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【物語の現場030】津山藩が建設に当たった中野の御犬小屋(写真)

「狩野岑信」の第二十五章は、幕府の命令で中野の御犬小屋の建設に当たった津山藩にまつわる話でした。

 中野の御犬小屋は、現代で言うと、主にJR中央線の中野駅の北側に広がっていました。その一角を占める中野区役所には記念碑が設置されています(東京都中野区、2022.12.19撮影)。

 その広さは約16万坪(東京ドーム約11.5個分)で、建設工事は幕府の普請奉行の監督の下、10万坪を津山藩森家が、6万坪を丸亀藩京極家が担当したとされます。

 写真左下の小窓は駅前広場から区役所方向を見た景色。当時は、見渡す限り野犬収容施設が建ち並んでいたと思われます。

 これは江戸時代を代表する愚行のひとつと言っていいでしょう。しかし、面白い。もし、柳沢吉保という男が、阿諛追従だけの無能な政治家だったら、ここまで大規模な施設は作れなかったはず。生類憐れみの令にしても、刑罰を伴わない、単なる「将軍様の訓辞」くらいでお茶を濁していたかもしれない。
 そうすれば、徳川綱吉に対する評価も、ちょっと変わった人だったけど、学問好きの面白い将軍だったよね、ということで済んだかも。家臣たる者、無能は論外ですが、有能過ぎるのもまた困る。

 物語としては、情緒不安定な綱吉と、綱吉が望むことなら何でも実現してしまう吉保。この主従の持つ不気味さや怖さが今後の鍵となって行くのです。


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