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僕の音楽遍歴について③

ロック音楽のサブカテゴリ―という位置づけで、「プログレッシブ・ロック」というジャンルがある。代表的なアーティストとしては、いわゆる5大プログレ・バンド、すなわち、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)、イエス、ジェネシスといったところで、いずれも英国出身のバンドである。

それで、プログレッシブ・ロックの定義であるが、Wikipediaによれば、<プログレッシブ・ロックは、実験的・革新的なロックとして、それまでのシングル中心のロックから、より進歩的なアルバム志向のロックを目指した。1960年代後半に誕生し、全盛期は1970年代前半である。当初の進歩的・前衛的なロック志向から、一部のクラシック音楽寄りな音楽性が、復古的で古色蒼然としていると見られ、1970年代半ばから後半にかけて衰退した>とある。

Wikipediaには、以下のような補足説明も記載されている。
<「プログレッシブ」とは、「進歩的」「先進的」「前衛的」というような意味だが、プログレッシブ・ロック・バンドという場合、そのアルバムや楽曲などには次のような特徴がある。
・一部のバンドはアルバム全体を一つの作品とする概念(コンセプト・アルバム)も制作した
・大作・長尺主義傾向にある長時間の曲
・演奏技術重視で、インストゥルメンタルの楽曲も多い
・技巧的で複雑に構成された楽曲(変拍子・転調などの多用)
・クラシック音楽やジャズ、あるいは現代音楽との融合を試みたものも多く、演奏技術を必要とする
・シンセサイザーやメロトロンなどといった、当時の最新テクノロジーを使用した楽器の積極的使用
・イギリスのバンドの場合、中流階級出身者が多かった>

つまり、ここに列挙された「類型」に該当するアーティストや楽曲が、我々がイメージする「プログレ」的なものに近いのではないだろうか。

まがりなりにも、「プログレッシブ(進歩的、前衛的)」などという大層な呼称が使われる以上、もともとは、ロック音楽の可能性や表現形式を拡張すべく、先取の精神に裏づけられた実験的、野心的な取り組みに満ちたアーティストたちの総称が、「プログレッシブ・ロック」(略して「プログレ」)であったはずである。

ところが、時間の経過とともに、「プログレ」的なるものの様式化、パターン化が急速に進んでしまうことになる。これは皮肉というか逆説的な話である。様式化、パターン化してしまっているようでは、もはや進歩的でもないし、前衛的とも言えないからである。

ハード・ロックの話を書いた際、ディープ・パープル、およびその後継バンド的な位置づけのレインボウについて触れ、彼らがつくりあげたワンパターンな様式美が、ハードロックの「お作法」「イディオム」として、その後のHMHRという1大音楽ジャンルの隆盛に寄与したという意味のことを書いた。

「プログレ」においても、概ねこの辺の経緯は似ている。5大プログレ・バンドが活躍した結果、上記のような「プログレ」的なるものの様式化、パターン化が進展し、その結果、本来の意味でプログレッシブとは言いがたいような、単なる音楽ジャンルの名称としての「プログレ」が世に広まることとなる。いわば、「羊頭狗肉」というやつである。

そういうわけなので、僕が、これら5大プログレ・バンドを聴いていた頃も、もはや「プログレッシブ」という言葉の意味について意識することもなく、単なる1つの音楽ジャンルの名称程度の認識しかしていなかった。

キング・クリムゾンは、圧倒的な演奏巧者たちによる、インプロビゼーション(即興性)の迫力や緊張感の点で、他の4つを常に圧倒していた。たぶん5大プログレ・バンドの中で、本来の意味で「プログレ」的であり、実験的かつ先取の精神に溢れていたのは、キング・クリムゾンだったように思う。ただし、僕にとってのキング・クリムゾンは、「太陽と戦慄」「暗黒の世界」「レッド」の3枚のアルバムどまりであり、その後のことはよく知らない。たしか現在でもメンバーを変えつつ活動しているのではなかったか。

ピンク・フロイドは、僕にとっては、最初から単なるイージーリスニング音楽という感じであった。大ヒット作「狂気」なども、聴き流していて心地よい。ただそれだけである。当時のアナログな録音技術の制約の中、テープを切り張りしながら、苦心惨憺して制作したのであろうことは想像するに余りあるが、そういうのはリスナーにとっては関係のないことである。その後の「炎」「アニマルズ」以降は、メンバーたち自身が、「ピンク・フロイド」的なスタイルに囚われてしまっているようであり、イージーリスニング音楽としても中途半端で、あまり楽しめなかった。

