当たり前の話

研究は疑いを持って

このところ私の術理はわかりにくい、という評価を受けています(笑)。
わかりやすい説明は多くの人に喜ばれ、技や教えを広めるためには必要となりますが、私の興味はとにかく、一歩でも前、奥へと入っていく事。
ついつい、説明は後回しになってしまいます。

手を合わせてみれば、そこに必ず見つかるもの、それが身体です。
これまでへそ下にオバケを感じる等とふざけているように思える術理も作りました。
また、目の前に「フ」を並べ、それが先に相手へと届くようにとしたものもあります。
簡単に信じられるものではない、とはわかっています。私だって、こんなんでいいかな?と疑いを持って研究しています(笑)。

ただ、ふと思いつく「その感じ」に従うと、それに合わせて身体が変わり、動きが変わります。
結果として、これまで出来なかった動き、それも、想像もしなかった動きが現れます。

潜在能力ではなく、標準装備

これは身体が持っている潜在能力。
いや、潜在能力、なんて言葉を使うとまたこれも、大切にされがちです。選ばれた人しか使えない、というイメージを持たせます。

潜在能力ではなく、標準装備。
これならきっと、俺もあいつも持っている、と思ってくれるでしょう。
どれだけ怪しく見え聞こえても、私が伝えるものは全て、「標準装備」のものです。
ちょっとだけ、自分の身体に目を向けてくれたなら、きっと、感じ取ってくれはず、そう信じています。

当たり前その1 繋がり

相手と私を結ぶもの

今日は怪しい話から一転、当たり前の話をします。
その当たり前とは「繋がっている」というものです。

糸電話が初めて世に出た時にはきっと、大いに驚かれたでしょう。
しかし、紙コップと紙コップの間には糸があり、原理を学んだのなら、それを普通、当たり前、と思えるようになるはずです。

遠くの人に声を伝える。
人にとってその思いは強く、電線から無線へと技術は進化をしていきました。
電話と電話を結ぶ線は無くなり、その間を電波がつなげます。
理屈を理解し、納得して使っている人はどれだけいるんでしょう。
そんな中身を意識しなくても誰もが電話を使う事が出来ます。
繋がっているように見えなくても、繋がっている。
電波がその間を結んでいるからです。

何かがあれば何かが起きる。
人と人との間にもそのコミュニケーションを求めてきたはずです。
言葉は糸電話の糸になりうるものです。
言葉を駆使し、納得して扱えるようになれば、どれだけ、他者と結びつきを感じられるようになるでしょうか。

武術の世界は欲深く、言葉以外のコミュニケーションを求めました。
武術が命のやり取りとして必要とされていた時には、その言葉ではないコミュニケーションも間合いや気、として大切にされていたはずです。
しかし、今、多くの武術武道は組織型となり、感覚よりも言語を大切にするようになりました。
「微妙な感じ」を大切にする機会が減っています。

今回の発見で、他者との間柄を繋がりではなく、敵対から始まってしまう事の危うさを感じるようになりました。
改めて、繋がりのありがたさをこの身で感じなくてはダメなのだ、そう確信をしています。

相手と私を探る前に自分自身の中を

私たちの身体はつながっています。あまりに当然すぎて誰も疑わないし、議論にも上がりません。
しかし、そのつながりを生かしているかどうか、というとどうやら全く、全然、あまりに勝手に過ごしすぎている、とわかりました。

繋がりを表しているもの、その一番手が「骨」です。
内臓や細胞ももちろんつながっていますが、その働きは感じにくいものです。
しかし、骨ならばそこに「衝突」を感じる事が出来ます。
ちょっと丁寧に骨を観察してみたならきっと、間違いなく、そこに「繋がり」を感じられるでしょう。

知っているけど、わかっていない

ちょっと厳しい事を言います。
世の中に専門家はたくさんいます。
骨のつながりは思い、想像、イメージでは変わりません。
厳密にそこに、物体としての骨があり、それがつながって身体の土台を作ります。

そして「こんな事ぐらい」、専門家は知っているのです。
しかし!にもかかわらず、今、「私が言う程度の事」もせずに動いています。

私の言う事がレベルが高いのだ、とほめてくれる人もいます。
しかし、それは間違い。まぁ、へそオバケやフの術理はレベルの大小は置いておいて、「変」である事は認めます。
しかし、骨の繋がりって、「当たり前」なのです。それを知っているにも関わらず、使わない、ってあまりに雑な生き方を現代人がしている、と思うのです。

昔は自然と学んでしまった

知識は積み重なっていきます。
解剖をすれば「そこにある」ものが分かります。
解体新書の時代から、人間の身体はそんなに変わっていないはず(笑)。
骨はずっと、そこにあり、使われてきました。

解体新書が出てくる前だって、私たちは動き、働いてきました。
機械もなく、全てを人力で成し遂げなくてはいけない時代。
この時代に生きれば、頭に入る知識がなくても、生きていくだけで身体の動かし方を学べたはずです。

私たち人類にとって、その人力頼りの時間が多くありました。
その上で頭が働く、知識的な人たちが様々な思考をして、知恵を学問として言葉に残してきました。
ただ、まさか、こんなにも「普通の人」が人力から離れる世界が来るとは夢にも思わなかったはずです。
身体の動かし方を学べず、忘れてしまっても、知識は残りました。
その知識に偏ってしまった結果、当たり前の事すらわからなくなっていたんだなぁ、と反省します。

具体的に骨を辿ってみる

腕の構造をちょっと話します。
骨的には鎖骨があり、肩甲骨があり、上腕骨へとつながります。
肘から先には尺骨橈骨の二つに分かれますが、これはまた後、次の当たり前として話をします。
今日は肘までのつながりを話します。

