夢物語が好きだ

夢がある物語が好きだ。
ここで言う夢は、幸せなハッピーエンド……ではなくて、こうだったらいいなと思える人生のような物だと思って欲しい。
例えば、スポーツ漫画を読めばサッカーをしてみたかった、チームスポーツで仲間と強くなりたかったとか、そんな曖昧で有り得たかもしれない夢だ。


チェイサーゲームWはそれだった。

今までの生活の中で、1度だけ、1人だけ同性を好きになったことがあった。というか、付き合ったことがあった。
あんなに感情に振り回されて付き合ったことはその後1回もないと思う。
1番好きな人だったし、今でも1番好きな人だと思う。もちろん過去の話だし、美化されてそうなってしまってるかもしれない。

彼女とは今でも連絡を取り合う友人だけど、樹と冬雨のようになることは絶対にない。
お互いに左手の薬指には違う人と結んだ約束がある。

だけど、なにか奇跡のような口実が出来て、彼女とキスしていいと言われたら絶対するだろうなと思えるぐらいの気持ちが今でもある。
とはいえ、衝動に駆られるほどの好意があるわけではない。好きだけど好きじゃないといった相反する感情が常に存在している。


そんな彼女がチェイサーゲームWを見てから、やけに夢に出てくるようになった。
朝起きて少し笑ってしまった。
夢物語が過ぎる。

別れてからあの頃の話を出したことは1回も無かった。
1週間前までは。


「ドラマなんだから、最後は幸せな2人が見たいね」
学生時代の友人何人かと話しながらご飯を食べた帰り、家まで送る車内で後部座席に座る彼女からチェイサーゲームの話が出た時は焦りすぎて口から心臓が出るかと思った。
感想や考察など思いの丈を伝えあったあとに、それを言われた。

「現実って難しいからね」
そんなことを返した気がする。

そこから話題はまったく別の方向にシフトして、彼女は車から降りて行った。


自分の選んだ選択に後悔はないし、罪悪感も背徳感もない。幸せにしたいと思える相手だし、幸せだと実感出来る今がたしかにある。


だからこそ、チェイサーゲームWで有り得たのかもしれない夢を見れたことに感謝の気持ちでいっぱいになっている。

きっとこのドラマを見なければ、この話は墓場まで持っていくつもりだった。あの頃を誰かに認められたかったわけでもないし、理解して欲しかったわけでもない。

いまさらここで書かせてもらったのは、なんで自分がチェイサーゲームWにこんなに狂ってしまったのかという説明をするにあたって、この感情を抜きに話すのは違うなと思ったからだ。



と、ここまで長ったらしい自分語りを読んでくれてありがとうございました。



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