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今日のアウトテイク#172「ぼくらはコワーキングを再発明している」(2024-05-08)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」

飲食をともにするのはコワーキングの成立条件でもある。


#今日のBGM

#今日のコトバ

"バーベキューは世界平和への道ではないかもしれない。
だが、スタートにはなる。"
(アンソニー・ボーディン)

#人は音楽でできている

新しい音楽の発見は24歳でピークを迎えるらしい。遠い昔だ。

The New York Timesが、Spotifyユーザーが最も再生する楽曲は、10代、特に13歳から16歳の頃に聴いていた楽曲に由来することが多いと書いてるらしいが、ぼくの場合、13歳から23歳ともうちょっとレンジが広い。これは、自身、社会人になってからもバンドをやってたことが関係しているのかもしれない。

この間に、フォークから始まってロック、ブルース、ブルーグラス、R&B、ソウル、レゲエ、ジャズを片っ端から聴き倒して、それが今でも好みの音楽を聞き分ける一種のバロメーターになっている。

こういうのって、変わらないというか、抜けないですよね。今でも日本で一番唄のうまいのは加川良だと思ってるし。三つ子の魂百までも、ということか。

で、24歳を過ぎると音楽のトレンドに追いつく能力は徐々に低下し、30代になると音楽の発見レベルが大幅に低下し、音楽の好みが停滞し始める年齢は31歳、というのは確かに実感ありますね。

ただ、時々、ストリーミング中に「うん?これ誰?」と聞き耳を立てる楽曲に出くわすことはあって、発見がまったくないわけでもない。

よく聴く音楽が停滞してしまう要因について、Deezerの調査では「選択肢の多さに圧倒されてしまう」「仕事によって音楽を聴く余裕がない」「子どもの世話で音楽を聴く余裕がない」という3点が示されています。

若いときのように音楽だけに集中できる時間的余裕がない、というのはやっぱり悲しい。

人って聞いてきた音楽で作られているところ、あるはずだし。

なので、この記事読んでる間ぐらい、冒頭の「今日のBGM」を再生して、のんびりしてくださいな。

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#ぼくらはコワーキングを再発明している

昨日の「コワーキングがオンデマンドで出版するのもアリ」で書き漏らした、というか、あとになって「あ、そうか」と思いついたので書いておく。

くだんの〈SeLn〉社では、「書籍の適切な流通」を目指して、再発明を繰り返していく、という話だった。それにぼくは「再発明は繰り返してナンボ。決して終わりはない。変革し続けていく過程に最適解がもたらされると思う。」と書いた。

で、よく考えたら、今、ぼくらがやってるコワーキングも、実は当初のコワーキングとは違う次元のコワーキングを再発明しようとしている、ということに気づいた。(なんで、昨日、思いつかなかったのか…)

2005年8月9日にBrad Neuberg氏が「Coworking」という単語を作ってサンフランシスコではじめたのが、今、我々がやっているコワーキングの原点だが、当時、彼自身、フリーランスのエンジニアで、自宅でひとりで仕事していて煮詰まり、「そうや、友達と一緒に仕事すればええんちゃうの?」と思いついて声をかけたことからはじまっている。

その時のブログもちゃんと残っている。

最初に来たのがこのおふたり。それと写ってないが、Neuberg氏のお父さんも来たらしい。

ついでだが、これは、何回目かに集まってきた人たちに、「君たちも君たちの町でCoworkingやればええやん」と話してるところ。

ここ、非ッ常に大事で、決して「他に行くな、ここをずっと使え」と囲い込んだりしていない。なぜなら、彼はコワーキングを「場所貸し業」としてはじめたのではなくて、仕事する環境を共用することでお互いに補完し合う、協働、共創関係を結ぶ仕組みとしてコワーキングを始めたから。で、それは、どこの町にもあったほうがいいと考えたから。

ぼくが共感するのはこの考え方だ。事実、ぼくも「場所を貸して儲けよう」と思ってカフーツをはじめたのではない、自分たちに必要だったからはじめた。ぼくらはコワーキングを目的にしていない。あくまで自分たちのカツドウの拠点として、手段としてコワーキングを運営している。

そのへんの経緯はここに書いてる。

ただ、当初はだから、「仕事をする場所、環境を共用する」という考えに則ってコワーキングを運営していたし、その通り、オープン以後、ずっとそうだった。もちろん、セミナーやワークショップも山ほどやったし、飲み会、パーティもいろいろやったけれども、そこに参加する人たちは、皆、何かしら事業、稼業、生業をもっている人たちだった。

それがそのうち、自分のことだけでなく、世の中のこと、社会のことをテーマにカツドウする人たちとも縁がつながるようになってきた。よく覚えていないが(過去のイベントを振り返れば判るかもしれないが)、コロナ禍のちょっと前には、そういうカルチャー、空気が結構入ってきてたように思う。

それと、何かテーマを持って自分のやりたいこと、生きたい世界を実現しようとするが、それをどうやって実行したらいいのか判らない、迷っている、思いあぐねているという人たちとも接点ができるようになってきた。

そして今は、彼らが実現したいことを支援する仕組みとしてコワーキングがある。

以前も紹介した、茅ヶ崎のチガラボさんがやっていた「チガラボチャレンジ」が、そういう人たちを支援するプロジェクトとして判りやすい。

同じく、愛媛県八幡浜市のコダテルさんでも「クワダテ」と称して、みんなのやりたいことをサポートしている。

※この2つの事例は先日あらためて取材したので、追って記事にする。

つまり、ただ各自が各自の仕事をするだけではない、利用者の目的や課題を共有し、誰かの助けを得て実現、解決するために機能するようになってきている。

もちろん、そもそもの最初からコワーカーには相互扶助の精神があったし、だからコラボが起こり、世界中にコワーキングが広まっていったわけだが、それでも「仕事場」という固定観念があったことは否めない。

この「コワーキングの5大価値」も、当時は「仕事」が前提だったと思う。

けれども、時間の経過とともにコワーキングの利用層にもバリエーションが増え、多様なコワーカーが交差することで新しい企画やプロジェクトが生まれるようになってきている。そしてそれは「仕事」だけではない。

そのことは、毎度おなじみの「コワーキング曼荼羅」でも表している。

そして、コワーキング内でコラボが起こり、カツドウを進める中で地域に何某かの経済効果ももたらすようになる。それつまり、まちづくり、地域づくりのためのエンジンとしてコワーキングが貢献しているということだ。

そしてそれこそが、ローカルコミュニティとしての「インディー・コワーキング」の成立条件でもある。

何が言いたいか。

当初は共用ワークスペースとして運営していたコワーキングを、まちづくりの拠点として運営する。やってることは同じだし、「コワーキングの5大価値」も変わらないが、目指す方向にもっと広いビジョンが加わった。

これつまり、コワーキングを再発明しているということに他ならない。

そして、それは先日書いた、自らの哲学に基づいて「社会はこうあるべきだ」という批判的=クリティカルな提言をする、という社会運動につながってくる。

コワーキングを運営するということは、人と人をつなげ、彼らの働き方、生き方を変え、以ってまちづくりの一翼を担うという社会運動になっている、ということ。不動産業としてやってる人には「ナニソレ?」だろうけれど。

それを言いたかった。あー、スッキリした。

ということで、今日はこのへんで。


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