見出し画像

「野分のまたの日こそ」

2023年10月11日のツイートまとめ。

大阪近辺のひとたちが言う「また行きましょう」の「また」は「もういちど(again)」ではなく「この次にでも(next time)」の意味なんだそうで。前にも見かけたことのある話題だけど、前は「ふぅん」で終わったのが今夜は「あっこれ『野分のまたの日』の『また』と同じ用法じゃん!」と気付いて興奮が止まらない。

前にこの話題を見かけたのは2019年だった。上記は当時のまとめ。関東生まれ関東育ちの当番から見れば「また〇〇しよ!」が Shall we do that again? ではなくて Shall we do that next time? の意味になるのはかなり新鮮な感覚。

「また行きましょう」が Shall we go there again? (もういちど行きましょう)ではなく Shall we gothere next time soon? (こんど近いうちに行きましょう)の意味になる。これはさ、『枕草子』のさ、「野分のまたの日こそいみじうあはれにをかしけれ」の「また」と同じ用法じゃん? 「野分のまたの日」は「野分(台風)が『ふたたび来た』日」ではなくて「野分の『次の日』」じゃん? そしてそれは大阪近辺のひとたちが言う「『また』行こう(『この次の機会に』行こう)」と用法が同じじゃん?

大阪あたりでは、清少納言たちが使っていたのと同じ「また」の用法が今も生きてるんだ……素敵じゃん……? 千二百年も前の言い回しが今も現役なの、雅じゃん……! 「野分のまたの日(嵐の次の日 next day of storm)」と同じなんだよ「また行こう」の「また」が again じゃなくて next time を意味するのって……こういうのこそ「いみじうあはれにをかしけれ(めちゃくちゃエモくて素敵だな)」ってやつなのよ……

いみじうをかし……!

当番、大好きなんですよ『枕草子』の「野分のまたの日こそ」の段

野分(のわき)のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀(たてじとみ)・透垣(すいがい)などのみだれたるに、前栽(せんざい)どもいと心くるしげなり。おほきなる木どもも倒(たふ)れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花(をみなへし)などのうへによころばひふせる、いと思はずなり。格子(かうし)の壺などに、木の葉をことさらにしたらんやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。

 いと濃き衣(きぬ)のうはぐもりたるに、黄朽葉(きくちば)の織物、薄物などの小袿(こうちき)着て、まことしうきよげなる人の、夜は風のさわぎに寢られざりければ、ひさしう寢起きたるままに、母屋(もや)よりすこしゐざり出でたる、髮は風に吹きまよはされてすこしうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。

 ものあはれなるけしきに見いだして、「むべ山風を」など言ひたるも、心あらんと見ゆるに、十七、八ばかりやあらん、ちひさうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹(すずし)の単(ひとへ)のいみじうほころびたえ、はなもかへりぬれなどしたる、薄色の宿直(とのゐ)物を着て、髮、いろに、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより見ゆるに、わらはべ、わかき人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこにとり集め、起し立てなどするを、うらやましげにおしはりて、簾(す)に添ひたるうしろでもをかし。

清少納言『枕草子』第二百段「野分のまたの日こそ」

清少納言が使っていたのと同じ用法の「また」がまだ現役なことに興奮して連投していたら夜更かしになって、今朝は寝不足。寝る前に興奮するものじゃないわね。

そういえば『枕草子』の「草子」って今で言う「書き物を綴じた本・ノートブック」のことよね。noteも「草子」と言って言えないこともない。当番noteはさしずめ「当番草子」。占いとはなんの関係もない話だけど、忘れたくないエモさに溢れた話なのでこれも当番草子へ保存しておく。

たぶん清少納言も、こうやってささやかだけど忘れたくない「をかし」な話を草子にメモしていたんだと思うし、21世紀に清少納言が生きていたら『枕のnote』とかやっていたと当番さん思うのよ。末尾に「とぞX(Twitter)に」とか書いてね。

お気が向いたらサポートをお願いします!サポートは当番の紅茶代となり、ひいては明日への活力となります