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たぶん大丈夫、ずっと


ananのインタビュー

憶測が憶測を呼び
かくいう私も憶測の元のひとりでございました
今となっては、あまり憶測を垂れ流して周りを巻き込んで不安にさせてしまうのも考えもので、反省もしていたり

さや香は決して修繕不可の不仲ではなく、あくまで両者が寄りかかりすぎず個々で自立出来ているコンビであると頭では理解しつつも、どこか勝手に心配してしまう自分がいて

今回の一件で沢山のマシュマロをいただいて
皆さんそれぞれ私の感想への共感であったり、或いは考え方の相違であったり、どちらにおいてもさや香への愛をひしひしと感じる文章を送ってくださってとても嬉しかったです
この場を借りてお礼させてください
本当にありがとうございました

そんな皆さんの考えも踏まえて、やっと自分の思考がまとまってきたので、書きに来ました

話の核は、m1用のコンビの話です

これはまず、今まで新山さんから聞いてこなかった話で、新山さんにとってのさや香というトピックにおいてまだ出されていなかった手札があったのかという驚きが先に立ってしまったがゆえに言葉の本質を的確に捉えることが出来なくてより混乱してしまったのかなと今では思います

同時に、ポジティブにもネガティブにもとれる発言、というか

私はいつも努めてなるべく冷静に文章を書いているつもりなのですが、根底はとんでもないネガティブ思考な人間なので思考の方向は常に後ろ向きで
m1用のコンビという強烈な単語と同列に、今後m1に出るつもりはない、そして東京に出て個々の仕事が増えれば何かが変わるかもしれない、という言葉が並んだことで、それは要するに、と答えを急いでしまった節があります

売れるためにはm1しか術がなく、そのためには漫才をしないといけなくて、そのためにさや香というコンビが生まれた

これが曲解でも、恐らくそうであるのでしょうが、たとえば合っていたとしても
今さや香がさや香でいてくれているのが答えなのだろうなと最終的に思いました

新山さんは至極、合理的で、自分を客観視できる人で、誰にも劣らない才能もひとりで這い上がる脚力もある、それに加えてm1で知名度まで手にした、そんな新山さんがこの節目で石井ちゃんを手放すことなくさや香として東京へ行くことを選んだということは、今新山さんの目の前に袂を分かつという選択肢はないのだろうと

今まではm1用のコンビだったとしても、さや香にとってm1が100だったとしても、さや香のm1への挑戦がたとえ終わったからといってさや香の存在意義が無くなるわけではなく

新山さんは確かに石井ちゃんの存在の稀有さ、貴重さを認めていて、石井ちゃんも然りで
二人なら、今後もさや香がさや香であり続ける理由を見つけ続けてくれるのではないかと思いました

そもそもあの言葉をポジティブに受けとった方々からしてみれば何をそんなに騒いでいるのか、取り留めのないツイートを目障りに感じた方も絶対いらしたと思うので、そこだけは本当にずっと申し訳なく思っています

ここからは卒業公演と絡めた話なのですが

石井ちゃんが考えたネタを新山さんが楽しいと思えたこと、それを共有してくれたことに痛く感動しました

ネタを書くことに矜恃があるはずなのに、石井ちゃんのネタで漫才をすることを許容して、そればかりかそれを楽しめて
さや香の可能性や将来は、私の思う以上にずっと大きく広がっているのだろうなと思いましたし、それと同時に、さや香はどんな形をとっても漫才というものを愛しているのだなとひしひしと感じられて

それが新山さんの言うm1用のコンビである所以なのかもしれないと、さや香とってm1が100だったというのにもやっと本心から納得出来た気がしました

彼らが漫才を愛しているからこそ彼らの漫才には人の心を動かす力があるんだろうな

それだけ今まで漫才が全てだったからこそ、心血を注いできたからこそ、これから先も芸人として生きていくために今さや香の振り幅を本人たちが知っておくことの大切さもわかるので、新山さんの言う漫才の比重を一旦下げるという旨の言葉の意味も理解できたのではないかなと思います

何よりも、さや香に対して勝手にファンが抱く不安を、どんな言葉を尽くすよりも漫才をしている姿や彼らが考えた企画など、笑いに対する姿勢で払拭してくれるさや香があまりにもずっと変わらなくて、本当に大好きです

さや香、結成10年間おめでとう
ずっとこれからも
一生さや香で笑っていたいです

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