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映画「君たちはどう生きるか」

え、今ごろ?という感じなのだけど、映画「君たちはどう生きるか」を劇場で観た。つくづく、最近は映画に限らず最新のものに疎くなっているなぁと思う。映画の存在やポスターの印象など、なんとなく頭の隅っこに入っているけれど、詳しく調べたり「よし、観に行ってみよう」と行動したりができなくなっているのだ。

これが「年をとった」ということなのだろうか。

好奇心や学ぶ気持ちを失ったら人生終了、という感じがするので、意識していかなければ、と思う(意識しないと行動できない時点で、既に人生終了しているのかもしれないなぁ、と思いつつ)。

映画の方は、宮崎駿が満載!という印象がまず初めにきた。
登場人物や物語の展開が、どこか既視感のあるものばかり。これまでの作品で、茶化して同じようなことを言った作品もあったけれど今回は強くそう思った。でもそれは悪いことばかりではなくて、宮崎駿が伝えたかったこと(だと私が思っていること)をある程度私がパターン化して自身の中に持っていて、それを確認できたということなので。
考えてみれば、こんなに数多くの作品を観た監督は他にいないのではないか。ナウシカやカリオストロの城あたりから、すでに40年だ。リアルタイムで観てはいないけど、パンダコパンダなども含めれば50年以上にわたる作品を何作観たか、数えきれない。改めて、その数に圧倒される。

他の作品と同じように、主人公「眞人(まひと)」は様々な選択をせまられる。最初の選択は、母親が入院している病院が火災により炎に包まれていると知ったときの、病院まで行く or 行かない。その時は迷うことなく「行く」と決め、着替えて走り出す。
その後も次々と選択するのだけど、眞人は迷わない。まぁ、物語だからね。普通は迷うよね、アオサギが喋ったり、薄気味悪い塔に入らなければならないとか、怖いじゃない?
眞人が選ぶのはいつも、生命だったり母親だったりと一貫しているなぁ、と思いながら観た。悪意がない石を持つ資格があるということなのだろうと思ったし、大叔父さんが眞人を後継者に、と思ったのはそこなのではないかな。
まぁ、私が勝手に思っていることだけどね。

結末としては、どっかで観たような「バルス!」的な世界の崩壊のようなことが起きて、主人公がもとの世界に戻った。
そして、その数年後には父と母と生まれた弟、新しい家族として東京に戻っていくところで作品は完。
アオサギに言われたように、眞人は少しずつ、あの世界で体験したことを忘れていくのだろう。それでも、これから生きていく中で、迷わず選択していける力を持ち続けてくれるといいなと思う。

ところで、映画を一緒に観た娘は、眞人の父親が妻亡き後、妻の妹と再婚したことに「うへー、気持ちわるー」と言っている。そういえば、私自身そういった事実が昔はあったことを文学作品や映画、伝え聞きなどで知ってはいるけれど身近で知っているわけではない。確かに自分がそうしなければならないとなると「気持ち悪い」と思うかも。普段はひとり劇場で映画を観るのが好きな私も、こういう、特に注目しなかった点に感覚的に反応する人の感想を聞くのが新鮮だったりするね。

この「君たちはどう生きるか」はもともと子ども向けの小説らしい(あいかわらず無教養な私)。機会があれば読んでみたい。

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