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アルメニアとシンガポールと日本を通して、「豊かさ」を考えたはなし

アルメニア旅について,Twitterでまとめている方がいた。良い写真がたくさんある。アルメニア旅行を考えてる方は,そちらを参考にすると良いだろう。ここにあるのは,ただの個人的な記録だ。

アルメニアは豊かな国だと、私は思う。
しかし、その豊かさを説明するのは難しい。

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GDPは一人当たり年3,000ドル程度(日本は32,000ドル程度)、隣国アゼルバイジャンとはナゴルノ・カラバフを巡って半戦争状態。つい最近も、国境沿いでドンパチあって死者がでた。もう一方の隣国トルコとも歴史認識を巡って敵対してて、毎年4月になるとキリスト教圏とトルコの非難合戦が行われる。近所付き合いがそんな状況なので、発電用資源(ガスや石油)輸入もままならない。国内で資源が取れないアルメニアは、ソ連時代に建設された、老朽化した原子力発電所に電力供給を頼っている。苦しい経済事情にたえかねて、また男子は兵役から逃れるため、よその国で職を得る若者が多く、移民数を表す純移動率(net migration rate)はいつも転出超過

データだけ見ると、アルメニアは全然「豊か」じゃない。
しかし、アルメニア滞在中、私はその豊かさに圧倒され続けた。

滞在したのは2014年5月、6年前のはなしだ。10日間ガイドとドライバーを雇って周遊するという、気楽な旅行者として短期滞在したにすぎない。だから快適な滞在をできたのだ、現地の生活の苦労を知りもしないくせに。そう言われたら、その通りというしかない。しかし、ガイドやドライバーがいなくても、私の受けた好印象は変わらなかっただろう。私はきらびやかなランドマークに感動したのではない。辺境の小さな村にたたずむ築1500年の教会や、その教会を村の人々が日常の礼拝に使うことができることや、そんな日常を支える重厚な歴史の存在に打ちのめされたのだ。町を普通に歩ける治安の良さ、言葉は通じなくても親切な人々、なにげない食材の美味しさももちろん、好ましかった。

わかりやすいところで、食事の話から始めよう。

アルメニアの食卓には、季節の変化に富んだ気候に育まれた真っ赤な完熟トマト、多種多様なハーブ類、そしてあっさりしたフレッシュチーズが並ぶ。焼きたてのラヴァシュという薄焼きパン(インドのナンを発酵させずに焼いたようなパン)に、豊富な野菜をはさんで頬張ると、香ばしいラヴァシュと、風味豊かなハーブ、甘いトマトの味が混ざり合い、堪らなく美味である。スパイスをつけて焼いたチキンやマトンのバーベキュー(トルコのケバブを、味付け軽めにしたもの)をはさんでも美味しい。肉料理を頼むと、つけあわせとしてジャガイモや玉ねぎを炒めたものが添えられるが、ただ炒めただけの野菜も、新鮮さのおかげか、ひとかけらも残したくない味だ。

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豊かなのは、食べ物の味だけではない。レストランも、小さなカフェの店員さんも、とても気が利く。チップ制でもないのに、適切に気遣いをしてくれる。英語ができるできないは人それぞれだが、タイミングよくオーダーを取りに来てくれるし、料理を気持ちよくサーブしてくれる。日本にいると当たり前のように感じるサービスだが、日本国外では必ずしも「当たり前」ではない……海外旅行したことがある人には分かってもらえるだろう。

アルメニアという国と民族、彼らの歴史、豊かな文化についてにも、軽く触れておきたい。アルメニアは「東欧」と認識されることが多いが、実際の位置はトルコの東隣なので、地理的にはむしろ中東にあたる。しかし、アルメニアは東欧として認識されることが多い。それはおそらく、アルメニアがキリスト教国であることの由来する。

アルメニアは、世界で初めてキリスト教を国教とした国だ。より正確にいうと「アルメニア正教会」を信仰する国だ。キリスト教がローマ・バチカン法皇によって取りまとめられる以前のキリスト教で、今も独自路線をとっている。非キリスト者がパッと見てわかるのは、教会の建築様式の違い程度。しかしアルメニア人にとってアルメニア正教会は大切なもので、誇りを抱く対象だ。日本人にとっての神道のようなもの、かもしれない。

