見出し画像

大麻の合法化について

日経のニュースによれば、ドイツで大麻が合法化されるのだそうである。

<ドイツ政府は16日、個人が大麻を嗜好品として所持、栽培するのを合法化する法案を閣議決定した。大麻の流通を管理下に置くことで、数十億ドル規模とされる「闇市場」を壊滅させるのが狙いだ。粗悪品による健康被害や犯罪の若年齢化を抑止できるとするが、合法化はかえって大麻の普及を助長するとの反発もある。>

ドイツに先行して、タイ、オランダ、ルクセンブルク、カナダ、ウルグアイ、米国(一部の州)で既に大麻は合法化されている。粗悪品による健康被害の防止や、反社会的勢力の資金源を断つことが狙いであるが、タイにおいては、大麻中毒者の数が1年で約5倍に増えたとあるので、必ずしもメリットばかりとは言えないようである。

僕は基本的にリベラルな考え方の人間なので、パターナリズム的に特定の価値観を上から押しつけられることには抵抗がある。国のやるべき仕事は、何が正しいか正しくないかを「上から目線」で国民に押しつけることではなくて、一定の範囲で選択肢を整えた後は、個々人の判断に任せることであると思っている。極論すれば、公序良俗に反しない限り、あるいは他人に迷惑をかけない限り、個々人の自由に委ねれば良いのだ。

したがって、「夫婦別姓」とか、「同性婚」とかといったテーマと同様に、薬物を含めた嗜好品の摂取、安楽死等についても、ある程度は本人の自由意思に任せるしかないと考えている。むしろ、酒やタバコを容認するのであれば、覚せい剤や麻薬のような薬物使用だけを禁止するのは首尾一貫性を欠くのではないかと思ってしまう。

「ゲートウェイドラッグ」という言葉がある。ヘロインや覚せい剤のようなより強烈な依存性や副作用を持つ薬物の使用の「入口」となるような薬物を意味する。大麻がその典型であるし、MDMA、有機溶剤、脱法ドラッグのみならず、酒やタバコも含まれることが多い。もちろん、人体の健康に及ぼす被害の程度について、これらを全部まとめてひと括りにするのは少々無理があるとは思う。しかし、酒やタバコだって中長期的には身体に悪いのは間違いない。

「自分のカラダを自分で痛めつけることは自由だ」という考え方がある。そうした考え方の延長線上に、「自殺する自由」「安楽死を選択する自由」を許容するべきだという考え方にも行き着く。「自殺」「安楽死」については、改めて別の場所で検討するとして、「自分のカラダを自分で痛めつけることは自由だ」という考え方については、よくよく考えてみるべき論点がある。

日本の場合、「国民皆保険」制度というものがあって、誰でも医療のアクセスできるし、医療費の大部分は国民健康保険によって賄われる。つまり、自分のカラダを勝手に痛めつけた結果、健康保険制度によって医療のお世話になるのだとすれば、純粋に自己責任の範囲内の問題であるとは言いがたく、善良な多くの人たちに負担と迷惑をかけることを意味する。

健康管理に気をつけていたにもかかわらず不幸にも病気になった人と、カラダに悪いことをさんざんやって不摂生の限りを尽くした人とを平等に扱って、同じように健康保険制度によって救済することは、社会正義に反するように思われる。

つまり、国民皆保険制度等の我が国の社会福祉制度を前提に考える以上、「自分のカラダを自分で痛めつけることは自由だ」という考え方は成り立たない。国や自治体から健康管理についてあれこれと(少なくともある程度は)干渉されるのは仕方のないことと考える必要がある。すなわち、国民健康保険の被保険者たちは皆んなが同じ船に乗っているようなものだからである。健康保険制度を維持しようと思えば、個々人の身体権に一定の制約を課す必要がある。

それでも、「自分のカラダのことについて、あれこれと他人から干渉されたくない」とか、「酒でもタバコでも麻薬でも好きなものを好きなように摂取する自由が欲しい」と考える人は一定数いるかもしれない。

じゃあ、どうするかという話であるが、誰もが納得するような正解はない。しかしながら、幾つか思いつくアイデアならばある。

1つは、個々人の健康診断の結果やふだんの生活態度、健康管理への取り組み等に基づき、健康保険の「料率」を査定するのである。常日頃から不摂生な人、飲酒・喫煙、薬物摂取等を含めてカラダに悪そうなことをあれこれとやっているような人は、当然に「料率」がハネ上がる。その逆もまたアリである。リスクの高い人の料率(健康保険料)は高くなる。リスクの低い人の料率は安くなる。自動車保険を考えれば、理解しやすいのではないだろうか。事故ばかり起こす人と、ゴールド免許を保有する人とでは、保険料率が異なる。

2つめは、上記の「査定」の結果、国民皆保険制度の枠組みの中で看過するのは難しいと判断されるような「きわめて不良」な被保険者については、健康保険制度で救済しないことにするのだ。つまり国民健康保険制度から外れてもらう。「それでも構わないから、好きなようにしたい」と思えば、そのまま国民皆保険制度から抜けてもらう。文字どおり、「生きるも死ぬもご随意に」ということになる。「やっぱり困る」と思うのであれば、国・自治体の指導に従ってある程度は健康管理に取り組んでもらうことになるし、他の人よりも高い料率をご負担いただくことになる。どちらが良いか、個々人に選択させれば良いのだ。当然であるが、前者のような人に対しては、生活保護制度の医療扶助も適用しない。本人が選択したことだから仕方がない。

こういうことを書くと、「国民の生存権の否定」であるとか、「憲法違反だ」と言われる。たしかにそのとおりである。しかしながら、自らの意志で自身の生存権を放棄する人の自由意思を、もはや他人がとやかく言う権利はない。

世の中には、日常的に暴飲暴食、乱交、不摂生等に耽り、破滅的な人生を送っている人が一定数存在する。一種の「緩慢な自殺行為」と言い換えても良い。誰かに強制されているのではなくて、それが自身が選び取った生き方なのだとすれば、それはそれで尊重するしかない。そこまで憲法が個人の意思に介入するべきではないのだ。

個人の意思は尊重する。しかしながら、選択した結果についても自己責任を負ってもらうことになるし、国税を使って救済することもない。

そこまでドライな制度設計にして、それでも構わないと言うのであれば、あとは麻薬でも覚せい剤でも「お好きにどうぞ」ということで結構ではないだろうか。要は、他人に迷惑をかけないのであれば、どんな生き方をするのもそれは本人の自由ということになるからである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?