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チェイサーゲームWを見て感じた事

レズビアンを主役においたチェイサーゲームWが最終回を迎えましたね。
主演のお二人の美貌もあり、百合好きとして純粋に作品を楽しめそうだな〜と見始めたのが最初。

見始めると、ハマった。そりゃもう見事にハマりましたよ!笑
W主演の菅井友香さん、中村ゆりかさんのお美しいこと…!
お二人の事を夜な夜な調べたり関連動画を見漁ったり。何より、ドラマの中のカップリング、樹と冬雨に心を奪われまして…。
と同時に、冬雨の辿った人生のリアルさが今まで蓋をしてきた自分のセクシャリティや生き方を振り返るきっかけとなりました。
ここでは、このドラマを通して私が感じた事を綴っていきたいと思います。

昔話が多くなるのですが、こんな人もいるんだな、くらいで付き合っていただけると幸いです。


私は女性です。
小さい頃から心惹かれるのは女性だったと思います。
しかしどうにもそれが周りの話す恋愛の話と一緒だとは思えず、何か別の感情なのでは?と思ったりもしていました。
同性に惹かれるという自分の考えを、周りが受け入れてくれるとは到底思えなかったんですよね。
だから、誰にも言わなかった。言えなかった。

そんな私にも、高校生になると好きな子が出来ました。
同じクラスの女の子。
1番仲の良い友達として、隣にいれる事が幸せでした。
でも次第にその関係に満足できなくなって。
「好きな先輩と付き合えることになった」「次のデートはここに行く」高校生によくある恋バナ。周りがそうするように、きゃぁきゃぁと話を聞いていたと思います。
「最近上手くいってない」「別れちゃった」
そんな事を話す友達に

なぜ自分は彼氏になれないんだろう。
私が笑顔にしてあげたい。
あなたを好きな気持ちを知って欲しい。
と考えるようになりました。

そして「女の子同士だけど、あなたの事が好き」と打ち明けます。拒絶される事が怖くて、確か泣きながら電話で伝えました。
結果、その子は私を拒絶しませんでした。嬉しいと言ってくれました。
大好きなあの子は、私の最初で最後の彼女になりました。

彼女とは大学進学と同時に遠距離に。
半年ほど経った頃、彼女に告げられました
「彼氏が出来た」と。

じゃあ私達の関係ってなんだったの?私はあなたにとって何だったの?と心では思うのに
私は彼女の事を怒る事もできず、泣いてすがることもできず
「そうなんだ。どんな人?」
と返す事しかできませんでした。

私には、男性と付き合うという選択をした彼女の気持ちが全く理解できない訳ではありませんでした。
それが世間でいう「普通」で、その「普通」から外れると難しい事がたくさんあると私自身が感じてしまっていたからです。
周りには相談出来る人もおらず、世間から見つからないように、隠れるように2人の世界に入り込んで
お互いをとても狭い中に閉じ込めてしまっていました。

彼女が私を特別に思ってくれてた事に嘘はなかったと思います。でも、彼氏とは別軸に存在する何かに私はなってしまったのだと思います。

だけど
大好きな彼女が女性である自分ではなく結局男性を選んだ。
この事実を突きつけられて、どん底に落ちました。
立ち直る方法なんて分からない。
他にカミングアウトしてる人もおらず、ただひたすらに1人泣く事しか出来ませんでした。
ここで私は「女の子と幸せになりたかったら、男になるしかない」という大変偏った考えに至ります。
そう思わないと、立ってられませんでした。

そしてちょうどこの頃、世間ではFtMやMtFなどを扱うドラマなんかが出始めてきて自分はそうなのかな?と考えるようになります。

でも私は違うんですよね。
私が彼女に気持ちを打ち明けて、一緒に過ごした日々で
何が1番嬉しかったかって
同性を恋愛対象だという私をそのまま受け入れてくれたことなのです。

私は女性に心惹かれながらも
男性にはなれなくて
好きになる人とは幸せな未来は築けないって
女性に恋をする自分を無かった事にしました。

自分で自分を「普通」の型におしこめることで
もう2度と傷付かないように
自分を守ろうとしました。

そこから、男性を恋愛の対象として見れるように努力しました。
私の男性に対する気持ちは、女性を好きだと思う気持ちとは全然違います。
女性に対して感じる愛おしい気持ちや情欲なども男性には感じません。
男性に対して、彼女に抱いたような感情が出てくる事が想像できませんでした。

でも、こんなもんだと思うようにしたんです。
私に好意を寄せてくれ、優しくしてくれ、
過ごす日々の中で築いた関係を
相手が男性だとしても不快だとは思いませんでした。
恋愛とは違うけど、この穏やかな日々を生きていけると思ったのです。

私は今、結婚し子供もいます。



冬雨はどうだっただろうか

最愛の彼女が男性を選んで
「物足りない」と言われた冬雨は
私と同じように考えた事は無かっただろうか

傷付くことを恐れて「普通」に逃げ込もうとはしなかっただろうか
女性が好きな自分に、自分で蓋をしなかっただろうか

現実には見えないように、普通に隠れるように生きていく事を選んだ
私のようなレズビアンが冬雨だと思ったのです。


例え男性に恋焦がれる事ができなくても、男性を人生のパートナーとして選ぶ事はある。
実際に存在している、私がそうなのだから。
この先の人生を生きていくために選んだんです。
その時自分に出来る最大限で自分を大切にした結果、選んだ生き方なんです。
それがベストだと思える世の中だったんです。

そして、パートナーと一緒に歩む中で出来る絆を、築いてきた関係を、信頼を、家族の形を、なんと呼ぶのでしょうか。

最終話で、冬雨が浩宇と月との家庭を選ぶのも、浩宇のことを愛してると発言したのも
私には理解できる感情なのです。
樹に抱く恋愛感情とは確実に違うけど
大事にするべき大切なもの
自ら選択した生き方の象徴が浩宇と月だと思えるのです。
自分を偽ってまでその人生を歩む覚悟がそこにはあります。


でも
その覚悟すら揺らぐほど好きなんですよね、樹が

自分で自分にも嘘をついて、偽りの中で生きてる自分を
女性が好きな自分を肯定してくれる最愛の人

その最愛の人を選べない葛藤


こんな気持ち
分からないかもしれない、理解も共感もできないかもしれない

でも、こんな人達も存在している
見えないように隠しただけで、冬雨のような女性はいる


「見えないものを見せていく」

ほんとの自分を見えないように隠して生きた冬雨を
また、そんな冬雨を想う樹を
私のような存在を

チェイサーゲームが見えるように描いてくれたのだと思いました。

この物語が実際に存在する現実であることを
世の中に知って欲しい

否定も肯定も理解も共感もいらない
ただ、知って欲しいと思います。

自分を偽ることなく
好きなものは好きと言える世の中を

私がかつて感じた
同性同士で生きる困難さを感じる事なく
自由に生き方を選べる世の中を
自分が生きてるうちに見てみたいですね。


さて、長々と語ってしまった訳ですが
それは別として、いつふゆのいちゃいちゃはずっと見てたいのが本音です!!!笑

駄文に付き合っていただきありがとうございました!

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