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【試し読み】『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』崔盛旭より(「『タクシー運転手~約束は海を越えて〜』韓国現代史上最悪の虐殺「光州事件」の真相に挑んだ劇映画」)


『タクシー運転手~約束は海を越えて〜』
韓国現代史上最悪の虐殺「光州事件」の真相に挑んだ劇映画

◎物語

1980年ソウル。タクシー運転手のマンソプ(ソン・ガンホ)は、あちこちで繰り広げられる学生デモに悪態をつきながら街を走っていた。ひょんなことからドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を光州まで乗せる仕事を聞きつけたマンソプは、大金に目がくらみ喜び勇んで向かうものの、光州への道路はなぜか軍人によって遮断され、検問を逃れなんとか光州にたどり着くと、そこにはデモ隊と軍隊が衝突する異様な光景が広がっていた。引き返そうとするマンソプだが、ピーターはカメラを向けて街を撮影し始める。ピーターと対立しつつも、大学生ジェシク(リュ・ジュンヨル)や同業のタクシー運転手(ユ・ヘジン)と知り合う中で、次第に事の重大さに気づいていくマンソプ。一人家で待つ娘を心配し、一度はソウルへ戻ろうとするマンソプだったが、光州での実態が捏造されて報道されている事実を知り、再び光州へと車を向かわせる。

原題:택시운전사 
製作:2017年(日本公開:2018年) 韓国/カラー/137分
監督:チャン・フン 脚本:オム・ユナ 撮影:コ・ラクソン 
出演:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル、パク・ヒョックォン、チェ・グィファ、オム・テグ、チョン・ヘジン、コ・チャンソク

 2020年、韓国では1980年5月に起こった光州事件からちょうど40年という節目の年を迎えた。本来ならば記念式典や関連イベントが開催されるはずが、コロナ禍で中止が相次ぐなか、4月末に大きな注目を集める裁判が開かれた。被告は全斗煥(チョン・ドファン)元大統領、光州事件の「主犯」とも言える人物である。全は2017年に出版した『全斗煥回顧録』の中で、相変わらず「光州事件はアカによって煽られて起きた反乱」「ヘリからの銃撃は真っ赤なウソ」といった記述を繰り返し、事件の犠牲者に対する名誉毀損だとして市民団体から提訴されたのだ。裁判でも予想通り容疑を否定し主張を貫くその姿には、自らが指揮した虐殺への反省も、犠牲者や遺族への謝罪も毛頭見られなかった。そこには、不当な裁判だと逆ギレしている元権力者の醜悪な本性しかなかった。

 韓国では2017年5月、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾・罷免に伴い、文在寅(ムン・ジェイン)が大統領に就任し、10年ぶりに進歩派政権が誕生した。進歩派政権はこれまでも光州事件の真相究明に力を入れてきたこともあり、前政権下では公開が厳しかったであろう光州事件を題材にした映画が、文政権下で公開されたこと自体は不思議ではない。光州事件を扱った映画は、数は少ないもののこれまでにも存在したが、完成度は別としてどうしても重苦しさが先に立ってしまい、ヒット作品が生まれにくかった。ところが『タクシー運転手~約束は海を越えて〜』は観客動員1200万人以上という大ヒットを記録しただけでなく、日本でも大きな注目を集め、それまで韓国映画をあまり観なかった観客にも届く結果となったのだ。では40年という月日が経った今でも、「まだ終わっていない」事件として韓国国民の関心を集め続けている「光州事件」とは一体何だったのか。そして本作の大ヒットの要因は何だったのだろうか?

