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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉑

(21)「あと、200km」

 9/4(日)第17日、晴れ
 朝、7時に宿を出た。外は真っ暗であったが、同室の母娘が先に出たので、気になって、わたしも出た。標高が高いので途中で寒くなってダウンを出す。麓近くで、ようやく彼女らに追いついた。何も心配することはなかったようだ。

 下る途中でいくつかの村を通過したが、村はどれも貧しかった。しかし、まるで童話に出てくるような雰囲気の村であった。この旅で最も印象に残った風景のひとつである。

 道沿いに建っているこちらの住宅は塀と家が一体化している。石造りの家がそのまま塀の役割をしている。窓はあっても鉄格子が付いた頑丈なものである。日本の場合だと、木や石造りの塀があって、その内側に庭があり、家が建っている。ただ、日本の塀は防御のためというより、道路や隣家との境界を示すためのものが多いような気がする。また、日本の住宅だと、レースのカーテン越しに内部の様子などもチラチラと垣間見えるが、こちらではそういうことは決してない。全く内部は窺い知ることはできない。それがこちらの個人主義なのだろう。

山の麓の町

 麓の村は川沿いにある美しい村であった。川のほとりにあったレストランで朝食をとった。村の人たちが大勢食事をしていた。値段は高かったが充実した内容で美味しかった。朝から外食と言うのは私の日常にはないものだが・・・。先ほど追い越した母子も遅れて店に到着した。私が先に出たので、彼女らとはこれ以降会うことはなかった。

おいしい朝食

 雰囲気がいい街並みが続いた村を出たところに、何か日本語で書いたものがあった。近寄って見ると、2009年6月に建立された日本とスペインの「カミーノ友交記念碑」であった。

日本との交友碑

 車道の横を歩く道となり、緩やかに傾斜した道をぐいぐいと登って行った。道の脇に畑から飛び出したブドウがあり、時々摘んで食べた。下りになってしばらく行くと、巡礼らしき男性がこちらに向かってやってくる。「カミーノ・デ・サンチャゴ」の場合、一方通行なので向こうから人がやってくるというのは滅多にないのだが・・・。何と前に会った獣医学生であった。聞くと、前日に泊まった宿にパスポートなどを忘れたので取りに戻るところだという。これで1日が無駄になったと嘆いていた。前に会った時、彼は後期の授業までに帰国しなければならないと焦っていたので、さぞがっかりした事だろう。気を取り直し、腐らないように励ましたが、この経験もきっと旅の大きな収穫になる筈である。人は自分の失敗からしか学ばないからだ。頑張れ!(彼とも、このあと会うことはなかった)

 私の前を一人の中年男性が歩いている。時々一緒になったことがある人だが、いつも一人で、誰かと親しく話をしている場面を見たことがない。その男性が担いでいるザックが左に傾いていて、前から気になっていた。肩ベルトのバランスが悪いのである。私も経験があり、身体に妙な負担がかかる。言うべきか、言わざるべきか迷ったが、休憩のタイミングで注意したら、「いらんお世話だ」と言うようなことを言ったようだった。ただ、私の助言が伝わったことは確かで、彼がそれを無視したことは理解できた。この人にとって、巡礼とはそう言う自分を見つめることではないのか?この後で、この男性の姿を見る機会があった。ザックの傾きは直っていた。

 ポンフェラダPonferradaは大きな町で、これまで見た町と同様に大きな聖堂があり、要塞跡が残っていた。日曜日のミサが行われていたので、休憩がてら外でしばらく眺めていた。道沿いの店は閉まって、町はさびれた感が漂っていたが、それは日曜日のせいだと気づいた。そのため、私は昼食を取ることができなかった。
 何かあるだろうと川沿いの道を歩いて行くと博物館があって、そこにレストランが併設されていた。何が出てくるのかわからないままに注文したら、クリームコロッケが出て来た。あまり美味しくなかったが、一応腹は満たされた。巡礼には日曜日は要注意である。

 途中、日本の水田で見る灌漑設備と同じものを見た。畑に沿って溝が刻まれ、仕切り板によって畑に水を導く仕組みである。ただし、こちらは畑である。

 カンポナラジャCamponarayaのアルベルゲは満室で、初めて2段ベッドの上段をあてがわれた。上り下りが危険な上、落下防止柵も低かった。こういう場合、入れただけでも良かったと考えなければいけないのだろう。また、シャワーがなかなか空かなかった。同室の若い女性には気の毒な状態であった。例の韓国人学生もいて、I君が食当たりになったというので、整腸剤を提供しようとしたが、その必要はないとのことであった。

 ここはゴールまであと200kmの地点で、この旅もようやく先が見えて来た。さて、そこで得るものは達成感の他、何が待っているのだろうか?

 夕食は東京の女子学生Sさん、それに二人の韓国人学生、韓国人男性Y氏、他に日本とスペインの国籍を持った青年男性、そして私の6人が一緒だった。Sさんは留学経験があり、英語が堪能であった。日本語が話せる人がいたのが嬉しかった。海が近いのでイカのメニューを注文したが、大して美味しくなかった。また、ライスプディングというのを初めて食べた。

rice pudding

 後でY氏(聖公会)から是非祈ってほしいと、南北朝鮮の地図を書いたプラスチック状の板をもらった。(26.1km、41,330歩)

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