「におい」のはなし

わたしは「におい」が一番印象に残るタイプの人間なのかもって、やっと最近自覚をもった。

コロナになってにおいも味もしなくなってなにもかもおいしく食べられなくなったとき、
なんとなく味やにおいを想像しながら食べたし、
ホタテとかトリュフとかお出汁とかアロマとか香水とか、とにかく「いいにおい」に出会うととたんに幸せになれるんだよね。
(ちなみに気持ち悪い話だけど、うちの旦那氏のにおいもすごくすき)

実家で餃子が焼けるにおいもすきだし、おなかがすいてないのにカレーや焼き鳥のにおいがしようものならすぐにおなかすくもん。

あれ、そうなると思い出もにおいで記憶されてるんだな。

そう考えるとこどものころの思い出もみんなそうかも。

雪の中で遊んでた時に雪に顔を突っ込んだ時の雪のにおいに、図書館に入り浸って漫画を読んでた時の空間に満ちた古い本のにおい。
なぜか好きでいつも行ってた郷土資料館の布や資料の独特なにおい。

季節のにおいもおぼえてるなー
春のいろんな土のにおい
夏の花火のにおい
秋のたまねぎの皮を燃やすにおい
冬の雪がふる前のにおい

うわめちゃくちゃ思い出せる。
スキー場のゴンドラのにおい
高校の放送室のこもったにおい
キャンプの焚き火のにおい
湖畔のにおい
漁港のにおい
裏山のにおい

でもやっぱり、おばあちゃんちのにおいは特別だな。住んでる家以外の初めての「ひとさまのおうち」だったからなーあんしんするような、緊張するような。
でも産まれた時からずーーーっとわたしの記憶にあるにおい。

わたしは16歳からおじいちゃん×2と父方のおばあちゃんを年齢の順番に見送った。

8月に母方のおばあちゃんに舌ガンがみつかった。

急激に状態が悪化してきたと連絡がきたとき、わたしはすぐに仕事を調整できなかった。

母方のおばあちゃんはガンとともにいきてきた。幾度も生還し、ジジババ'sのラストマンとして多少の認知症はあれど元気に過ごしてきた。
だからなんだか、今回も大丈夫な気がしていたのかもしれない。

そこから3週間経って、わたしはやっと北海道にかえってきた。

おばあちゃんちは、いつもと同じにおいがした。

そして本当に、今度こそ本当に、お別れのときが近いことを知った。みてきたから、わかってしまった。

おじいちゃんが遺したたくさんのメモや物資を整理廃棄しながら、おばあちゃんのものも整理していく。
ときどき、お水しか飲まなくなったおばあちゃんがお目目をぱっちりあける。
そんなときはすこしだけ、話ができる。
昔話をしたり、写真や動画を見て笑ったり。
しゃべるおばあちゃんを遺したかったけど、撮れなかった。なんか、撮れなかったんだよね。

さっき、帰る直前に、おばあちゃんがつかってた、おばあちゃんが作った小銭入れをもらった。おばあちゃんがとっくに存在すらわすれているであろう、ブローチと一緒に。

そしていま、わたしは、飛行機のなかでおばあちゃんの小銭入れに顔に押しつけ、においを吸いこんで、たくさん吸い込んで、別れ際の笑顔をおもいだしている。
やべ、ないちゃうわこれ。

またおばあちゃんのことは書こう。
いまの気持ちを書き殴って、ここにのこしておく。

こんなひとりごとを読んでくれたひと、ほんとに、ありがとう!

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