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京急の街「能見台」|旧兵器工場、現ニュータウン

年始、京急の駅、能見台を訪れた。

以下のnoteへいただいた、ひとつのコメントがきっかけだ。

スキ、ありがとうございます。
私は能見台で育ちました。
そして母と共に家を出ました。
京急線で育ちました、むしろ他の路線はほとんど知りませんでした。
JRを知って電車があんなに安定した運転をすることを初めて知りました、京急はカーブが多いしガタゴトと揺れ特有の匂いもしますから。

能見台は昔は谷津坂と呼ばれるほど坂でできた町です。住宅街ですが、駅周辺の谷間と線路を挟んだ向こう側、坂の上、町並みがガラリと変わる、そんな混沌とした町です。そこに生きる人たちの生活水準も違います、そんな町です。山の上の住宅街では空き巣がしょっちゅうありました。閑静な住宅街に、痴漢に注意の標識があちこちにある、そんな町です。
チラシには高級住宅地、なんて売り言葉が飛び交っていますが。

お気が向きましたら、どうぞ。

ありがたい。

こんな風に「この駅行ってみて」って言っていただけるのは、僕の知らない京急を知ることができるし、こうやって背中を押して行動につなげてくれる。なによりコミュニケーションがおもしろい。

ちなみに京急久里浜や京急大津もおすすめしてもらっているから、早く行かなきゃと思っている。

みなさんも、「ここに行ってみて」があればぜひコメントいただきたい。
詳しく書いてほど、僕は行ってみたくなると思う。

だってその人が感じたその街って、ググっても出てこないのだから。

旧兵器工場、現ニュータウン

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まずは基本的な情報をご紹介したい。

京浜急行電鉄本線の駅である。駅番号はKK48。旧駅名は「谷津坂」であったが、京急が周辺を住宅地として開発するに当たり、西部の丘の上にある江戸時代から知られた景勝地「能見堂」に因み改名された[1]。(wikipediaより)

一方で、京急は少し違う紹介の仕方をしていておもしろい。

当初は谷津坂という駅名でスタートしたが、昭和57年12月1日に現在の駅名に改称した。開業当時は付近に人家がほとんどなく、一般の人よりも軍需景気にフル操業していた大日本兵器産業富岡工場の従業員に利用されていた。終戦前には約1万人もの利用者があったとか。戦後はその工場もなくなり、駅を利用する人も激減したが、昭和30年頃から始まった富岡から能見台にかけての宅地開発によって人口も急増、現在のような橋上駅となった。そして、昭和57年には新駅舎も完成。富岡や能見台の京急ニュータウンは「ヨコハマの新しい山の手」として知られており、モダンな街づくりはさらに進行中。(京急電鉄HPより)

大日本兵器産業富岡工場。

すごい名前だ。

こちらのページによると、そもそも能見台駅自体がこの工場の工員通勤のために作られた臨時駅だったそうだ。

https://daddy99432you.wixsite.com/katuragishun/kawa135

このブログなんかは当時の様子が克明に記されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/pocomoka/diary/200508190000/

私の家は横浜だった。 勤労動員先の海軍航空技術廠のある追浜までは毎日現在の京浜急行(当時は湘南電鉄と言っていたと思う)で通っていた。定期代は国から出ていたのか、自己負担だったのか覚えていない。

追浜までの途中の富岡と金沢文庫の中間に「日本兵器」という軍需工場があって、そこへ行く乗客がものすごい人数、そこでその会社のまん前に駅が作られた。

その駅は「日本兵器前」という名前で戦後「谷津坂」という駅名に変わる。そこまでは毎日ギュウギュウ詰め、チビだった私は圧死するのではないかと何回も思ったことがある。

でも今はそんなものを微塵も感じさせない。

『京急ニュータウンは「ヨコハマの新しい山の手」』。
この言葉もまあまあ頷ける。まあまあと言ったのは、山の手というほどには高級には感じないから。
あそこはあそこで別格だ。

庶民の山の手とも言ったらよいか、そんなニュータウンがここ、能見台だと思う。

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駅前は京急らしい庶民派

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駅前には居酒屋や生活関連の店がある。といっても賑やかな商店街というほどではない。庶民派な店がちらほらと、という感じだ。

たぶん、この街の生活関連用品は少し南にあるイトーヨーカドーにすべて吸収されていることと思う。
かなりでかい店舗で、そのとなりにマンション群があるわけで。
生活の基盤がそっちになるのは仕方がない。

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コメントにいただいた話が気になる。

住宅街ですが、駅周辺の谷間と線路を挟んだ向こう側、坂の上、町並みがガラリと変わる、そんな混沌とした町です。

少し歩いたくらいでは正直全然わからない。普通の住宅街だ。
確かにニュータウン的なマンション郡や分譲住宅郡と、この商店街の光景は大きく違う。

ただ、それでもいたって平和で、その後線路の反対側や丘の上まで行ってみたりもしたが、僕にはのんびりとした時間しか感じることができなかった。

住むと違うのだろう。街の様子というのは少し触れたくらいではわからないのだ、とあらためて思った。

コメントをもらった人や、住んでいる人と一緒に散歩をしたら違うものが見えてくるかもしれない。

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店がこの街の歴史を語る

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混沌とした様子を見ることはできなかったが、代わりにいくつかのおもしろいお店を見つけた。

例えば上の写真。
駅前の坂をだいぶ上がったところに写真館がある。

七五三だろうか。いい表情。
こんなふうに誇らしげに思い出の写真を飾ること、最近はあまりないよな、と思った。
こういうものがいつも見える場所にあるって意外と大事だったりする。

他にも印象的な店をいくつか。

下は駅前の坂の途中にある裁縫道具屋である。

ここまで所狭しと糸や裁縫道具が揃っているところはそうないんじゃないか。好きな人が見たらかなりワクワクしそうだ。

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お店で作られたものだろうか。衣服も販売している。

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きっとこのおばあちゃんがこの店の歴史なのだろうと思う。
この店はきっと、このおばあちゃんの長年のコレクションだろう。

最後に一つ。
「ブティック」というやつだろうか。
ブティックという言葉を使ったことがないが、(女性用の)衣服・装身具などを売る小規模な専門店。

らしいから、あっている。

他にもちらほらと、なにかこだわりだとか、歴史を感じる店を発見した。

イトーヨーカドーに負けないように、頑張ってほしいと切に願う。

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