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京急の街「神武寺」|今もあなたは生きているか。

ある日曜日の朝。
快晴。
春の陽気が気持ちいい。

京急「神武寺駅」付近を散歩してきた。

神武寺駅について

神武寺駅は京浜急行電鉄逗子線の駅、KK52。
金沢八景、六浦、神武寺、逗子葉山。
この4駅が京急逗子線。
品川から46分。
海にも近い。

普通の駅とちょっと違う。
米軍用の改札があるのだ。
なぜなら、在日米軍の住宅施設、池子住宅地区があるから。

通常の改札を出れば、正直なにもない、郊外の駅だ。
この日はハイキングに向かう年配のグループが、楽しそうに準備をしていた。

池子住宅地区とは

池子住宅地区及び海軍補助施設(いけごじゅうたくちくおよびかいぐんほじょしせつ)は、神奈川県逗子市と横浜市金沢区にまたがる在日米軍施設である。
家族住宅(米軍住宅)や運動場が立地しており、アメリカ海軍の横須賀基地司令部が管理している。
住宅や運動場が建設される以前は、弾薬庫が立地しており、池子弾薬庫(いけごだんやくこ)という名称であった[2]。施設番号はFAC 3087である。
池子住宅地区には、高層住宅8棟528戸、低層住宅60棟326戸、合わせて854戸の住宅が立地している。各戸にはベッドルームが3部屋または4部屋ある。
これらには、米国軍人、軍属とそれらの家族合わせて約3,400人が入居している
wikipediaより

その他、さまざまなページでこの街のこと紹介されている。

池子住宅地区が現在の形になるまで、大まかにいうと

太平洋戦争時の日本軍弾薬庫
→アメリカ軍の弾薬庫
→住宅地区に再開発

ということだ。もう少し詳細にまとめると以下のようになると思う。

1900年 池子-六浦間に池子トンネル開通
1931年 湘南電気鉄道(後の京急の一部)神武寺仮駅が開業する
1937年 横須賀鎮守府による池子弾薬庫建設計画が公表される。
1938年 逗子市側に大日本帝国海軍の倉庫設置。弾薬庫として使用
1942年 横浜市金沢区側に海軍の毒ガス弾の製造工場が設置
1944年 弾薬庫建設地からの強制移住が完了。計55世帯。神武寺仮駅が現在地に移転。
1945年 アメリカ陸軍に接収され、上記設備はアメリカ陸軍の弾薬庫として使用
1947年 池子弾薬庫第三倉庫が爆発、7棟600tの火薬に引火。6名が負傷し、山林100ha焼失。翌日午前7時鎮火。
1952年 日本国との平和条約と日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)の発効.
    池子弾薬庫は連合国軍による接収施設から安保条約に基づく提供施設に移行し、引き続きアメリカ陸軍の管理下に置かれた
1972年 接収地の一部が返還され第一運動公園が開園
1973年 遊休地化していた弾薬庫への弾薬輸送が再開
1978年 池子弾薬庫が無人となる。逗子市議会、接収地全面返還要求決議を可決
1982年 池子米軍住宅建設計画が公表される。市民大会にて反対運動展開決議を採択。
1993年 池子米軍住宅建設着工
1998年 住宅全部(854戸)完成
2008年 米軍池子住宅敷地内に改札口(米海軍口)設置
2014年 地区南端の一部土地(約40ha)において「返還を前提とした日米共同使用」が開始される
2015年 池子の森自然公園が開園
2014年 第一運動公園再整備工事が終了

以下のサイトを参考にした。

https://tetsudo-ch.com/10157313.html

なお、2019年からは居住されている米軍の方とこの地域の日本人の交流イベントが催されたようだが、2020年にはコロナウイルスの影響でイベントが中止されている。

弾薬庫の跡を追って

第1運動公園。
ここも以前は弾薬庫だったらしい。
公園に入る。
なにか弾薬庫だった痕跡はないのだろうか。
と、駐車場や公園の垣根が気になる。
これはもしかして。

確証はない。
でもなにか大量の壁やコンクリートを砕かなければ、こんなものは出てこない。
たぶん、瓦礫を有効活用したのだろうと思う。

しかし、何も知らずに通り過ぎても弾薬庫だった、とは思わないだろう。
ただの美しい公園だ。

バスケをする少年たち。
丘の上でシャボン玉を追いかける金髪の幼児。
ミキハウスのCMを見てるのかと思った。

この公園には、京急の車両が展示されている。
なぜだろう。
京急の駅はたしかにある。
でもそこまで結びつきがあるかな。

池子住宅地区の方に向かう。
線路を渡るまでは、ごく普通の日本の住宅街だ。

弾薬庫の爆破事故。
米軍の住宅建設に対しての反対運動。
そんなことを経験している街には見えない。

池子住宅前から自然公園を歩く

西側に進む。

踏切を堺に景色が大きく変わる。

カメラを構えるのにも緊張する。
池子住宅の入り口には厳重なセキュリティ。

でも、警備員のお兄さんは気前が良さそうだ。

「この入り口、正面から、撮っても大丈夫ですかー?」
「んー、念の為、ご遠慮願いたいのですが・・・」

そうだよね。
念の為。

そのまま道を進むと自然公園側。
一本道を進む。
だだっ広い。
空も広い。

この空間の使い方、まるでアメリカ、という感じがする。

米軍関係者と思われる方がランニングをしている。

トンネルに入る。
涼しい。
石の冷たさ。
通り過ぎる空気。
暗闇。

ランニングの足音と英語の楽しそうな会話が響き渡る。

水の音がする。
トンネルのコンクリートの隙間から、水が噴射していた。
そこら中、水浸しだ。

トンネルの壁に不思議なものを見つけた。

手形だ。

しかもいくつも。
なかには名前まで横についているものも。
誰が、なんのためにつけたのだろうか。

この手形をつけた人物は今いくつだろう?
どこにいる?
何をしている?

生きてる?





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