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複雑性PTSDの人の病院の選び方

少し前からTwitterのスペースで「複雑性PTSDの人はコンビニクリニックに行かない方が良いのでは?」という話をしており、そのまとめになる。
基本的には私の体験談がベースなので、全てのコンビニクリニックがいけないという話でもない。
ちなみに私は現在はトラウマ関連疾患に詳しい医師のいる病院に転院し、コンビニクリニックは卒業した。

※余談だが、記事の写真は夫とまだ付き合っていた頃に今の病院の近くの桜を見に行ったときのもの。この頃はこの近くの病院に転院するとは全く想像していなかった。

コンビニクリニックとは

コンビニクリニックとは、都心部などにあるいつでも受診可能な病院のことである。今回は心療内科・精神科に限定して話す。

心療内科・精神科は初診まで数ヶ月待ちのことも珍しくないが、コンビニクリニックは初診もすぐに取ってもらえる。電話で「調子が悪い」と相談したときも、すぐに受診できる。
一見すると親切で、気軽に受診でき、無難な処方を出してもらえるので良さそうに思えてしまう。
しかしコンビニクリニックで複雑性PTSDをきちんと診てもらえることはまずないと思う。
コンビニクリニックではバイト医がたくさんいる。そのため運良くトラウマ関連疾患に詳しい医師に当たれば良いかもしれないが、最悪の場合には精神科医ですらないこともある。精神科医でなくても診察ができるくらいにマニュアルがしっかりしているのだ。
逆に言えば標準治療が嵌るような人には良いところだが、治療法が確立していないような複雑性PTSDには向かないと思う。

再被害に遭うことも

複雑性PTSDの人たちは、私も例外ではないが、しばしば自殺企図をする。しかしコンビニクリニックにとって、自殺企図をするような患者は迷惑だったりする。
そのため診察で自殺企図をしたことを話したり、初診で直近に企図歴があることがわかると、診察を断られる。入院施設のある単科精神科を勧められる。けれども紹介状を持たせてくれたり、受診先をきちんと案内してくれるわけではないことも多い。
自殺企図をする人の中には、実際に入院が必要な人もいるので、入院施設のある単科精神科を勧めるのが間違っているとは言っていない。

でもここまで読んでいておわかりの方もいるかと思うが、コンビニクリニックはいつでも受診(初診含む)ができるのが売りなのである。例えば自殺企図した人が、初診が数ヶ月待ちの病院が多い中、救いを求めてすぐに受診したりするわけである。でもせっかく行っても断られ、自分で他の受診先を探せと言われるのである。だったら初めから予約を取らせるなと言いたくなる。
受診を断られ、かつ紹介状も持たされれずに自分で他院を探せと言われるのは、これまで私たちが何度もされてきたように、見捨てられ体験の再体験になる。

トラウマの再演になることも

トラウマの再演とは、過去のトラウマと同じような状況を繰り返してしまうことである。
トラウマの再演とコンビニクリニックが関係あるのか?と思われるかもしれないが、コンビニクリニックではこちら側にある程度の知識が求められる。
少なくとも私は、自分がトラウマの知識を付けることでsurviveしてきた。surviveするためには知識が必要だった。それの再演になるのである。

コンビニクリニックでは、医師がトラウマ関連疾患に詳しくないことが少なくない。加えて前述の通り、病院内に細かいマニュアルがあり、診察時間も厳しく決められていて、直近の自殺企図歴のある患者は受け入れようとしないため、うまく話をする必要がある。
医師の機嫌を伺い、1〜2分以内で、コンビニクリニックで対応可能なレベルの症状を的確に伝える必要がある。通院し続ける限り、コンビニクリニックで対応可能なレベルを超える症状を伝えてはいけない。
特にトラウマ関連疾患に詳しくない医師が主治医に当たってしまった場合、PTSDなどに不適切な処方をされることがある。そのため、こちらが処方に関しても知識を付けておく必要がある。
また、福祉サービスや社会資源についても紹介してくれるとは限らない。これも自分で情報を入れる必要がある。

精神科に通院しているにもかかわらず、必死にトラウマ関連の勉強をし続けなければいけないのは、surviveの最中のままであり、安心・安全が確保されていないのである。
また医師のご機嫌を伺っているのも、迎合反応てある。
私は転院して気付いたのだが、この構造はおかしい。私たち患者がケアされる立場に全くなっていない。それでは良くなるわけがない。

