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自己紹介~これまでの歩み~

皆さん、はじめまして。

アスレティックトレーナーの【蟹田亮人】です。

これまでの自分の生い立ちや、歩みをまとめて自己紹介をしたいと思います。少しでも興味を持って私という人間を知ってもらえればと思います。

蟹田亮人(Kanita Akito)
1990年6月23日生まれ 千葉県千葉市出身
【出身校】千葉敬愛高校ー千葉リゾート&スポーツ専門学校
【保有資格】JSPO-AT/NASM-PES/FMS Level 1&2/SFMA Level 1
【好きな言葉】自信は努力から Dream comes true

小さい頃は誰でも夢見る「プロ野球選手」を目指して野球にのめり込んでいました。高校入学時には野球部ではなく「男子ソフトボール部」へ入部。

全国屈指の強豪校でインターハイ優勝選抜大会優勝国体優勝など輝かしい成績を残し、日本代表選手を多数輩出しています。

私が3年生の時には「関東大会優勝」「インターハイベスト8」「国体優勝」など良い成績を収めることが出来ました。

しかし、自分自身の実力としては大学、社会人では通用しないだろうという思い込みから上のレベルで続けることを断念し、「スポーツに関わる仕事」をするという漠然として目標を掲げ専門学校へ入学しました。

選手としてのプロ野球が無理なのであれば、別の形でプロ野球に関わろう!という学生らしい考えで資格取得のために猛勉強をしました。

【専門学生時代】

専門学校へ入学してからはとにかく誰よりも勉強をした記憶があります。現場実習も先生にお願いをして多数行かせてもらいました。ただ、この時は学生トレーナーとして部活動を中心に行かせてもらったのですが、大学、社会人などもう少し上のカテゴリーでラグビーやアメフトなどのコリジョンスポーツを見ていればもっと良かったな。とも感じています。

2年間必死で勉強をしましたが、日本体育協会(現日本スポーツ協会)公認アスレティックトレーナー(AT)の資格は取得することが出来ず、翌年に持ち越しとなってしまい、高校受験、大学受験を失敗してきた自分としては3度目の挫折を味わいます。

【社会人:整骨院編】

一番最初に就職したのは群馬県にある整骨院でした。

理由はいずれ鍼灸師の資格を取得するためでした。結果的には鍼灸師の資格は取得しなかったのですが。

東日本大震災のタイミングと重なりバタバタしながら新入社員研修や引っ越し手続きをした記憶があります。

そこの整骨院は1日300名程来院する地元では有名な整骨院でした。ここでの経験がAT取得にプラスに働いたのと、自分のトレーナーとしてのスキルをかなり上げてくれました。そして、「コンディショニング」の重要性をはっきりと理解させてくれ、今後の自分のやりたいことをより明確にしてくれました。

整骨院で勤務をしながら無事にATを取得することができ、たくさんの患者さんの治療に入る機会が増えてから、治療後のリハビリ指導をする中で「正しく動けていない」人が多いことに気付きました。

せっかく治療で良くなったのに、変な動きを繰り返してしまっていては同じように痛みを発生させてしまいます。

結局、【大事なことは再発させないための運動指導】ということに気付き、整骨院ではそこまで介入しきれないというジレンマと自分自身の知識・スキルの乏しさを感じ、「治療と運動の融合」「運動指導スキルの獲得」を行える場所で自分を磨き直そうと思い転職を決断しました。

【社会人:タチリュウジム編】

転職活動は5社くらい履歴書を送った記憶があります。

どれも連絡来ず、最後に送ったのが今の勤め先の「タチリュウコンディショニングジム」でした。東京に新店が出来るためのそれのオープニングスタッフの募集でした。

実は私は学生の時に習志野店オープンの際に求人が出ていたのに応募をしたのですが、書類選考で落選していました。就職活動では珍しいであろう2度目の応募。あまり深いことは考えず「ここなら自分のやりたいことができるだろう」と思って応募をしました。

無事に書類選考も通過し、面接試験も通過し内定をもらい2013年3月よりタチリュウコンディショニングジムでの勤務が開始しました。

東京瑞江店→千葉習志野店→大阪熊取店と3つの店舗に勤務するという貴重な経験をさせていただき今に至ります。


ということで私のこれまでの歩みを簡単にお話させていただきました。

細かいことを書いていけばキリがないので、少しずつ小出しにしながら紹介できればと思います。

こんな私ですがこれから宜しくお願いします。

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