 光州事件は1980年5月18日から27日にかけて、韓国南部の都市、光州で起こった反軍事独裁・民主化闘争運動である。その端緒は、1979年10月26日の朴正煕(パク・チョンヒ)暗殺事件にまで遡る。朴の暗殺をきっかけに全斗煥による軍事クーデターが起こり、それに対する抵抗として光州事件は始まったのだ。

 暗殺から2ヶ月後の12月12日、全と盧泰愚(ノ・テウ)(後に全に続いて大統領になる)らが率いる軍の組織がクーデターを起こして実権を掌握した。18年間に及んだ朴の独裁政権が終わり、いよいよ韓国にも民主化の春がくると思われた矢先だったこともあって社会全体の反発は大きく、とりわけ大学の冬休みが明けた80年4月以降は、大学生や労働者たちのデモが全国に拡大していった。全率いる新軍部は、5月17日に集会の禁止や報道の事前検閲、大学の休校など戒厳令の拡大措置を発令、翌18日には他の大学と同じく光州の全南(チョンナム)大学でも学生と戒厳軍が対峙した。だが光州では、突然戒厳軍が棍棒で手当たり次第に殴り始め、学生は次々と連行された。過剰な暴力に市民らが止めに入ると、軍は一般市民に対しても暴力を振るい、こうして市民を巻き込んだ光州事件が始まったのだ。

 19日、市民によるデモが大きくなるにつれて戒厳軍も兵力を増やし、ついには市民に向けて発砲を開始した。この発砲を命じたのが誰かという問題は、現在でも大きな争点となっている。国民を守るための軍がその国民に向かって発砲することは、憲法で定めるところの「大反逆罪」にあたるわけで、軍トップだった全が命令を下したことは間違いないものの、冒頭で述べた通り全自身がいまだ否定し続けているのが現実だ。20日には軍の銃撃に対抗して市民も武装を始め、組織化して軍の撤退と民主化を要求する声明を発表する。しかし軍による統制で孤立状態に陥っていた光州の声が外部に届くことはなかった。

 劇中でピーターは20日に光州に入り、命がけで撮影したフィルムを持って21日に脱出するが、光州ではその後も、道庁を拠点に市民軍たちが戒厳軍に対して応戦し続けた。膠着状態を打開しようとした戒厳軍は、大勢の兵力に加えて戦車をも光州に送り込み、ついに27日、道庁で最後まで抵抗した市民軍はほとんどが射殺され、光州事件は「北朝鮮に煽られたアカによる反乱」として終結した。この日に道庁でどれだけの市民軍が殺害されたかも明らかになっていないし、光州事件全体を通じての犠牲者数も不明のままだ。ピーター(実際はヒンツペーター)が持ち出したフィルムによって事件の映像が報道され、韓国は国際社会から批判されるものの、言論統制によって当時国民が真実に触れることはなかった。

 韓国ではその後も長きにわたり、徹底して事件を捏造する新軍部に対して真相を究明しようとする闘いが続いた。そしてついに軍事政権の終焉とともに発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権下の1995年、光州事件を検証するための「5・18特別法」が成立した。光州事件は「5・18民主化運動」と正式に名づけられ、「アカによる反乱」などではなく「戒厳軍の鎮圧に対して、民主主義のために光州の学生・市民らが命をかけて立ち向かった歴史的事件」と定義されて、5月18日は光州民主化運動の国家指定記念日となった。全斗煥と盧泰愚は虐殺の罪を問われて死刑を言い渡され(後に特別赦免)、軍による虐殺を司法が認めたことで、光州の犠牲が無駄でなかったことが証明された。2011年には、事件の関連史料がユネスコの世界記憶遺産に登録され、犠牲者・遺族への補償や行方不明者の捜索は今なお続けられている。

 以上が事件の全体像だが、そもそも当時各地でデモが起こっていたにもかかわらず、なぜ光州だけがこのような事態に陥ったのだろうか。その背景には、朴正煕政権時代に作られた根強い「地域差別」が存在している。