トラウマを認めてくれない

これは特別コンビニクリニックに限った話ではなく、精神科医によるところが大きい。
トラウマは否認の病とはよく言ったもので、PTSDのA基準に該当する出来事が(複数回)あったとしても、PTSDあるいは複雑性PTSDと診断してくれないことは珍しくない。診断名はともかくとしても、医師によってはトラウマがあることすら認めてくれなかったり、否定してきたりする。
これはまるで治療的ではない。トラウマを否認することは、加害者の側に立つということである。そんな環境では、どうやったって良くなるわけがない。
私のかつての主治医も再三にわたって私のトラウマを否定してきた。この病院では薬をもらい、診断書を書いてもらうだけと割り切っていたつもりだったはずなのに、精神的にはどんどん消耗していった。

私が転院したきっかけ

私は転院前は頻回に自殺企図していた。でも自殺企図をすると即座に転院を言い渡される。だから診察では言えない。そして夫に病院に連れて行ってもらっており、夫の都合もあるためそう簡単には転院はできない。
しかし自殺企図を繰り返しているため、せめて薬は変えてほしいと思っていた。けれども診察で自殺企図をしたとはっきり言うことを回避しつつ、やんわり「希死念慮が強くなって…」くらいの言い方をしていると、切迫感が伝わらない。ゆえに変薬を希望しても却下される。何なら変薬を希望すると、医師が不機嫌になって1分も経っていないのに診察室を追い出される。これが数ヶ月(通院頻度は1回/2〜3週間)続き、痺れを切らして転院を決めた。
つまり、自殺企図について話せない構造になっている中で、希死念慮について話をすることなど不可能であり、そういう中では薬の調整もできるわけがないのである。
そして変薬をするために転院した。

じゃあどうしたらいいんですか

安心・安全を確保するという意味では、トラウマ関連疾患に詳しい医師がいる病院に転院した方が良いと思う。
しかしトラウマのある人にとっては、危険な環境こそ安全に感じ、本来は安全である場所の方が危険に感じてしまうこともあるため、その判断を本人の感覚ですることは時には難しいかもしれない。

私も転院後、トラウマに詳しい医師が主治医となり、診察でもTIC的な関わりをしてくれる。安心・安全な環境にいることはわかっているが、その反面とても落ち着かなく、そわそわした気分になることもある。おそらく安心・安全な環境が逆に怖いと感じてしまうからだろう。
もし私がもっと若い頃、つまりもっと再演の症状が強い頃に転院していたら、医療や支援から離れていたかもしれない。
そういう意味では、支援の入り口や、再演の症状の真っ只中でも通える(というか再演が起きやすい場所なので)コンビニクリニックは良かったかもしれない。
けれども、もう一歩治療フェーズが進み、トラウマの再演を終わらせようとしつつある私にとっては、コンビニクリニックは卒業して良かったと思う。

とは言え、トラウマ関連疾患に詳しい医師を探すのは至難の業と言って良いほど、クリニックレベルでは見つからないことも珍しくない。
私はたまたまセラピスト(心理職)からの紹介で転院できたが、一般の人が自分でインターネット等で探すというのは難しいと思う。もしトラウマに詳しい心理職と繋がりがあるのであれば、私のようにそこから病院をいくつか紹介してもらうのが早いし確実だと思う。
仮にどうしてもトラウマに詳しい医師が見つからない場合には、Do No Harm(無害であること)が重要であると思う。
わからないならわからないなりに一緒に勉強したり、一緒に考えてくれるような姿勢があれば、それだけで(寧ろその姿勢こそが)回復に役立つだろう。
なぜなら、J・L・ハーマンは最新の「心的外傷と回復」のエピローグ(2022)で下記のように言っている。

人間の残酷さをぶつけられた衝撃が癒やされるのは、別の誰かの献身と優しさによって関係の結びつきを取り戻したときだろう。回復の土台石となるのは、心理療法と社会的支援である。この原理は、どんな治療技法によっても、どんな薬物によっても変わることはない。

J・L・ハーマン著、中井久夫、阿部大樹訳 (2023年)「心的外傷と回復 」みすず書房 

私は、主治医やセラピストの献身と優しさに、何よりも救われていると思っている。こんなことを言うと綺麗事に感じる人もいるかもしれないが、私にとっては真実である。

繰り返すが、あくまでコンビニクリニックの構造と複雑性PTSDの相性の悪さに関する私見でしかなく、最終的に通院先をどうするのかは個々人の判断によると思う。

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