ネオテニー

わたしの考えるspiritualとは。

スピリチュアルなテーマで本当に遠慮せず、本音で書きたいと思ったので、新しい有料のマガジンに記事を書いていくことにしました。

(有料というのはマガジンを作ろうと思ったときにふっとひらめいたもので、どれだけ読んでもらえるかわからないのですが設定することにしました)

*この記事は最初普通にアップして、あとからマガジンに入れようと思います。


1.「スピリチュアル」とは、「spiritで生きる」とはどういうことか?

ほとんど近い感覚と思っていたある人と「あれ? 随分スピリチュアルの概念が違うな」と思ったことがきっかけで、このテーマで書いてみようと思いました。短くトピックごとに書いていきます。

「スピリチュアル」をわたしがどう捉えているか は、すなわちわたしが人生をどういうものと捉えているかに他なりません。

このことを説明するために巷にある「スピリチュアル」を見てみて、その違いをあげるのが近道です。


友人のヒーラーのやり方は心の傷を徹底的に見つめ癒していくことです。リーディングとヒーリング、チャネリングや心理的な手法を使います。

情報を降ろすだけの霊能とも、表面的なカウンセリングをする日本の心療内科の先生とも違い、徹底的に感情を見ていくセッションはあまり見かけませんが実はもっとも求められているものだと思っています。

また著名な心理セラピストで「性格リフォーム」と銘打って活動されている方もいます(わたしはこの考え方が好きではありません)。

これらは、自分の闇に気づかず、自分に向き合うこともせず、「楽して何かを得たい」とか、ただ神秘体験をすることがスピリチュアルだと思っているジャンルとしての「娯楽の偽スピ」からすればまだいいものです。

「自分と向き合う」というspiritで生きる基本のことをしていますから。


でもわたしの感覚だと「性格を直す」とか例えばですが「光りになるまで闇を浄化していく」とかはいらないんじゃないかと思っています。

達成する地点を目指して自分に向き合っていく、ということこそがspiritから離れているような気がします。

今、とっても苦しんでいて、そこをケアするためのセッションは必要だと思うのですが、それすらもある程度は自分の魂が望んでその状態になっているから、それに満足すれば自然と回復していくのだと思います。

(すでに病気になっている場合は別ですが)

いや、回復しなくてもいいんです。そのままの状態で何が悪いの?と思ってしまうんです。平均的な健全になることになんの意味があるの?って思う。

だから本当は(個人を癒す)ヒーリングっていらないんじゃないのかと思っています。

いると思うのは、もっと自然のエネルギーをすっかり心身で受けて素直な始まりのかたちに戻すこと。そうすれば全体的に良くなる。

またセッションとして必要だとしたら「ダメだと思わないでいいんじゃない。ダメなんてこの世にはないんだから」って言って、その波動で隣にいることくらいじゃないかな。

悩んでるの?なんで悩んでるの?悩む必要ないのに。解決したかったらすぐ解決すればいいし、お金や時間がないならそれを納得させて「まあいっか」って言えばいい。

こうすれば幸せになるんだっていう自分の決めたビジョンなんて幻影です。どうあっても別にいいんだから。


ある程度、浄化されて、でもそれ以上の浄化はいらない。なぜなら浄化できない部分も絶対あるのが心であり、人間であり、地球上の三次元の存在なんじゃないかと思ってます。だから不要な浄化はかえってストレス、過ぎたるは及ばざるが如し、です。どうして三次元的な汚い部分がある自分を認められないの? それこそが「エゴ」ではないのかな。

自分は清らかな存在でありたい。自分は人を導くような霊格の高い人間でありたい。高波動の存在とチャンネルを合わせたい。

浄化されてないわたしは失格だ。愛でないわたしは失格だ。わたしがこんな低い意識を持ってるはずがない。わたしがこんな冷たい人間のはずがない。

「スピ」と思ってるそれ全部、ただの「エゴ」だと思います。

汚いまま生きていけばいいじゃない。それもチャーミングですよ。

地球に生まれている時点で人間以外の何物でもないと思いませんか?中には宇宙と交信できるような特異な人もいるけど、その人たちだって自分が完全な宇宙人だとか神様だとかそんな風に絶対思ってない。街でおかしいことされたら怒ってると思いますよ。

人間になれたってことは喜怒哀楽や肉体も楽しめる人生ってことです。

超楽しい!!

なのにみすみすそれを手放そうとするなんて勿体ない!仏様のような表情で、ただただ困難なことを感じず90年過ごして何が楽しいの??

怒ったり、泣いたり、憎んだり、愛を感じたりするのが彩りがあって楽しいんじゃない。

人間であること、自分であることをただそのまま受け入れていけば、もっと楽しめるのにね。(わたしも自分を全て認めるの、まだうまくできないですが・・)



必要なセッションがあるとしたらこんなことをお茶飲みながら話して、ちょっと公園でも散歩して、「気分どう?ちょっと楽になった?人生いろいろあるもんね。でもいろいろあるから楽しいとも言えるもんね。明日もちょっとだけがんばろ」って言うくらいかな。

わたしのしたいことってこんなことかな。


本当の意味で、「そのままの自分でいることが自分で望んだこと」だと理解すればそんなに頑張って癒していく必要ないんじゃないかと思っています。

(繰り返しますが、深刻な病気や精神疾患になってない状態に対して言ってます。まだ比較的元気な人を想定してますよ)


これ読んで「あ・・・」って目から鱗が落ちるみたくなる人っていると思います。「あ・・・そっかー ま、普通に生きるか」って思えることが実はとっても大事なんです。「あ・・・」って思えなくて変えられない人はマインドで得たエゴを自分のspiritだと思い込んで続けるから困難なんだと思います。

(これちょっと自戒の念も入ってます!)

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