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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉛

(付)エピソード

 9/13から9/24まで、長めの観光が残った。
最初の計画では巡礼後の日程は1−2日で、それも実際取れるかどうか分からない状態であり、日本を出る段階では何も考えていなかった。それが途中で、200km強を短縮したので、10日間ほど余裕が生じることになった。そこで、これをどう消化するかが悩ましい問題として登場した。巡礼中はただ毎日のことで精一杯であったので考える余裕などなかったが、旅の終わりが近づくに従って、そうも言っておられなくなった。
  そこで、考えたのが、マドリード→グラナダ→バルセロナ→パリ泊という日程である。結果的に、もう少し考えたほうがよかった面もないではないが、まあこんなものだろう。特に、バルセロナはゆっくりと過ごすことができた。宿が変わらないというのは、ずいぶん楽であった。

(1)マドリードMadrid
 9/13朝、暗いうちにアルベルゲを出て、雨の中を歩く。「Googleマップ」に従って、スペインの国鉄であるRenfeのサンチャゴ・デ・コンポステーラ駅を目指した。まだ暗くて、広い公園のようなところに入り込んで、方向がわからなくなり、仕事に向かっていると思われる女性に道を尋ねて、ようやく駅に着くことができた。駅では、マドリードまでと、グラナダまでの列車の切符を購入した。その際、スマホの「Google翻訳」が役に立った。

 到着したマドリードのチャマルティン駅は大きく、自分がどこにいるのかすらよく分からない。トイレには長い列ができていた。ハンバーグ店に入ったが、相対ではなく機械で注文をする方式であったので、操作がわからずに適当に注文した。

 初めての町なので移動の手段がよくわからず、タクシーで宿に向かった。しかし、運転手に宿の住所を伝えたにもかかわらず、降ろされた場所に宿はなく、そこから探すのが大変だった。一体、何人に道を聞いただろうか。その時は、「Googleマップ」を開いたら良かったのだが、多分宿の近くにいるので誰かに聞けば簡単に見つかるだろうと考えたのが大間違いであった。何人かにスマホをかざして宿の住所を提示して聞いたが、見つからないのだ。

都会というのはどこも同じである

 一番ひどかったのは自転車屋であった。ここでは観光客向けにレンタル自転車がある。そこで、地域のことには詳しいだろうと当たりをつけて宿の場所を聞いたのである。これは決して悪い判断ではなかったと思う。すると、店主は客に提供する案内図にボールペンで線を引き、該当の場所に✖︎印を付けて、ここだと自信を持って教えてくれた。何度も感謝した。しかし、その地図の場所に行ったが、それらしきものは見つからなかった。
 ここでは道を尋ねると、知らないという返事は返ってこない。誰もが自信を持って「親切に」教えてくれる。しかし、それが間違っているのだ。訳がわからない。この後も、そして、パリの空港でも同じだった。

 こういう方法ではダメだと絶望して、「Googleマップ」を開いて、カルメン通りにある宿を探し当てた。これはもう「文化」の問題だと思った。知らなくても、知らないと言わないのだ。確信を持って間違ったことを教える。それは騙そうというのとは違う別の心理から来るもののようである。すぐ近くにあって知っているなら、その近くまで案内してくれるのが親切というものであると考えるのは日本人である。

 ただ、こういう親切もあった。宿の受付でこれからどこに行くのかと聞かれたので、予定を言ったら、グラナダはいいところだ、次のバルセロナでは盗難が多いので注意するようになどと助言をしてくれた。そして、明日の切符を見せたら、宿の近くのソル駅からアトーチャ駅まで、その切符で行くことが出来ると教えてくれた。それから、わざわざソル駅まで私を連れて行って、改札口に降り、切符をこの機械に入れるのだと教えてくれた。これが本当の親切だろう。

 夕食がてら、町を散策した。たくさんの人が出入りしているビルがあったので、ついて入ったら、最上階が風景を楽しみながら食事ができるレストランであった。タイ料理の店があったので、麺料理を注文したら美味しかった。おまけにキリンの「一番搾り」もあった。〆て19€。

久しぶりに美味しい麺料理を味わった

(14,843歩)

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