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私の内側からきた娘

Because I'm from your tummy.
I was in inside of you.

娘と2人でお出かけ中に、なんちゃって英語で会話をしていたら、ふいに言われた言葉。

何についての話をしていたのかを思い出せないのだけれど、何かについて私が、
「Why do you understand inside of me?
なんで私の内面(考えていること)がわかるんよ?」と尋ねたら、瞬時に冒頭の応えが返ってきたのだ。

英語で即座に応えられることにも驚いたけれど、「なんで私の内面がわかるんよ?」の問いに、「だって、私はお母さんのお腹から来てんもん。お母さんの内側にいてんもん」と瞬時に応えたその発想に、何より驚いた。「ほんまやな。確かに。めっちゃ説得力あるわ」と思わず頷いた。

誕生日を迎えて10歳になった娘。10代の若者である。もうすっかり、大人に片足を突っ込みはじめている。

服は自分で選ぶけれど、キラキラふわふわしたものではなく、基本的には白、紺、青系のシンプルなデザインのもの。この年頃の女子にしては地味なような気もするけれど、センスは悪くないと思う。

仲の良い友人は何人かいるようだけれど、この年頃の女子にありがちな、四六時中ずっと仲良しグループで行動するタイプではない。自分が遊びたいときには遊ぶけれど、ひとりでいたいときには、誘われても一緒に遊ばない。みんなと同じ空間にいても、ひとりで本を読んでいたりもする。

小さい時からずっと変わらずの本の虫で、何でも読む。小説、伝記、歴史本、科学本、図鑑、古典、フィクションノンフィクション、マンガ、ジャンル問わず、本当にいろいろな本をたくさん読んでいるので、最近の彼女の知識量は、おそらく既に、私と夫を越えている。知識ばかり増えて頭でっかちな部分もある。それでも、実際に目にしたものや起きたことと、頭の中に持っている情報を繋ぎ合わせて、「あ!そういうことか!」と納得している姿を見ると、知識を実体験を通して確実に自分のものにしているのだな、と感心させられる。

小さな頃は、人見知りが激しく、初めてのことにはすぐにチャレンジしようとしなかったけれど、最近は初対面の人とでも物怖じせずに話ができるし(人見知りがなくなったわけではないが)、自ら新しいことをやりたいと言い出すことも増えた。来週は、初めてのミュージカルのサマーキャンプに参加する予定だ。知っている友人もいないし、もちろん全て英語のプログラムだけれど、それでもやってみたいと言う彼女のたくましさが、とても頼もしい。

そんな反面、弟と遊んでいるときにはギャイギャイやかましく、こどもっぽく意地悪でずるい面も見せる。弟に対して非常に冷淡すぎる態度を取ることもしばしば。それは、私が娘にそういう対応をしていることの表れで、娘はそれと同じことを弟に対してしているのだろう。母、反省。

兎にも角にも、最近、心身ともに急成長している娘。きっと、日本にいたら、友達と過ごす時間が多くなり、私からどんどん離れていっていただろう。そういう年齢だ。
しかし私たちが今いるイギリスでは、こどもはこどもだけで自由に遊んだり出かけたりできない。厳密に言えば10歳以上は問題ないのだけれど、10歳の女の子をひとりで出かけさせるという人は、聞いたことがないし、やめておいたほうがいい、と言われる。私自身、やはりそうさせるつもりは、今はまだない。
本来なら母親から離れていくであろう年齢に差し掛かっていても、もう少し、彼女を近くで見ていられる環境が、今の私にはある。娘にとっては、うっとうしいだけかもしれないが、母である私にとっては、有難いことであると思う。見たくない部分もあるけれど…

彼女のこれからの成長を、変化を、あまりあれこれ言い過ぎずに、静かに見守っていこう。いや、静かでいられるのか、私は…