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N号棟

マグさんと見た!!マグさんがいなかったらどうにかなってた。

完全に「強く」なるためにN号棟のあらすじと向き合います。

あの三角関係なんだったんだろうな…

キッチンの取り出しやすいところに睡眠薬を置くくらい寝れてない女子大生、史織が主人公。

序盤に脳死状態らしき母親の延命措置を続けるかどうかの判断を迫られてることが描写される。これに対して煮え切らない返事を医者に返して荒い態度で病院を立ち去る彼女には生と死に対する葛藤が見受けられるけど、史織はこの世の全てに反抗的なのでこの場面で医師に見せる態度が彼女にとってどう言ったものなのかは微妙にわからないまま映画は進む。

母親の命を途絶えさせる判断を迫られてること、死んだ母親の行く末がわからないことが彼女を怒りや焦燥や苛立ちに追い立てる関係で本当にずっと周りを攻撃している。元カレに命令して友達を適当に扱って初対面の子供に声を荒げて住人を殺したり暴行を働いたりする。この映画の「難っ…」と思う点、史織の情緒の緩急と動機の見えなさにあって本当に視聴者をぶんぶん振り回してくる。これがね…なんかね…後半は楽しくなります。

ずるずると関係が続いている元カレと元カレの現在の彼女との3人で噂の心霊スポットである団地に向かう。廃墟のはずの団地は訪れると管理人はもちろん「空き部屋がひとつある」レベルで人が住んでいて、しかも彼らはどこか不気味で—?がこの映画の起承転転転転転転転転結??????の転の部分。

恐ろしいことにこの映画「団地に人がいる」「どうやら彼らは生きていないかもしれない」が大サビではない。


不気味な歓迎や、地雷を踏み抜いて凍りつく空気を切り抜けると団地が突然地震に襲われ、同時に住人たちの大発狂に遭遇する3人。混乱の最中、事前に知り合いになっていた一児の母である三谷が目の前で投身自殺する場面を見てしまう。

ここでキーパーソンぽい人が史織に対して「分かった?」って聞く場面があるんだけど、見てる側としては本当に何もわからない。

このキーパーソンの人が史織の事情を全て把握した上で「(子供を残して死ぬ母親も、その時が死ぬタイミングだと分かっているなら躊躇いがないし、子供のことを未練に思ったりもしないし、残された子だって不幸ではないことが三谷母の自殺を目撃することで)わかった?」なのかもしれないと、見たあとは思ったんだけどこの人が史織の事情を把握してたとしたら見るもの全てに暴力を振るい真実を突き止めるためならどんな犠牲も厭わない彼女の性質を知った上で団地に招いてることになるんだけど…それは…どうなんですかね…。

この後大混乱の末に史織の元カレが自分を放り出したことに怒った真帆(現在の彼女)は、謎に佇む住人たちからの「一緒にいるからね」や死んだはずの三谷さんからの「本当に信頼できる関係にであったことはある?」という言葉に絆され、百合乱行大会に突入。

死んだ人と一緒に暮らすことを選び、そんな場所で暮らすことを他人に選ばせてる団地メンバーにとって「彼氏が愛してくれない」程度の悩みなら抱けば解決できるってこと?カルト宗教だからインモラルってこと?史織のことは狙わないので単に真帆さんが好みってこと??

この団地の住人は「上下共に真っ白な服」か「白い服に赤いカーディガンを羽織ってる」に分類されて、百合乱行を経た真帆は真っ白な服に着替えてしまい暗に団地側に飲み込まれたことが示唆される。

この辺の服の色とかも多分色んな意味が含まれていて、最後のシーンの史織が真っ赤なワンピースを着てることとかで答え合わせなのかもしれないんだけど史織が「直接ではない殺人」「直接の殺人」「暴行」を「親しい間柄」「他人」の5パターンくらいでこなしてるのでどの事象が絡んで真っ赤なワンピースになったかちょっとわからない。対照実験が成立していない。

