり、より多くの人が異国の地でもハッピーエンドのイメージを描きやすい世の中になっていると言えるでしょう。この部分に関しても時代の変化が反映されてるという事ができるかもしれません。

まとめると、リトルマーメイドでは王女として親や家臣から庇護されてきた立場の女の子が、自分の考えで親元を離れて、一人で生きていこうとする自立のテーマが新たに加わっていたことを最初に挙げました。
そして、異国の地でも自分の力で生きていけるし、いつかはパートナーを得られるだろうという、より明るい未来を描きやすくなっていることが描かれていました。

令和の人魚姫は何を語るのか

最後に令和版『人魚姫』として、プリキュアが描く人魚について語ってみたいと思います。

トロピカルージュプリキュアの説明

昨年度放送していた『トロピカルージュプリキュア』には人魚姫がいます。メインストーリーの流れが人魚姫になる事が予想されました。(※元の記事の公開時期はまだ当該番組は放送中でした。)

プリキュア を知らない方のために、簡単に説明致します。どこかの異世界が危機に瀕している時に、その窮地を救う存在としてプリキュアに白羽の矢が当たります。そして異世界のマスコットキャラクターが人間の世界に助けを求めに来るところから始まります。

日本の女子中学生と陸に上がった人魚が交わり、どんな成長を遂げるのか、どんな課題にぶつかるのか、どんな運命を切り開いていくのか、それが今の私たちとどのように関係しているのか、そこに注目していきたいと思います。

今回の『トロピカルージュプリキュア 』では、海の世界が魔女に襲われているという状況から始まります。そこで海の女王が、娘の人魚ローラにプリキュアを探しに行く事を命じます。そしてローラ姫は地上にやってきて、主人公達と出逢います。

ちなみに、ローラ姫は人魚の女王からプリキュアを見つけるミッションが与えられており、それが達成されると自分が王位継承権を得られる約束になっていました。当初はその目的のために頑張っていました。最初の段階では、地上に来た目的が自発的な欲求から地上に上がったのでは無いところが、これまでの『人魚姫』や『リトルマーメイド』とは異なります。

しかし、プリキュア となる人間の女の子たちと交流し、親密度が増していくことで、人間の視点を通して地上の世界を知っていきます。

(そして、視聴者である私たちは人魚の視点を通して、私達が過ごしている何気ない日常の世界が、素晴らしいものであるという事に気付かされるという仕掛けになっています。)

さて、ローラは徐々に地上の世界に憧れを抱くようになります。成り行きでアンデルセンの『人魚姫』のように魔女と交渉する流れになります。このシーンでローラは地上に憧れを抱いていることを魔女に知られてしまいます。地上で歩ける足を与えられる代わりに、自分の仲間になることを要求してきます。

そこでローラは自分の気持ちを自覚します。それまで、自分自身も見て見ぬふりをしたり、その気持ちを否定したりして誤魔化していましたが、この件で自分の気持ちに直面させられ、密かにそれを受け入れます。ちなみに、このタイミングでローラ自身がプリキュアになって戦いに参加することになります。自分の意志で戦うことを決め、地上で歩ける足を手に入れます。しかも声は失われません。

魔女から仲間になる要請を断ったローラは、王女からも同様に地上に行きたいかと気持ちを尋ねられます。既にプリキュア を探すミッションは達成したので、地上にいる理由はもう無いのですが、女王からまだ地上に行きたいのかどうかを改めて問われます。そこで、ローラは女王にプリキュアとなった少女らともっと同じ時間を過ごしたいと伝え、許しを得ました。

越境とその後

さて、ローラは足を手に入れますが、他の人間のようには上手く歩けないどころか、これまで得意であった泳ぎも苦手になってしまいました。

堺を超えた側の住人になる事で、これまでの生活には簡単に戻れなくなるという事が表されています。心が折れて一度は泳ぐことを諦めかけますが、努力によりどちらも克服されました。卑屈にならず、前向きに努力する事で道が開かれているのです。

アニメでは、絵本などでは描かれにくい努力する場面が描かれていました。魔法の力でパパッと解決せずに、自分の力で解決する事が尊いんだと伝えている気がします。

令和では、強い意思と覚悟と行動によって越境の苦難を乗り越え、素晴らしい仲間と経験を手に入れることができるというメッセージを伝えていました。

今回は3つの人魚姫の比較をすることで、同じテーマの描かれ方が時代の変化とともに変わってきていることをお伝えさせて頂きました。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


ちなみに元の記事はこちらです。

小説も書いてみました。

心理学と精神的な発達に関係するもの。


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