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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】歌って踊って窮地を脱するへんてこなヒロインのロードムービー~『ジャム DJAM』(北村紗衣)

 トニー・ガトリフ監督の映画『ジャム DJAM』は、エーゲ海を舞台に若い女性2人が右往左往するロードムービーです。タイトルロールであるジャムを『ベネデッタ』ではバルトロメア役だったダフネ・パタキアが演じています。2017年に作られましたが、このたび9月29日に日本公開されることになりました。アルジェリア出身のロマ系の監督であるガトリフは音楽をふんだんに取り入れた映画作りで知られていますが、この作品ではギリシャの音楽であるレベティコがたくさん使われています。

◆ミュージカルのようなロードムービー

 ヒロインのジャムはギリシャのレスボス島で自由気ままに暮らしていますが、継父のカクールゴス(シモン・アブカリアン)の頼みで、所有する船の部品を調達しにイスタンブルに出かけることになります。
 
 継父に遊びまくらず早く帰って来いと言われるものの、ワイルドなジャムの旅がすぐ終わるわけはありません。途中でフランス人のアヴリル(マリーヌ・カヨン)と出会いますが、アヴリルは難民支援ボランティアのためにトルコまでやって来たものの、ボーイフレンドに捨てられて一文無しでした。ジャムはアヴリルと旅をしますが、持ち物をとられたり、ストライキで足止めされたり、旅程はトラブル続きです。
 
 ヒロインのジャムは大変な音楽好きで、いたるところでレベティコを歌ったり踊ったりするので、全体にまるでミュージカルのような仕上がりになっています。ほとんどはかなりリアルな撮り方なのに、ジャムがいきなり歌い始めるとどこからともなくちゃんと伴奏が始まるなど、映画のリアリティがジャムの魅力に屈するような場面がいくつかあります。あまりちゃんとしたプロットがある作品ではないのですが、ちょっとお話がたるんでくると音楽が盛り上げてくれるので、飽きずに最後まで見られます。
 
 ジャムが歌い踊るレベティコの響きは、音楽に国境が無いことを示しています。ギリシャとトルコはキプロスの領有問題などをはじめとして長年にわたる対立の火種を抱えていますが、ジャムが行く先々で演奏する音楽はそうした対立をやすやすと乗り越え、自然に人の間にある垣根を消滅させてしまう力を持っています。
 
 カクールゴスに見送られてレスボス島を出た直後の場面で、もうジャムはイスタンブルの音楽クラブに完全に馴染んで服を脱ぎながらセクシーなベリーダンスを披露し、「太陽のような女だ」と周りの人に褒められていますが、これは音楽が人々の心を明るくするそれこそ日の光のような力と、ジャムがその力を最大限に活用する才能に恵まれていることをよく表現しています。ジャムはその後も都合が悪くなると歌や踊りで窮地を切り抜けており、生きることと歌い踊ることがそのままイコールになっています。

◆エキセントリックなヒロイン

 こんなエネルギッシュなジャムですが、よく考えるとかなりエキセントリックでヤバい女性です。着るものについてはいたってだらしない裸族で、冒頭からパンツを履かずにミニスカート姿で船の梯子を下りてきて、継父のカクールゴスが焦って目を覆うところがあります。その後も人がいないとわかると道端で服を脱いだり、全裸でうろちょろしたり、何をするか全くわかりません。
 
 アナーキーな反逆精神も旺盛です。ジャムのおじいさんはファシストに迎合する警察官だったということで、終盤で祖父の家の荷物を回収する場面では、ジャムはなんとお墓に排尿しています。驚き呆れるアヴリルに対して、音楽や自由を禁じたような人間にはこういうことがふさわしい……と言うジャムの厳しい表情からは強い信念が窺えます。亡くなった人だから尊重しなければ……とか、家族だから敬意を……というような世間的な建前は全く気にしないジャムの振る舞いはある意味で清々しいとも言えます。
 
