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「コンサルタント」について

コンサルタントというのは、スタッフ部門の外注(アウトソーシング)と考えることができる。で、スタッフ部門というものは、軍隊における参謀に該当する。経営戦略や事業計画の企画・立案機能を担い、トップに意見具申する役割を担うが、組織に対する指揮命令権はない。指揮命令権があるのは軍隊ならば司令官、企業であれば経営トップ、事業部制であれば事業部長である。

ここの部分、つまり指揮命令権が誰に属するかということは、日本的な組織ではややもすると曖昧になりがちであるが、きわめて重要なポイントである。世界最強の米軍において職業軍人のトップは統合参謀本部議長であるが、米軍の最高司令官は大統領である。統合参謀本部議長は大統領と国防長官の軍事顧問ではあるが、作戦指揮権は持たない。

どこの企業も企画部門には総じて優秀な人材が配属される。企画部門のスタッフの方も自分たちはエリートだと思っているであろう。そうなると、いつの間にか自分たちが会社を差配していると勘違いするようになってもおかしくない。結果として、自分たちには指揮命令権がないことに頓着しなくなってしまう。統帥権を盾に暴走した旧帝国陸海軍の大本営の作戦参謀みたいなものである。

こうした勘違い、つまり指揮命令権が誰に属するのかわかりにくくなることの原因としては、日本の組織が伝統的にボトムアップ方式であるところに起因する。トップはあまり細かいことは言わず、下から申請された案を黙って決裁し、何かあれば責任を負う。日本ではどちらかと言うと、そういうトップが好ましいとされる。欧米の組織がトップダウン方式であるのとは対照的である。

ボトムアップ方式の組織の場合、トップもそれを補佐するべきスタッフも双方ともに当事者意識が欠如してしまうリスクがある。スタッフは企画立案して申請するだけ、決裁するのはトップの仕事。何かあれば責任を負うのはトップである。トップの立場とすれば配下のスタッフが上げてきた案を決裁しただけということになる。責任の所在がともすれば曖昧となる。お互いに逃げ道や言い訳の余地がある分、だれが本当の責任者なのかわかりにくくなる。あるいは、わかりにくくしている。

スタッフがする仕事を外注、つまり外部のコンサルタントに委託する場合は、余計に責任の所在が曖昧になりやすい。企業が外部のコンサルに仕事を外注する場合にはいろいろな社内事情があることが多い。必要とする知見やノウハウが社内にないという単純な理由であれば仕方がないが、社内で反対意見が多いことが想定される場合や、うまくいくかどうかよくわからない場合等、敢えて外部のコンサルを使うということが多い。もし何か問題が起きても、「外部のコンサルの責任」ということで、社外の人間に責任を押しつけて、社内の身内に塁が及ばないようにするための言い訳の手段みたいな役割を帯びていることになる。

こういう場合、外部のコンサルは、特に「見映え」、つまり学歴や経歴に申し分がないのが重視される。彼らは、依頼された仕事に対しては、高額な料金に見合った平仄が整ったソツのないアウトプットを仕上げて納品してくれる。SDGs、ESG、コーポレートガバナンスコード等の新種のネタへの対応についても同様。こういう目新しい制度に対してもっともらしい体裁を整えるには外部専門家に依頼するのが手っ取り早い。納品されたアウトプットはテンプレどおりで外見はどこの企業も似たり寄ったりになる。頼む方も頼まれる方も安易なスタンスになりやすい。形は整えているが、魂はこもっていない。

最近は学生の就職人気は上位にコンサルティング企業が並ぶという。いかにも格好良いし、コンサルで経験を積んで、いずれは自分で起業をしたいと考えるような若者が多く集まるのであろうか。

しかし、コンサルという職業は冒頭に書いたとおり、スタッフ部門の外注業者にすぎない。スタッフはトップに意見具申する立場であるが、指揮命令権はないし、業務を執行する立場でもない。そういう当事者意識が欠如しがちな立場での意見具申にどこまで思い入れがあるものだろうか。また依頼する側の言い訳の道具みたいな仕事をいくらこなしたところで、起業するために真に必要な経験を獲得できるものかどうか。

そういう中途半端な立場で仕事をするくらいならば、スタートアップ企業に現場の一員として飛び込んでみて、しくじったら会社が潰れるかもしれない危うい立場にたとえ短期間でも実際に身をおいた方がよほど有益な体験ができそうである。スタートアップ企業というのは、文字どおり「板子一枚下は地獄」である。コンサルに就職希望する若者たちは、自分が失業してハローワークに通う光景を想像したことがあるのだろうか。経営者というものは、毎日、そういう恐怖心に圧し潰されそうになりながら、意思決定をしているのである。

経営トップと配下の企画スタッフは、軍隊の司令官と参謀と同様、まるで別の能力が求められる。参謀として経験を積めば、有能な司令官になれるとは限らない。企業においても、企画部門のスタッフや外部のコンサルとして有能な人物が、経営トップとして有能であるとは限らない。自分の身を危険に晒さずにケーススタディを積み重ねても、それは「畳の上の水連」のようなものである。企画部門のスタッフやコンサルの多くは、学歴、地頭、基礎学力等には文句のつけようがないのだろうが、経営トップとして有能かどうかはまた別の話である。

経営トップに必要なのは、総合的な人間力と言っても良い。もちろん地頭や知識はあった方が良いが、それよりも重要なのは、自分自身で熟考した上で、最後はリスクを取って意思決定をする胆力であるし、決めたことを皆に納得させるリーダーシップである。

もちろん、企業の企画スタッフやコンサルに身を置いていても、強い当事者意識や現場への熱い思いをもって仕事に取り組んでいる人もいるだろう。逆に経営トップとして意思決定をするべき立場にありながら部下の振り付けどおりの仕事をこなしているだけの人もいるだろう。要はどこにいても重要なのは、気持ちの持ちよう、仕事に対する取り組み姿勢ということになる。

陳腐な話かもしれないが、最後は自分の仕事に対してどこまで主体的に当事者意識をもって取り組むか、自分の仕事が実際に周囲に対してどういう影響力を持っているのかについての臨場感ある想像力を備えているかどうかといったことが実は最も重要なのかもしれない。

剣術の稽古をする際、竹刀だと思って気を抜くか、真剣だと思って文字どおり真剣勝負で取り組むかの違いみたいなものか。竹刀稽古だと思っているようなコンサルや企画スタッフに補佐される経営トップは不幸であろう。



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