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大阪の神様のような友人の話

私は長野に来る前に5年ほど大阪に住んでいました。大阪にいた理由も夫の転勤です。ご存知の通り大阪府はとても広く、大きく分けるとキタとミナミに分かれます。ざっくり言うと、キタはハイセンスなエリアでミナミは人情が厚いイメージです。私はミナミの中でもさらに南の泉州エリアに住んでいました。

泉州にいた5年は濃厚で長野の暮らしでは想像できないぐらいです笑。でもそれはディスりじゃなくて愛を込めてそう思っています(伝われ)。

ホームレスのおっちゃんがゴミ置き場で喧嘩してたり、おっちゃんが立ちションしてたり、祭りの時期は若者たちがたむろしてたり、タトゥーのお兄さんたちが集まって爆音で音楽流したり、たこ焼き屋のお姉さんの声はデカいし、野良猫に餌をやるなと言っているのに毎晩現れる謎の男もいたし、夜中に叫ぶ男もいました。

これだけ聞いているとヤバい町のように思われるかもしれませんが、私はこの町が好きでした(伝われ2回目)。

ホームレスのおっちゃんも目を見ればどんな人かなんとなく分かるし、立ちションしてたらそっちを見なければいいし、若者のたむろも元気やな〜だし、お兄さんの爆音もうるさいな〜、たこ焼き美味しいな〜、猫好きなんや〜、警察呼ぼう〜なのです。
「ちょっとうるさいよなぁ。でも私もそんなとこあるからお互い様よな〜」まとめるとそんな感じでした。

そんな町で出会った、その町出身の同い年の女性。
地元でお店をしている根っからの大阪人で、親御さんも地元で長く商売を営んでいらっしゃいます。出会いはその子のサロンに通いだしたこと。個人経営の美容師さんでお客さんとの時間を大切にしたいという思いから、カットのみでもゆとりのある時間を作ってくれ、たくさん話したことがきっかけでした。
「その友人がいるから私は大阪に来たんだ」と思えるぐらい私にとっては衝撃的な出会いでした。そんな彼女の話を書きます。


30歳超えてから初めて出来た本当の友達

出会いは30歳。私は結婚した頃で、色々あり心身共に疲れた状態でした(会社とか人間関係とか)。地元の友人とも話が噛み合わなくなってきた頃で、もう本当に憔悴していました。
「私って変なんかも」夫のお陰で精神が安定し思考が整ってきたのでしょう。自分の考え方は常識とは外れていることにやっと気付きました。

私は彼女に当時の思いを吐露していました。美容師さんってそうゆう職業ですが、特に彼女は人の話を聞くことがとても上手なのでついつい喋っていました。
「かおちゃんの気持ちわかるよ。こう思ったからこう言ったんよね?」地元の友人に理解されなかった言動が、初めて言葉になった瞬間でした。

それから同い年で共通点も多く、定期的に通うようになりプライベートでも遊ぶようになりました。大人になっても友達ってできるんだと最初に教えてくれた友人です。

目線の先はいつもお客様

彼女のすごいところは、いつも目線の先にはお客様がいるということ。お店の在り方や自分の行動、全ての先にはお客さまがいます。
「かおちゃんが来てくれた時からお客さまが増えたよ」お客さまファーストのお店なんでお客さんがつかないわけがない。頭で分かっていてもとても嬉しかったです。

「成人式をしようと思ってる」
32歳ぐらいの時に彼女が教えてくれました。「成人式ってさぁ、良くない事がニュースになるやん?でもさ、そんな成人式にさせてるのって私たち大人の責任じゃない?」私たちが住んでいる町ではなくどこか遠い都市の成人式。そこで若者が暴れたというニュースを見て彼女はそんなことを思ったらしいのです。

「今まで育ててくれてありがとう。成人を迎えられたのはあなたたちのお陰です。これから成人になりますが、引き続き見守っていてください。」この言葉を親御さんに伝える機会を与えていないのがいけないんじゃないか。むしろ成人式ってそういうためにあるんじゃない、と言うのです。

…え、なにそれ、自分神様やん!それ神のみがたどり着ける思考の先やん。めちゃくちゃいいと思う。それって人生で大切なことやわ〜。私もそんなイベントがあればちょっとはマシな大人になれたかな〜…どんまい自分。

そんな彼女の成人式は翌年から始まります。

常に進化し続ける友人

今年はしなかったそうですが、何年かそのイベントをしていました。その時の写真を見せてもらいましたが、親御さんの笑顔と涙がとても良かった。親御さんと成人になった娘さんのお写真は、人生の節目を感じる一枚で全くの他人である私も考えさせられるものがありました。

地元の市長さんともお話をしたそうです。「行政が関わればもっと大きくできるはず」彼女の顔はとてもたくましかったです。

結局そのイベントは多くの人を巻き込んで、多くの成人に影響を与えました。
彼女の根源は「人のため」純粋な熱い気持ち。店の経営も成人式の意図も全くブレていません。

新しいプロジェクトは「20代の夢を叶える」こと。それは私が長野に来る少し前から始まっていました。

「ネイルサロンをしようと思ってるねん」
理由は20代の彼女のため。彼女は高校卒業すると同時に出産し、当時はシングルマザーでした。彼女の実家も片親のようでネイルを生業にしたかったが、経済的な面や都合で専門学校に行けなかったそうです。

「家庭の環境で好きな事が仕事にできないっていうことを私は無くしたい。それを証明したい。だからもしお金で解決できるなら私は彼女の未来に託してみたい。」
友人を止められるものは誰もいません。

友人の定義を考える

そして去年の年末に1年ぶりに友人に会いました。
しかし、ここでは書けないぐらいの濃厚で大変な苦労があったことを知ります。世のため人のために行動したのに、それはないやろって。この世に神様はおらんのかって。
「何度もかおちゃんに手紙を書こうとしたけど、どうしても話が暗くなってしまうから何も書けなかった。」一緒に泣いた深夜1時。

話は変わって、今年2月にその友人からハッピーなニュースが届きました。第一子の出産!めでたい。
「ほんまに可愛いよ〜。でもな、初めての出産で分からんことだらけ。親の情報も30年以上も前のことやし、ネットの情報も不透明で子育てってほんまに難しい。そういうネットワークがあればいいなぁって思ってるから、これから新米ママのための何かをしようと思ってるねん」
彼女は正真正銘の聖母になられました。

彼女は一年に一度は会いたい友人の1人です。しかし、私はそんな彼女に会える資格はあるのだろうか。毎回思います。
私は他人のために〜も、こうすればもっと世の中が上手くいく〜もありません。「それ、めっちゃ素敵!!」をただただ全力で言うだけの人間です。

唯一誇れることは、そんな友人を持てた自分でいられたということ。よくやった、30歳の自分。そしてこれからも彼女にふさわしい友人であるため、人として過ちは犯さないでおこうと肝に銘じています。

むさ苦しいぐらい人情味が厚い大阪。そんな大阪が私は好きです。これをお読みの方にも好きになってもらえたら嬉しいです。


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