 ジャムは大変たくましく世慣れた女性で、どんなところでもなんとか切り抜けるタフさがあります。一方で途中から道連れになるアヴリルはさっぱり生活力のない女性で、ジャムに頼らなければどうなっていたかと思うような気の弱さです。しかしながらそんなアヴリルも途中からジャムの裸族ぶりに悪影響……を受けたのか、道でケンカしていきなり服を脱ぎ始めるという暴挙に出ます。この映画では、アヴリルがジャムに迷惑をかけ続ける一方、アヴリルがだんだんジャムのペースにのせられていくようなところがあります。

 しかしながらこんなジャムも、世間の厳しさから完全に自由であるわけではありません。アヴリルが難民支援に来たというくだりからもわかるように、エーゲ海の美しい風景のいたるところに難民や貧困の影があります。途中でジャムがお金のためにセックスしなければならないかも……と覚悟するところもあり、自由に生きている女性でも性的な搾取にさらされる可能性があるということが示唆されています。
 
 最後に家族の食堂が接収されてしまうところではジャムは武器を持って暴れ出しそうになりますが、継父に諭され、諦めます。店を失った一家がそれでも船で音楽と食事を楽しんで生きていこうとするところは、音楽の力と庶民のたくましさが生き生きと表現されています。

◆リアルなのか、男性のフェティシズムなのか?

 この映画で難しいのは、エキセントリックでだらしないジャムはリアルな女性像なのか、それとも男性監督のフェティシズムに沿った形で撮られているのか……ということです。トニー・ガトリフ監督はかなりフェミニスト的な意図を持ってこの映画を作ったと述べており、ジャムが奥行きのある魅力的なヒロインであることは間違いありません。ジャムとアヴリルという性格が違う女性同士の絆もわりとちゃんと描かれています。
 
 一方で、この映画はかなりジャムとアヴリルが無駄脱ぎ……というか、脈絡なく全裸になるところをエロティックに撮っています。とくにジャムが強引にホテルにあがりこんで泊まり込み、全裸で寝ているアヴリルにちょっかいを出して性的なおふざけをした後、自分は別にレズビアンではないと言うところは、いくらジャムが変人だからと言っても非常に感じが悪く、また所謂クィアベイティング的でもあり、既に他のレビューで指摘されているように男性の性的ファンタジーが前に出た撮り方になっているように見えます。
 
 クエンティン・タランティーノの映画などでもよくあることですが、わりと奥行きのある強烈な女性を撮ってもどうしても男性的なフェティシズムっぽいまなざしが出てしまう監督というのはおり、この映画もそうかもしれません。さらにトルコの撮り方についてはオリエンタリズム的だという指摘もできるかもしれません。インスタンブルでベリーダンスを踊るジャムは映像としては魅力的ですが、西洋から見た東洋をエロティックな形で理想化しているとも言えます。
 
 しかしながら、このジャムのだらしなさにはリアルなところもあります。とくに股の違和感がひどくて道端でパンツを脱ぎ始め、アヴリルに様子を見てくれと頼み、結局毛を剃ることにする展開は、夏場に股の痒みに悩まされているような女性にとってはけっこう現実的……というか、さすがに実際に外でパンツを脱ぐのはあり得ませんがやりたくなる気持ちはわかるところがあるかもしれないと思います(私は毎年、股の周りを蚊に刺されているので気持ちがよくわかりました)。この映画では、フェティシズム的な男性のまなざしと、女性にとってもリアルと感じられそうな表現が妙なバランスで同居しています。

 『ジャム DJAM』は、ちょっと引っかかるかもしれないところはありつつ、エネルギッシュな女性を描いた映画です。音楽と踊りの力が感じられる作品でもあります。ちょっと風変わりなミュージカルものを見たいという方は是非、試してみてください。

映画『ジャム DJAM』
監督・脚本:トニー・ガトリフ
撮影:パトリック・ギリンゲッリ 編集:モニック・ダルトンヌ 音楽:フィリップ・ウェルシュ
出演:ダフネ・パタキア、シモン・アブカリアン、エレフセリア・コミ、ヤニス・ボスタンツォーグロウ

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)


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