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トレーナーを目指したきっかけは?

千葉県を中心に活動しているアスレティックトレーナーの蟹田です。
主にコンディショニングジム内で一般の方、アスリートを対象にコンディショニング指導を行いつつ、スポーツ現場でチームに対してコンディショニング指導を行っています。

noteを始めたのは良かったものの自己紹介だけ作成してそれっきり全く手を付けず、他の人の記事を見る専門になっていました…
かれこれ専門学校を卒業してトレーナー活動を始めてから10年ちょっと。
自己紹介で紹介しきれなかったこれまでの歩みや、日々のトレーナー活動を通して感じたことなどを月に3~4回程度記事にまとめていければと考えています。

きっかけは?

そもそも僕がトレーナーを目指そうと思ったきっかけは、高校3年生で部活を引退してこれからの進路をどうしようと悩んでいた時でした。
元々プロ野球選手になりたいという誰もが持つ夢を持っていましたが、高校からソフトボールを始めたこともあり、その夢も無くなりました。
「だったら選手じゃなくて別の形でプロ野球に関わりたい!」と思い、いろいろ調べた結果「トレーナー」という選択肢が出てきて、専門学校への入学を決めました。(受けた大学は全て落ちました…)
※一番は「スポーツに関わりたい」という思いがあったのと、「背広にネクタイで毎日会社に行く自分」が嫌だったからです)
ただ、正直この時はあまり細かいことは調べずざっくりと調べることしかしていなかったことと、早く進路を決めなければと焦っていたこともあり、
「どうすればプロ野球のトレーナーになれるのか?」
を全く調べていませんでした。

入学~AT試験


専門学校に入学後は、
「プロ野球で働くにはATが必要だ!」
「鍼灸師・あん摩・指圧マッサージ師が必要だ!」などの情報を得て、
いろいろ吟味した結果、まずは「AT取得」を決意しました。
※鍼灸師などの資格を取るためにはもう一度学校に行くというお金の面での高い壁がありました。
それから2年間という短い期間でしたが、AT取得に向けての勉強はもちろんですが、プロ野球のトレーナーとして働いていくためにもいろいろなスポーツは見ておいた方が良いという考えもあり、サッカー現場での活動もしていました。
同じような志でAT取得を目指していた仲間が挫折していく中、迎えた2年生の11月の試験の日。いろいろな方々にサポートしてもらい試験対策をしたこともあり「基礎」「応用」の問題は手応えありだったのですが、当時は最後に「小論文」というものが、これをクリアできなければ全てがパーになってしまうという当時は地獄の様な問題がありました。
※あんまり覚えていませんが、ある傷害についてのリハビリテーションの流れを3000字以上、5000字以内で書け。という内容だった気がします。
私が受験した時は女子バレーボール選手(高校生)の腰痛症に対するリハビリテーションだった記憶…
今年は「肩」か「腰」が出題される可能性がある!という先生たちの読みは当たりどちらも対策をしていたのですが、何を思ったのか勝手に「肩」を重点的に勉強してしまった私は指定の文字数を書くことが出来ず撃沈…
後日、もらった結果ももちろん「不合格」でした。

目標としていた「AT習得」が叶わなかったこともあり、「このままATが取れなかったら、鍼灸師の資格を取ろう!」と思った私は就職先として「鍼灸・整骨院」を選択しました。内定先の鍼灸・整骨院では資格サポートとして会社が学校に通う際の費用を負担してくれるということもあり決めました。
※もちろんその際の給料は他の方に比べて下がりますし、働き方も学校に行っている時間分は別で補填しながら働くという内容です。
「とりあえず3年はATにチャレンジしてダメだったら、ここで学校に通う!」という思いで初めての社会人生活が始まりました。

これから


結論から言うと無事に翌年にAT試験に合格することができて、ここで鍼灸師の資格を取ることは無かったのですが、初めて就職先で右も左も分からず、また社会人としてあり得ないくらい常識のなかった私でしたが、周りの支えもありそれなりの社会人として転職をして今の職場に落ち着きます。
今でも思いますが最初に就職した会社がここで良かったとは本気で思っています。
鍼灸・整骨院時代の話は、またの機会にしたいと思います。


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