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いかなくては ③

授業が終わりスタジオに着くと、夜のクラスが始まる前の薄暗いホールで、時間を惜しんで研究のための資料に、付箋を貼り、線を引き、コメントを書きながら読みました。

前のクラスが終わって中にはいり、マットを敷いてプロップを準備したら、後は全てを横に置いて、クラスが始まるまでの間、仰向けになって自分の呼吸をじっと聞きました。肋骨に手を当ててそこが開いたり閉じたりするのを感じると、全ての生命を愛おしいと思った。

クラスが始まったら他のものは一切どこかに消えました。呼吸だけ。呼吸と一つに、溶け合うように、ダンスしその波に乗る。

もちろん、腰の痛みはいつもあります。痛みと共に居て、痛みを受け取り、それと付き合う方法を学びました。うまくいく時もあるし、そうでない時もあります。

自由でした

つかの間のそれは

時に甘美で

時にせつなく

自分の喜びと悲しみに触れ

そして、平安ももたらしました

  

プラクティスで他のことを考えることなんてなかった

それほどまでに没頭しました

それほどまでに内側から押し寄せ、溢れんばかりの思いで「そこ」にいたかった

"The only people for me are the mad ones, the ones who are mad to live, mad to talk, mad to be saved, desirous of everything at the same time, the ones who never yawn or say a commonplace thing, but burn, burn, burn like fabulous yellow roman candles exploding like spiders across the stars."

私にとって狂ったやつだけが人間なんだ。狂ったように生き、狂ったように話し、狂ったように救われたいと願い、同時にあらゆるものを望み、あくびしたり当たり前のことなんか言わないで、燃えて燃えて燃えて、星々の間に蜘蛛のように四方に広がって爆発する、あの美しい黄金色のローマキャンドルのように。

Jack Kerouac の On the road の中にある言葉です。私の好きな言葉の一つです。200時間トレーニングで、100分のファイナルデモクラスをした時、哲学の主題としてオープニングに禅の百足の話をし、クロージングでこの一節を読みました。今でも、時々、思い出してはクラスで読むことがあります。

 

On the Road は特別に好きな小説ではなかった。ビートを探るにはとりあえずマストというので読み始めたのですが、最初それほど興味がわかず、適当に流して読み始めました。

ある時、この言葉に目が釘付けになり、この部分にハートを打ち抜かれるような痛みを感じました。

mad to be saved

そうだ

救われたいとずっと思ってた

何から?

何からなのか、今となっては、もう、わからない。今となっては、理由なんて取って付けたように感じる。それくらいに正当性を失っているように見えます。

今では、その時の私が抱えていた痛みや苦悩はそれほど重要ではなくなりました、また分析することにも興味がなくなりました。それらは、きっかけだったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。解釈は重要でない気がしています。

救われたかった

救われたいと願ってた

救ってほしいと思っていることに

この言葉で稲妻に打たれるように気がつきました

とても弱ってた

それらに圧倒されて息も絶え絶えだった

それでも、それと同時に

この言葉のように

狂ったように、燃えるように生きて

燃えかすが残らないほどに、生き切りたい

そう焦がれていました

プラクティスに没頭したのは

さいなむものから、逃れ、救われたかったから

今、ここという場所にいないと

存在を、生きているということを

実感できなかったんだと思います

ある時、先生が私に向かって

you are so integrated

と言いました。

integrated、調和し揺らぎない状態、という感じでしょうか

だけど、私は integrated だったのではなくて

今とここ に救われたかった

そう思ってた

プラクティスの後、心は穏やかになり

身体は軽くなり

目覚め、平安がもたらされても

べつの次元では

沢山ある中の、一つの極端に傾いていた

2009年秋 日本に戻った時、自分が何をしたいのかわからなかった。ヨガを教えるという私に周りはびっくりし、困惑してました。一体、何故? これまでの全部を捨ててヨガ!?

自分でもよくわからなかった。何故なのか。だけど、いろんなことがそれほど重要ではなくなっていました。

      

あれから7年半

あの頃の私に比べたら

今の私はゆるくなって

少しは穏やかになり

かつてないほどに心地良く適当になって

そしてアサナにも

また「ヨガ」にも捕らわれることが少なくなり

いつの間にか

何かから解放されたように思います

自分のところに戻ってきた

失うものがたくさんあった

代わりに

もたらされたものもたくさんあった

そのどちらの時でも

極端に悲観したり舞い上がったりせずに

少し離れて眺める、ということを学びました

ヨガは素晴らしい

私たちの心と身体にバランスをもたらし

ウェルネスへと導く良い vehicle だと思います

だけど、ヨガでなくても良いのだとも思っています

私はたまたまヨガに出会った

そういうことだと思います

そして、そこから

とても豊かなものを受け取りました

それに感謝しています

Love & Gratitude


※ これは2017年3月に投稿したものを移転しました。