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10日間の旅を共にしたガイド氏は、旅行中幾度も「キリスト教を宗教として認めないローマ帝国に対して、アルメニア人の聖グレゴリオス(?)が説教を行い、ローマ人を改心させたのだ」という話を自慢げに教えてくれた。西暦2〜3世紀ごろ、ローマ帝国がキリスト教を受け入れ、ローマ法皇を頂点とする教会制度がつくられていった。各地で受け入れられるために、少しずつ形を変えた「キリスト教」が広がっていく。そのいっぽうで、アルメニアではオリジナルの「キリスト教」が、そのままの形で信仰されている・・・それがアルメニア正教であると、ガイド氏は教えてくれた。

いっぽう、現在の「アルメニア共和国」という国家ができたのは、ソ連解体後の1991年、つい最近だ。ソ連に組み入れられる前は旧ロシア帝国の、さらにその前はオスマントルコというイスラム教の大帝国に統治されていた。オスマントルコでアルメニア人も暮らしていたが、後期に入るとアルメニア人とキリスト教に対しての弾圧が激しくなった。オスマントルコによるアルメニア人大虐殺などもあり、民族的に苦難の時代があった。それより前は・・・かなり複雑なので、興味がある方は「アルメニアの歴史」を見てほしい。さらっと年表を見るだけでも、ユーラシア大陸の真ん中で、ロシアと欧州と中東に挟まれた土地にある国の、存在の難しさを感じることができる。日本語文献は学術的なものしかない…と思ったら、2017年に一般書が出てた。読んでみよう。

アルメニアの教会は、古くに建てられたものが多いが、年月を経ても残る装飾が美しい。スペインやイタリアの教会のようなきらびやかさはないが、息を飲むほど美しい石の彫刻が特徴だ。「ハチュカル」と呼ばれる十字架の彫刻が、特に私の目を引いた。ハチュカルは、教会の壁や敷地内のタイル、墓石などに使われる。長辺1メートルほどのタイルであることが多いが、サイズやスタイルに決まりはない。1メートルより大きいものも、小さいものもある。アルメニアで採掘された石に、十字架をモチーフとした装飾を施している・・・という共通天はあるが、デザインは自由度が高く、「これも、これも、ハチュカル?」と思うほどバラエティ豊富だった。ハチュカルを眺めて回るだけでも、アルメニアを楽しく周遊できてしまう。

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アルメニアは豊かだ・・・ということを伝えたいだけなのだが、言葉を重ねていると、長くなってしまう。自分の文章力のなさもあり、いくら書いても、うまく伝わる気がしない。しかし、それでも、いくらでも言葉を重ねたくなるほどに、私は心を揺さぶられた。

アルメニアを旅した頃の私は、そのとき住んでいたシンガポールという国に、疲れていた。シンガポールは、20世紀半ばに建国された、赤道直下にある資本主義国だ。お金があれば大概のことは出来るが、歴史や文化や豊かな四季は、存在しない。日本やアルメニアと違って、はっきりとした資本主義なので、お金を払えば払ったぶんだけ人が働き、サービスしてもらえる。払った金額以上のものは、期待できない。いっぽう、外国人として「働くためのビザ」で滞在許可を得て、その国での存在を認められている私は、お金を稼がなければ、存在価値がない。とても明快で、合理的だ。

裏表がなく、合理的で、目指すものがハッキリしている。そういう明快さが、私は好きだった。でも、ずっとそれを続けたいのか? ビザを更新するために、ずっと右肩上がりに稼ぎを上げ続けていきたいのか? 常夏に疲れたらよその国を旅行すれば、それでいいのか? 考え始めると、よくわからなくなった。

よくわからないと、不安になる。ただでさえ、よりどころがない外国暮らし。怪我や病気をしたら、仕事がなくなったら、ビザが更新できなくなったら等々、様々な「たられば」を考えて、不安から目をそらすために、永住権の申請もした。あっさり落ちた。

そんなときに、なんとなく行き先を決めたアルメニア旅行で、お金では買えない豊かさを見た。資本主義的な豊かさを追求しなくても、幸せに生きることはできるのだと、ささやかれた気がした。心が揺れた。

アルメニアで10日間をともにしたガイド氏は、こんなことも話してくれた。

「私は昔、科学の研究をしていた。ソ連崩壊後、アメリカに(研究者として)来ないかと誘われた。でも自分は、ここに残ることを選んだ」

彼の言葉が、耳から離れなかった。私も自分の生まれ育った場所に帰りたいと思った。歴史や文化や四季がある日本に、帰りたいと思った。

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(写真:最後の一枚は2020年日本で撮影、食べ物はCreative Commons、他はすべて2014年アルメニアで撮影)

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