この後、開けない夜のなか手を取り合って団地から抜け出したりすることなく普通に朝を迎える史織。団地の住人と取り込まれた真帆は中庭で紅白ダンスバトルとしか形容できない踊りを始める。

このダンスバトル、かごめかごめとかフォークダンスとか盆踊りなどの既存の踊りをどことなく感じて全て違うのでもう独自に「紅白ダンス」と呼ぶしかないし、これに巻き込まれた史織が絶叫して倒れ「負ける」ので「バトル」と呼ぶしかない。このシーンは本当にわかんない…ここまで話してることは考察ではなく誤読と推察なんだけど、この紅白ダンスバトルだけどの話とも繋がってくれない。「N号棟」って調べた時に無限に出てくる考察系の動画や記事はこのシーン解説してくれるんですかね…。

この後住人大発狂を何回か経て、普通にニ夜目に突入したりして映画は進行する。道中元カレが団地に取り込まれたり死んだ人が生き返ったりしたけど史織の視点じゃないことって本当にふんわりしてるので「保留!!」みたいなテンションになる。

単独行動しかしない女、史織は団地の近くにある謎の小屋のなかで別のシーンでは生き返ってた人たちの死体を発見。それを処理してる人に暴力を働きながら真相を聞き出そうとするが失敗し、普通に団地の人たちに捕まってしまう。その先で団地の真相らしきものを聞く。

ここの「自殺した恋人はずっと近くにいて、ポルターガイストなどを起こしながら存在を主張してくる」「幽霊と暮らしてることを団地の人は認めてくれた」「周りの人もそうやって生きてる」、はこの団地の人たちが生と死が曖昧な状態で生活してることを示していて、冒頭の「生と死ははっきりとした境界があるから考えても仕方ない、死んだら死んで終わりなのに『境』なんてない」みたいな史織のセリフに対しての答えのような気がする。大切な人が死んでても一緒に生きていけることの示唆、死を曖昧にしてくれる場所の提示とそれを史織が見つけることはこの映画にとってのゴールだったと思う。

白熱する「死は救済」ラップバトルの最中、住人が「死ぬのは寝るのと同じ、寝るのが怖いわけない、明日が来ない睡眠は幸福と同じ。それに魂になっても生きてるんだ!」みたいなことを言われるんだけど史織が不眠症なのとこの辺がかかっていて、不眠症について史織は「今日という日が満足できないから先延ばしをする」って言ってるので「満足できていない人生を終わらせることの恐怖」に対しての解答だった気がする。本当に気だけ。

諸々を経て、「何があっても友達でいてくれる?」と元カレと真帆に問いかけ「一緒にいてくれるなら…一緒にいてくれるなら…」と2人を殺害する史織。その後自分の体にもナイフを突き立てる。その光景を見た教祖みたいな人は「素晴らしい!」と言って史織に寄り添ったところこの人も史織に刺され「立派ね…」みたいなことを言って死ぬ。

そしてフェードアウトして何故か死んでないし幽霊になってもいないらしい史織は大学に行ったりする。そのあと母親の延命装置を切って、幽霊の母親と穏やかなハグをし、団地の空いてる部屋の中で心地よく昼寝をきめ、史織だけが住んでる団地を写して映画は終わる。

ここ、どう考えても史織が土壇場で自殺したふりをして団地の狂言に乗って関係者を殺したとしか思えないんだけど、史織はここに至るまで3キル2見届け3発狂の女なのでそういう大胆な展開は「ある」。

全然あらすじを語ることができなかった。N号棟は面白い映画です。ミッドサマーときさらぎ駅の間くらい。

ミッドサマーで考察が流行ったのは衝撃的な映画だったのもあるけど、既存の文明を1番引用してたりして思考のとっかかりがあるからで、本当になんの手がかりもない新興宗教を「あるので」と力強く描写されると「あるなら仕方ないか…」という気になる。

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