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祖母の葬儀に出た

死にたい死にたいと言っている割に死に近づいたことは全然なくて、強いて言えば研究室時代の友達が亡くなったとき、コトを知らされたその一瞬だけ死にふっと近づいた気がします。

そんな私ですが、母方の祖母が亡くなり葬儀に参列してきました。関東から沖縄へ。経済的なことを気にしてしばらく帰省を控えていましたが、法事ともなればそんな事を気にするつもりも余裕もなく。
喪服と鞄と香典と数珠だけをなんとか工面して、喪服を試着することもなく飛行機に乗り込みました。

姉の子供たち(甥と姪)がいたのは大変ありがたく姉は大変だったでしょうが私含めいちばんつらいであろう母もが癒されていました。

葬儀当日、まったく作法も分からぬまま事が始まりましたが、思いの外簡単で余計な恥をかかずにすみました。

嘘です。せっかく姉に貸してもらった袱紗…の中に入れてあった香典…がなんとかばんの中でこぼれ落ち、祖母の亡骸を前に私は呆然とする羽目になりました。なんとかご焼香をあげて席に戻り、終了後に母に香典を押し付け、祖母に「ばあちゃんごめんなさい」と言うしかありませんでした。きっと「あれあれ」と言っていたことでしょう。
私は姉と肩を震わせて笑いました。

祖母はきれいでした。きれいに死に化粧をしてもらったこともあるけれど、元々とてもきれいな人でした。遺影からも亡骸からもその面影が窺え、実際美容には惜しみなく金銭を投入する方ではありました。

死んでいるとはこういう状態を言うのかと思いました。息をしていない。動かない。とても安らかに見えました。
母が最後の最後に言ったのが聞こえました。「お母さん、おやすみなさい」

私はずっと何と祖母に声をかけたらいいか分からず「おばあちゃん綺麗にお化粧してもらってよかったね。またね」と言いました。「じゃあね」より「またね」の方がしっくり来ました。

祖父が祖母の亡骸を見て「ここ最近見た中ではいちばん綺麗だ」と言ったのでみんなわらいました。

火葬後、骨渡しと収骨をしました。
骨は思ったより少なくて、一部溶けていて、高火力で一気に焼いたことがわかりました。

母はてんやわんやしていて、祖父も終始興奮していました。
沖縄の墓は大きくて、家の様相を呈しています。したがってドアを剥がして中に生きた人間が入って納骨する必要があるのですが、その役目を仰せつかった叔父さんは漆喰まみれで出てきました。中は狭いものと見えます。

その後は沖縄ではよくあることに、我々は大量のお供えものをひたすら食い、またひたすら客人に配るというイベントを執り行いました。
沖縄では盆といい正月といいそういうことは本当によくあるのです。今回はオードブルではないだけマシで、幾分おいしいご飯にありつきました。

帰り道母が「相続って、したくないものはしないで、したいものはするということは出来るのかしら」と言うので、「基本的にはできないよ」と返したところ「よく知ってるね。何で知っているの」と言われてしまい咄嗟に「公務員試験の勉強のときに習ったのさ」と応答しました。実際には自分の自殺未遂の時によくよく調べてあったというのが真実ですが、母が感心していたこともあり黙っていました。傍で父と姉が黙っていました。

葬儀から家に帰ってきた我が家はいつもよりずっと賑やかでした。姉が用意してくれた鰻を食べ、おいしいほうれん草の和物を食べ、各々が飲みたいものを飲みたいだけ飲みました。実は泡盛を飲んだことがないのだと言うと父は驚いて飲みやすいものを用意してくれました。子どもたちもよく食べました。

母は孫(甥)を甘やかしているようで実際は孫に甘えているようでした。かわいいかわいいと頬ずりしては、キャッキャと恥ずかしがる孫を抱きしめていました。そのあと姉の代わりに寝かしつけに行き(まあ色々あったのですが)2人で眠ってしまいました。

私は甥の横で母が泣いているんじゃないかと内心で思いましたが、思ったって仕方ないので放念しました。

甥も姪も偉大でした。暗い雰囲気を吹き飛ばして始終(ではないにしろ大抵は)にこやかでした。これは長姉に礼を言う必要があると思います。

私は一足早く帰京しました。とにかく早く日常に戻らないことには次の日仕事に支障が出ると思ったからです。

一足早く帰って何をしたかと言えば断捨離と睡眠でした。ひたすら手を動かしたあと横になりながら私は葬儀を振り返りました。「祖母は私たちが弁当を食べたりゆんたくしたりの2時間強の間に焼かれて骨になったのだ」という時間的な重みが一番私にはこたえました。

そしてこれから来る葬儀について思いを馳せました。母方の祖父。父方の祖父母。
この中にひとり、葬儀に出たくない人がいます。その時のことはその時考えましょう。

美しい思い出をありがとう、と私は焼香をあげながら思いました。祖父母というものはどうも、まあシックスポケットのうちの一つでもありつつ、そういうものだと思うのです。下支えになるものを育む人たち。美しい思い出を与える人たち。心の安寧を醸造する人たち。

おばあちゃん、ありがとう。おやすみなさい。またね。

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