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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉟

(35)バルセロナの海辺

 9/19
 時間が空いたこの日は、特別に観光をする訳でもなく、水族館の向こう側に広がる海岸で遊んだ。大勢の人たちが海水浴や日光浴を楽しんでいた。いかにも外国の観光地の海水浴場という華やいだ雰囲気がある。ここが地中海だと思うと、何か不思議な感じだ。
 ハワイでは、観光客がサーフィンやパラセイリングなど様々のアクティビティを楽しんでいたが、ここではそういう風景はあまり見られない。特に何をするでもなく、ただボーっと寝転んで、時々談笑して過ごしている。贅沢な時間の過ごし方で、見習いたいと思った。

 9月も中旬を過ぎており、気温は21度と低く、日本では水泳どころではない。これが「地理」で学んだ「地中海性気候(CS)」なのだ。何事も現地で経験してみないとわからないものである。

 私は、水の中に入りたいという衝動を抑えて、海岸線を歩き、波打ち際のきれいな石を拾ったりして過ごした。波で靴が濡れてしまったが、しばらく干していると乾いた。砂浜に座ってボーとしていただけであったが、上質の時間を過ごすことができた。これまで常に動いていたので、スペインに来て初めてこういう時間を過ごしたのではないだろうか。

ゴミが落ちていないバルセロナの海岸

 私の頭の中には常に日本と比較している自分がいる。ここでは何が日本と違うのか?それは砂浜にゴミがないことである。「少ない」のではなく、「ない」のである。私が住む町の近くの海岸には、ペットボトルや発泡スチロールなど、漂着物のゴミが大量に打ち上げられている光景を見るが、ここではそれらが一切見当たらない。掃除して撤去したのかとも考えたが、翌日には新たなゴミが打ち上げられるので、少しは落ちている筈である。この後に行った海岸でもゴミはあまりなかった。さらに藻の類もなかった。地中海に面した国々がゴミを出していないのであろうか。しかし、それはないだろう。海水を口に含むと、日本よりも塩辛いと思った。閉じられた海域のせいだろうか?

 そして、飲み物類を販売している店はあっても、「海の家」のような休憩施設が見あたらないのだ。では、どうやって着替えをするのであろうか?どうも、予め水着を着た状態で来て、帰りも着替える風でもなく、身体が乾くのを待ってそのまま帰っているようだ(この点に関しては後で詳しく述べる)。お兄さんが、砂浜に敷く布切れを貸す商売をしていた。

 帰りは、途中のレストランでパエリアを食べた。ここでは初めてチップを払った。カードを見せながら、「ラ・クエント(お勘定)」というと、係が請求書とカード入力の機械を持ってくるので、その際、その紙にチップの額を書き足すのである。少し新しい経験を重ねた。(14,560歩)

サグラダ・ファミリア再訪

 9/20
 再びサグラダ・ファミリアに向かった。ちょうどお昼時であったので、現地の人たちが利用している町のレストランに入って昼食を済ませた。「グーグル翻訳」のカメラ機能を使ってメニューを見たが、全く翻訳できなかった。しかし、頑張って睨めっこをしていると、何となく想像できるところがあり、後は運を天に任せて注文した。キノコのスパゲティが前菜で、牛肉とフライドポテト、赤ワイン、ソルベッティ(アイスクリーム)であった。安くて美味しかった。全く英語が通じなかったが、そういう中でやって行くことに、少しづつ慣れて来ている。

前菜とワイン、パン

 前の席の若い女性が赤ワインを飲んでいたので、自分も飲めそうだと思って、ワインを注文した。水と同じ価格なのだ。この話は誇張して伝えられていると思っていたが、本当であった。そのワインはラベルが貼っていない小さなボトルで来た。想像するに、店が特定のワイン農家と契約しているのではないだろうか。だから、市場で販売されている製品とは違い、店によって味が違うのではないだろうか。味はマイルドで美味しかった。全部飲むと昼間から真っ赤な顔になるので残してしまったのが残念であった。

 サグラダ・ファミリアでは予め入場の時間が決まっているので、それを待って入場する。スマホの予約データがなかなか見つからず焦ったが、どうにか見つかって入場できた。日本語解説の音声ガイドはいつの間にか通過してしまった。
 教会の中は外観から受ける印象とはまるで違っていた。外側はゴテゴテした装飾が施されているが、内部は仕切りがない巨大なひとつの空間であった。カトリック教会独特の聖人像や絵画の類が一切なく、実にシンプルであった。ステンドグラスにも像はなく、抽象的な構図になっている。

カトリック教会といえばステンドグラス
中央にキリスト像が見える

 そして、何よりも十字架があまり目立たないのだ。普通、カトリック教会には、十字架に付けられて苦悩するイエスの身体が付けられた十字架が正面中央にあって、それに自然に目がいく仕掛けになっているのだが、ここは違う。空間全体が大きいので、十字架はあっても存在感が薄いのだ。
 だから、どちらかというとプロテスタントの教会に近い印象である。外側は何本もの塔を持ったゴシック建築の伝統を引き継ぎ、内部はプロテスタントという感じだ。

 塔に登る予約の時間が来たが、ここでもデータが見つからず困った。職員が手伝ってくれたがラチがあかず、次は日本人の職員が来て手伝ってくれて、ようやく見つかり、どうにか列に入ることができた。しばらくすると、前の方から名前を呼ばれてエレベータに乗ることができた。スマホの中にいろいろなデータが入って、見つけにくくなっていたのだろう。それにしても親切な対応であった。

塔から街を見下ろす

 バチカンの聖ペトロ寺院でも塔に登ったが、欧米の人たちは高いところからの見物が好きなようだ。バルセロナの町が展望できた。下りは狭い螺旋状の階段をぐるぐると回って降りて、見学が終了した。
 結局、宿から徒歩で2往復したことで、街並みの様子がよくわかった。

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