 1963年以来続いていた軍事独裁政権だったが、70年代前半、彼には手強い政敵がいた。金大中(キム・デジュン)である。軍事独裁打倒の先頭に立ち、国民からの熱い支持を受けていた金に対抗するため、朴は金をアカに仕立て上げ、金の出身地であった全羅道(チョルラド)(光州を含む地方)の連中もアカだという間違った認識を広めていった。「全羅道出身者とは付き合うな」という差別意識は国全体に浸透し、テレビドラマに登場する汚れ役は決まって全羅道の方言を喋っていたものだ。全もまたこの地域差別を利用し、アカたちの反乱を制圧した自分こそが大統領にふさわしいのだと見せつけようとした。光州事件の隠蔽は、政府による統制だけではなく、光州なら起こってもおかしくないという、外側の人間の「やっぱりね!」という誤った認識が、光州をスケープゴートに仕立ててしまったのである。

 こうして当時ほとんどの国民は、軍事政権の捏造通り光州事件をアカによる反乱だと信じ切ってしまったのだ。そして時が流れ、軍事政権が幕を下ろし、徐々に事件の全貌が明らかになるにつれて、人々は軍事政権への怒りと同時に、事件から目を逸らしてきた己の愚かさを恥じ、事件の犠牲者に対する罪悪感に苛まれるようになっていった。いまさら光州事件を自分が語るのは図々しい……そんな複雑な思いを多くの人が抱いていたところに本作が登場し、マンソプという主人公が姿を現したのだ。マンソプは知識も教養もない一般「庶民」と呼べる存在であり、当初学生デモにも全く理解を示していなかった。そんな彼が外側から光州に入り、少しずつ真相に近づきながら権力者の横暴に目を覚ましていく姿に、私を含め多くの韓国人は己を重ね合わせ、自分と同じ目線を持つマンソプに感情移入することができた。本作の大ヒットの背景には、多くの韓国人に共有されていた歴史を巡る国民的心情があったと考えられる。

 最後に、映画にまつわる後日談を紹介しよう。ピーターのモデルとなったドイツ人記者ヒンツペーターは光州事件を世界に知らしめた実績を評価され、2003年に権威ある言論賞を受賞、その時のスピーチでタクシー運転手キム・サボクに言及したことが映画製作のきっかけになった。本作はほとんどが実話に基づいているが、ピーターに嘘の名前を告げ、彼の受賞を街角でそっと見守るマンソプというラストは、作り手の温かな想像力によるものであり、映画の最後では再会が叶わないままヒンツペーターが他界した事実が語られていた。ところが、映画の公開後にキム・サボクの息子と名乗る人物が現れたことによって、サボクの消息が明らかになったのだ。それによると、実際のサボクはマンソプのような庶民派運転手ではなく、外国人相手の観光ガイドを専門にしていた「ホテルタクシー」の経営者であり、早くから政治活動に参加、光州にも強い使命感を持って向かった人であることがわかった。そして、光州事件から4年後の1984年、既にがんで亡くなっていたことも。2人が再会できなかった理由ははっきりしないが、いずれにしてもヒンツペーターが必死でサボクを探していた時、サボクはもうこの世に存在していなかったことになる。

 この報道を聞いて、私は少しばかりがっかりしてしまった。マンソプのようなキャラクターを期待していたのに、実はそんな「エラい」人だったのかと。だがそれと同時に、映画の力を実感したのも事実である。タクシー運転手の正体がわからなかったことで、ソン・ガンホ演じるマンソプが誕生し、彼だったからこそ多くの観客が映画に惹きつけられたのだから。本作が韓国国内に限らず、日本をはじめ外国でもヒットした要因もそこにあるに違いない。本作はこれからも末長く愛されて然るべき映画だと思う。

(つづきは本編で)


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『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』
歴史のダイナミズム、その光と影
崔盛旭
http://www.kankanbou.com/books/essay/0624

四六判、並製、368ページ
定価:本体2,200円+税
ISBN978-4-86385-624-0 C0074

デザイン 戸塚泰雄(nu)

【著者プロフィール】

崔盛旭(チェ・ソンウク)

1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。明治学院大学、東京工業大学、名古屋大学、武蔵大学、フェリス女学院大学で非常勤講師として、韓国を含む東アジア映画、韓国近現代史、韓国語などを教えている。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)、『韓国女性映画 わたしたちの物語』(河出書房新社)など。日韓の映画を中心に映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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