骨的に見れば腕の始まりは鎖骨になります。
何となく肩から先を腕だと思ってしまいがちですが、これでは腕の持つ力を発揮できません。

多くのスポーツ、武道で肩甲骨の滑らかさが伝えられるようになっています。
スポーツの世界にとどまらず、肩こり対策として、肩甲骨剥がし、と呼ばれる手法も出てきました。多くの人が肩甲骨の大切さを知っています。
しかし、その前にも鎖骨があるぞ、と忘れてはなりません。

世に肩甲骨が動く人はたくさんいます。
何をするにしても、柔軟性はメリットになるのでしょう。
肩甲骨を自由にするトレーニングを欠かさない人は多いし、実際、メリットがあるのです。やる気が出ます。

ただ、私の肩甲骨は超固い(笑)!
見た人は皆、驚きます。しかし、この程度のものであっても、肩甲骨は肩甲骨としての仕事はします。困らず、生きているし、むしろ、驚かれる事も増えました。
こんなに肩甲骨が固いのに崩されるだなんて、そんな思いもあるかもしれません(笑)。

高い身体能力は要らない

今日の当たり前の話に高い身体能力は要らないのです(笑)。
あればいい、それが「標準装備」という事です。
鎖骨があり、肩甲骨があって、上腕骨がある。これが「繋がっている」。
これを認め、そのように力を流して使う。それだけでこれまで頭がダメダメ、無理無理、といって諦めていた動きが現れてくるのです。

この無理という動きはちょっと考えて無理、というレベルのものではなく、一生懸命、人生を何かの競技にかけて生きている人がたどり着いた先にある無理というレベルにも通用します。

なんだ、こんな簡単に!!!
と思うかもしれません。
そして、これがまた、ショックなのです(笑)。
何十年も一生懸命取り組み、その中でぶつかった壁が、繋がっているという当たり前の気づきを得てみたら解決をしてしまった、そんな体験になるかもしれないからです。

胸鎖関節→鎖骨→肩甲骨→上腕骨→肘

胸鎖関節という部分があります。のどの下に見つかる鎖骨の端です。
鎖骨は胸骨とつながっています。まずはこの胸鎖関節をスタートして動きを探ります。

胸鎖関節を意識して、その意識をまずは鎖骨を通って外へと行きます。
身体前面の端が肩甲骨。この時、外だから、といって肩を超えて肘に行かないようにします。
まずは鎖骨を通って、身体前面を中心から外へと力を流します。
肩甲骨に入ったと同時に次には内側へと戻ります。
首をすぼめるようにして、ちゃんと、激しく、大きく、目立つように肩先から内側へと力を戻します。

肩甲骨は三角形をしています。
内側に戻った力は肩甲骨の形に従い下へと流れて勢いを得ます。
くるりと回ってみると自然と上腕骨にはいり、肘へと「降りていく」ようになります。

最初はついつい、動かしたくなると思いますが、重力に従えば、自然と力は肘へと流れ落ちるようになります。
この時の気持ちよさ!これを知らずに生きてきたのか・・・と本当に反省ばかりが先に来ました。

地味な気持ちよさ

気持ちよさ、と書きましたが、もう、これは本当に地味で、水が高いところから下へとおりた、ただ、それだけの事です。
しかも、その水路は複雑なものではなく、ただ、鎖骨を流れ、肩甲骨で戻り、肘へと溜まるというだけのもの。
日ごろ神仏の加護、スピリチュアルな刺激で毎日を過ごしている人からすれば、当たり前すぎてまったく、喜べないかもしれません。
しかし、これが身体なのです。

この身体は当たり前なもの。
筋肉は多少の形の変化をしますが、多くの身体は備わったものをそのまま生かす事で一生を終えます。
この時、持っている身体をちゃんと、求められる働きを発揮している、出来ている、と自覚できていたとしたらきっと、喜び一杯で生きていけるはずです。

当たり前な話であっても、こうして言葉にしてみるとやはり、めんどくさく、厄介になります(笑)。
繋がっている腕を自覚するのに、必要なものも場所もありません。
いつでも、どこでも、思い立った時に探れるもの、それが腕です。
ついつい、複雑な技の練習をしたくなってしまうかもしれません。責任を得て、一生懸命な人ほど、実践に沿った練習を必要とします。

ただ、それでも、ちょっとだけでも、身体そのものもつ働きにも目を向けてみて欲しい。そう思いながら書きました。
どうぞ、勝手に、自由に、今、ご自身が持っている腕を観察してみてください。

下記の稽古会には私もいます。
ぜひ、この「当たり前」な話も聞いてください。どうぞご遠慮なく。

「甲野善紀先生浜松稽古」

稽古日時:2023/8/18(金) PM6:00~PM8:30(最終退出9:30)
会場にはPM4:00から入れます。事前稽古しましょう。
稽古場所:浜松市武道館/会議室
参加費:8000円
申込、詳細はこちらのページから

「甲野善紀先生名古屋稽古」

稽古日時:2023/9/23(土祝) PM1:30~PM4:00(最終退出4:30)
稽古場所:名古屋市西生涯学習センター/第2集会室
会場住所:名古屋市西区浄心一丁目1-45
地下鉄:鶴舞線「浄心」下車6番出口 徒歩約1分
参加費:8000円
申込、詳細はこちらのページから

「つくば稽古」

稽古日時:2023/9/3(日)13:00-20:00(入退室自由)
今回もロング稽古です。稽古の中身も楽しんでもらいたいですが、それ以上に「過ごす」という事を感じてもらえたら、と思っています。
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
参加費:10000円
申込、詳細はこちらのページから



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