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【物語の現場003】融川の描いた近江八景のひとつ・瀬田の唐橋(写真)

「融女寛好」の第十章では、奥絵師・狩野融川が描いた贈呈屏風について少し詳しく説明しました。画題は近江八勝。写真は、その八勝(八景)のひとつ・瀬田の唐橋。

 北には琵琶湖が広がり、南は緑の山々という景勝地。一方、東西を結ぶ交通の要衝でもあります。
 少し脱線しますが、古くは壬申の乱の際も、この橋を巡って大きな戦闘が行われました。この写真は、近江大津宮遺跡や弘文天皇陵など、壬申の乱で非業のご最期を遂げた大友皇子に関係する史跡をまとめて巡ったときに撮りました(滋賀県大津市、2017.12.17撮影)。
 ちなみに、「弘文天皇」は、大友皇子に対して明治になってから追贈された謚号。父たる天智天皇の崩御後、皇子が即位したという説もありますが、史実として確認されていません。そこら辺がまた悲しい。

 さて、狩野融川が「近江八勝図」を描くにあたり、琵琶湖まで現地を見に行ったという記録は見当たりません。著名な画題で粉本(絵手本)も多く、必要なかったのでしょう。
 しかし、江戸の人々は、想像以上にアクティブで旅行好き。社寺の参拝や湯治など、庶民でさえ、何かと理由を見つけては出かけていました。もしかしたら融川も、お栄さんたちを連れてスケッチ旅行に出ていたかもしれません。

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