見出し画像

就活のルールについて

時代遅れとなった「新卒一括採用」を改める方向に世の中が進んでいるというが、そもそも、こういうものはルールでしばること自体がナンセンスなんだろう。

企業は優秀な学生を確保したいし、学生は志望する企業の内定を早く獲得したい。双方の思惑が一致するのであれば、政府や経団連があれこれと言ったところで仕方がない。ルール破りは昔からあったし、これからもなくならないに決まっている。

40年ほど前、僕が大学生の頃もルールはあった。たしか会社訪問は大学4年生の10月1日に解禁、内定は11月1日に解禁だったと記憶している。今よりはかなりスローペースであった。それでも実際には、GW頃にはリクルーターと称する大学OBから接触があり、夏休み頃には各企業からの呼び出しによる事実上の採用面接が行われて、10月を待たずに内々定が出るのが普通であった。つまり、その頃から誰もルールなんか守っていなかったということである。

そもそも「新卒一括採用」という慣行がない欧米であれば、「通年採用」が普通だろうし、「ジョブ型」雇用だから、ポジションや職種で欠員があれば採用するし、欠員がなければ採用しない。お国柄や雇用習慣が異なるので、だから日本の就活スタイルは遅れている、欧米型に修正すべきだとか言うつもりはない。どちらも一長一短あるだろうし、それぞれの所与の前提を無視して並べて議論しても始まらない。

不思議なのは、学生を採用する側の企業である。優秀な学生を採用したいのはわかるが、何を見て選考するのだろうか。青田買いのようなことをするところを見ると、大学の学業成績などあんまり考慮していないのは明らかである。インターンで評価の高い学生をそのまま採用するのはまだ理解できる。企業との相性とか周囲との親和性を見ているのだろう。あとは大学の偏差値等に基づく地頭のスクリーニング機能を信頼しているのか。

そうなってくると、選考を大学3年生とか4年生まで待つ必要もないということになる。大学に入学したら、インターンシップを募集して、社風に合っていて優秀そうな学生がいたら即内定を出しても良さそうである。インターンシップなんて面倒なことは端折りたい企業であれば、さっさと選考面接をスタートして、大学1年生の夏休み前には内定を出すのもアリかもしれない。学業成績なんかどうせ見ていないんだし、待つだけ時間の無駄である。

しかしながら、もし本当に上記のようなことをやったら、ただでさえ国際的にあまり高評価とは言えない日本の大学教育は完全に崩壊するに違いない。内定を貰った学生は、もう真面目に勉強なんかしないからである。

日本人は国際的に見て低学歴、学問軽視だと思われている。諸外国だとビジネスの世界でも最低でも大学院の修士課程修了、中には博士号取得者なんかがゴロゴロといる。青田買いばかりやっていたら、ますます海外と差が開きそうである。

昔の日本企業は余裕があったから、大学で勉強していなくても、入社してからみっちりと社内教育で鍛え上げることが可能であった。それが、だんだんと世知辛い世の中になってしまった結果、「専門性」とか「即戦力」とか求めるようになりつつある。

つまり、採用プロセスで自分たちがやっていることと、学生に対する要求が随分と矛盾しているということになる。

だったら、どうするかという話であるが、正直なところ妙案なんかない。根本的には、学生というよりも大学に責任がある話だからだ。つまり、日本の大学が、(特に文系に関して顕著な話であるが)教育機関としての機能を社会からあまり評価されていないところに原因があるのではないのか。

教育機関としては大した役割を果たしていないから、偏差値に基づいて高校生をスクリーニングしたところで、もう役割終了だと社会から言われてしまっているのも同じだと大学は厳粛に受けとめるべきであろう。

もちろん、例外もある。真面目に教育機関としての役割を果たしている大学はある。理系の多くの大学は当てはまるかもしれない。文系だってちゃんとやっているところはやっている。

企業はそうした大学ごとの評価を偏差値以外でちゃんとやっているのだろうか。たぶん、やっていないし、そんな能力は個別企業には期待できないだろう。企業は他にやることがあるからである。

そうなると、これは1つのアイデアであるが、第三者的な立場で日本の大学の「格付け」をするような機関が、各大学の教育機関としての評価をして、定期的に評価結果を公表するというようなシステムがあれば良いのではないだろうか。

要するに、入学した時よりは、ちゃんと「使える」人材に育成して卒業させる機能を果たせているかどうかを客観的な立場から評価してくれる機関があれば、少しは日本の大学の教育機関としての社会における信頼性が向上するだろう。各大学はおかしな評価をされたら具合が悪いので、ちゃんと真面目に教育機関としての役割を果たそうとするようになるかもしれない。

そうなれば、ひとまず卒業証書を貰って、あるいは卒業見込みくらいの段階になってから、学業成績を見た上で採用選考を行なった方が、その学生の人材としての価値を見定めることが可能になるので、企業・学生の双方にとってメリットがあると考えるようになるだろうし、青田買いのような行為も自然と収束することになるのではないだろうか。

もちろん、こういう制度を実施したとしても例外は起こり得る。教育してもしなくても十分に優秀と思われるような学生と、逆に箸にも棒にもかからぬ学生である。前者が多く在籍するいわゆる難関校と、後者が在籍するいわゆるFラン校に関しては、対応のしようがないかもしれない。前者の学生については何をやっても争奪戦になるし、後者の学生は誰も引き取り手がいない。これはもう需給関係の問題だから仕方がない。

そう。基本的に新卒の採用プロセスというのは、需要と供給の調整に他ならない。値段が高くても売れる商品、値段を下げないと売れない商品。しっかりと品質をみきわめて評価したい商品。それぞれの売り方・買い方があって然るべきということになる。

したがって、大卒新入社員だからということで初任給が一律同じというのはたぶん近いうちになくなるだろう。全員横一線というのはマヤカシだからである。

就活の時期も人それぞれ、初任給や処遇も人それぞれ、青田買いされる人材もいれば、そうではない人材もいる。大卒としては評価されず、高卒・中卒と同じカテゴリーで勝負するしかない人材。いろいろあって良い。

青田買いされなくても、卒業してから大学時代の学業成績や基礎学力を評価されて、青田買いされた人材よりも高い処遇を提示されるような人材もいるかもしれない。

つまりは、ルールなんかどうせ形骸化しているんだし、もうさっさと全廃すれば良いということになる。

ただし、その前にちゃんと大学の教育機関としての評価はきちんとやれるようにしておくことは必要であろう。そうでないと、ますます日本人の低学歴化、低学力化は歯止めがかからなくなるに違いない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?