エンドロールで広がる世界
昨年といっても、2ヶ月前の11月に、わたし史上初のゴジラ映画を観てきました。
タイトルは『ゴジラ-1.0』。
山崎貴監督による泣けるゴジラ映画との評判どおり、2回ほど目頭が熱くなりました。
その一方、橋爪功さんのわずか数秒だけの登場に驚き、エンドロールではどのように表示されるのかをチラリと考えてしまう場面もありました。
そしてそのエンドロール。結局、出演者のクレジットから橋爪功さんの名前を発見できずじまいでいたが、この好奇心はわたしだけに限らなかったようで、「ゴジラ-1.0 橋爪功 エンドロール」で検索してみると、橋爪功さんの一瞬だけの出演やエンドロールに名前がないことについての情報が数多く見受けられ、それらの中からカメオ出演なる用語を知ることとなりました。
余談ですが、過去記事『もう一つの理由』で紹介しました『最後の自画像』(松本清張原作『駅路』を向田邦子が脚色したドラマ)では、松本清張がちょっとした役でカメオ出演しているそうです。
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話を『ゴジラ-1.0』のエンドロールに戻します。エンドロールまで観る派、観ない派で意見はわかれますが、わたしにとって映画館での映画鑑賞はエンドロールが終わるまでとなっていて、それは「家に帰るまでが遠足」というのに少し似ているような気がします。
と、またも横道にそれそうなところをぐっと我慢。『ゴジラ-1.0』のエンドロールです。多くの出演者やスタッフの名前が流れていくなか、カタカナの名前というのは一際目立つもので、マイケル・アリアスという名前を目にしたときには「あっ」と思いました。
マイケル・アリアス(アメリカ出身のCGクリエーター)といえば、わたしのなかでは映画『鉄コン筋クリート』の監督です。
わたしは驚きのあまり、「こうして活躍の場を広げておられましたか……」と、まるで旧知の間柄のように感じ入ってしまいました。
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こちらが『鉄コン筋クリート』のDVD。
以前、ミニシアター関連の記事で「所有している映画のDVDは全部で5枚」と紹介したうちの1枚です。
松本大洋の漫画はこのほかにも『ピンポン』が実写で映画化されており、個性豊かな俳優たちが出演しているぶん、『ピンポン』の方が広く知られているかもしれません。
――などと、いかにも両方シアター鑑賞したような言い回しですが、実のところ、どちらもあとからの my room 鑑賞です。
ただ、『鉄コン筋クリート』については、マイケル・アリアスのインタビューに感銘を受け、わたしの青い手帳に記録していました。
それは、松本大洋の漫画を知っていたわたしのセンサーが働いて、偶然目にしたテレビ番組でしたが、メモの日付が『鉄コン筋クリート』公開のずっと後であることや、彼が監督した別の映画にも触れていることから、監督マイケル・アリアスの特集であったと思われます。
わたしがマイケル・アリアスを知った衝撃はずいぶん大きかったのでしょう。普段は数行でまとめるメモなのに、彼に関しては、わたしの青い手帳の中で最大の行数となり、上記引用はその一部です。
司会者:愛されキャラですね。
クリエーターにはそれが大切な要素だと思うのですけど……。
みんながその人のために働いてくれる。
だとか、
彼が手がけた別の映画『ヘブンズドア』のことだとか。
マイケル・アリアスについてとりとめなく書き留めた中で、心に一番残ったこと。
それは、彼の表情について”恥ずかしそうに困った顔”と記した一文。わたしの感想です。
この”恥ずかしそうに困った顔”こそ、わたしが思い描く理想の愛され顔で、老若男女問わず「いいなぁ」って思います。
現実的には、そうそう”恥ずかしそうに困った顔”ではいられませんが、その片鱗に近づきたいと自分の気持ちに気づいた日。
たった一度の接点でしたが、わたしがマイケル・アリアスに思い入れがあるのは、こんな背景があったからなのです。
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最後に、『鉄コン筋クリート』のDVDを観てふっと不思議だったこと。
それは、”日本語版”と”英語吹き替え版”の両方を観たから生じた不思議なのですが、どういうわけか英語吹き替えの方がすんなり感情移入できたということです。
原作漫画を読んだことがあるわたしの脳が、字幕を目で追う英語吹き替えの方が漫画に近いと錯覚したからなのか。
日本語版の声が、わたしのイメージする『鉄コン筋クリート』とはちょっと違うと無意識のうちに思ったからなのか。
自分なりに考えてみたら、これが案外おもしろく、不思議だと思っていたことを掘り下げられてスッキリしました。
そして、そんなとりとめのないことを記事にできるnoteにあらためて感謝。
ありがとうございます。
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