ジェネシスは、ピーター・ガブリエル在籍中の奇怪な雰囲気が、彼の脱退後、急速に中和されてしまい、その後は、単なる演奏能力がバカ巧いことだけが目立つバンドになってしまった。まあ、それはそれで、安心して聴いていられるので結構なことであるのだが。ライヴ盤を聴くと、フィル・コリンズの本職はヴォーカルではなくて、やはりドラマーなんだとわかるし、ゲストのドラマー(元イエス、キング・クリムゾンの、ビル・ブルーフォードも一時期参加していた)とのツインでの掛け合いによる演奏は神業レベルですごい。だが、楽曲自体は、もはやプログレッシブという感じはしない。

ELPは、シンセサイザーをライヴでも使えることを証明してみせたという点に関しては、歴史的な功績は認められるが、ただそれだけという感じである。5大プログレ・バンドの中で、僕にとっては最も存在感が薄いユニットである。「展覧会の絵」のように、クラシック音楽を翻案して、スリーピース・バンドで再現する試みは、当時としては斬新だったのかもしれないが、彼らの場合、翻案というか改悪みたいなところも否定できない。「展覧会の絵」など、ドビュッシー作曲のピアノ組曲の原曲か、ラベル編曲の管弦楽曲の方がずっとずっと良い。

イエスは、この中で、僕がいちばん好んでよく聴いたバンドである。彼らの楽曲を称して、シンフォニック・ロックといった言い方をされることが多いが、先ほどWikipediaから引用した「プログレ」の特徴、すなわち、「大作・長尺主義」「演奏技術重視」「技巧的で複雑に構成された楽曲(変拍子・転調などの多用)」「クラシック音楽やジャズ、あるいは現代音楽との融合」「シンセサイザーやメロトロン等の積極的使用」のすべてに典型的に当てはまるのが、イエスであった。

つまり、「プログレ」的な様式の確立と普及に貢献し、後の世代の「プログレ」バンドに大いに影響を与えたという点で、イエスの功績は小さからざるものがあると言えよう。そういう意味では、ハードロックにおける、ディープ・パープルと似たような立ち位置のバンドと言えるかもしれない。

ディープ・パープルはあまり好きではないが、イエスは好きだというのは、何やら矛盾しているように思われるかもしれないが、音楽の趣味や好き嫌いというのは、理屈どおりには行かぬものであるから仕方がない。ただし、1つ言えるのは、どちらのバンドもメンバー変更が目まぐるしい点が共通するのだが、売れたいがために、途中でガラッとキャラ変をしたディープ・パープルと、最初から終わりまで自分たちのスタイルを守り続けたイエスに対する、僕自身の好感度の違いがあるかもしれない。この点に関しては、バンド・リーダーでベーシストのクリス・スクワイア、ヴォーカルのジョン・アンダーソンの存在が大きい。彼ら2人のお陰で、バンドとしてのキャラ設定に首尾一貫性が担保されていたのだと思う。

話は飛ぶが、イエス、キング・クリムゾン、ELPの残党によって、後にエイジアというバンドが結成されて、母体となったどのバンドよりも商業的な成功を収めることになるわけだが、このエイジアなどは、イエスによって昇華された「プログレ」的なる様式や美学のエッセンスをうまく活かした上で、3、4分程度のコンパクトでポップな楽曲に仕立て上げるという巧みなビジネス戦略がうまくハマった好事例と言えよう。彼らの音楽が、本来の意味の「プログレ」ではないことは言うまでもない。いわば、「プログレ」テイストの産業ロック、「なんちゃってプログレ」である。

僕自身は、エイジアが売れるようになる頃には、ロックに対する興味がほぼ失せてしまい、クラシックの方に関心が向いていたので、エイジアについてはあまり知識がない。つまり、僕のロック体験というのは、だいたい80年代初頭で終わっているのだ。

逆に言えば、その時期までに熱心に聴いていたアーティストに対しては、今でもシンパシーを感じている。10年のAC/DC、14年のストーンズ、17年のジェフ・ベック、19年のイエス、U2等の来日コンサートに足を運んだのも、彼らは、僕にとっては、いわば「昔馴染み」だからである。

いずれにせよ、ロックからクラシックに転向していく経緯については、また改めて書くことになるのだろうが、その下地づくりに、イエスが果たした役割は大きいと思う。つまり、イエスのおかげで、「大作・長尺」「技巧的で複雑に構成された楽曲(変拍子・転調などの多用)」に対する免疫力がすっかりと身についていたからである。






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