江戸の川柳九篇① 女客亭主愛想に二人抱き 柄井川柳の誹風柳多留
夫婦を詠んだ川柳は、江戸時代にも多くあった。江戸時代の川柳を古川柳という。
江戸時代に柄井川柳(1718~1790)が選んだ川柳を集めた「誹風柳多留九篇」の紹介、全5回の①。
題材(七七の前句)にあわせて五七五の川柳を創り、それを一般人が応募したものが古川柳だった。
読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句をつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。
女客亭主愛想に二人抱き
113 女きやくてい主あいそに二人だき くたびれにけりくたびれにけり
女の客が子どもを連れてやってきた。亭主は愛想をふりまき、自分の子どもと客の子どもの二人を抱いてあやしている。男というものは、ついつい調子にのってしまう。そして疲れてしまう(くたびれにけり)。
「くたびれるものな~に?」と七七で出題されて五七五で答えたもの。名もなき作者は、自分自身の姿を句の中に見ていたのかもわからない。こんな夫婦の江戸の町での日常生活を五七五にしている。
あくせくと塗っても後家は拭いて出る
149 あくせくとぬつても後家はふいて出る ゆかしかりけりゆかしかりけり
亭主に先立たれた後家は、あくせくと顔を塗りまくっても(化粧しても)、外出のときは化粧を落として行く。おしゃれして外出すると、「誰と会うのだろう」と近所のうわさになるからだ。それを奥ゆかしい(ゆかしかりけり)と言っているのだろう。
せっかくの化粧落として外出だ
地味な服着て目立たぬように
十三日ふだんの顔は不精者
50 十三日ふだんの顔はぶしやうもの 調法な事調法な事
十二月十三日は、すすはらいの日。年末大掃除の日だ。今は大掃除なんてしない家も多いけど、昔はどこの家もすすはらいをしていた。年末に「十三日」といえばすすはらいだと誰でもわかる。
掃除をして顔がほこりで黒くなっている中で、全然汚れていないふだんのままの顔でいるのは、掃除もしない不精者だろう。
そういうふうに周りから見られるのは、うっとうしい部分もあるが、バカなことをしないための歯止めともなっていた。
幸村は生きる気でない紋所
365 幸村は生きる気でない紋どころ はり合にけりはり合にけり
源義経や真田幸村という悲劇の武将を江戸の人々はよく知っていた。歴史の勉強をしているのではなく、当時のお芝居や物語で知っていたのだ。
大坂夏の陣で亡くなった幸村の旗印は六文銭。丸が六つならんだ旗印だ。そして、あの世へ行って、三途の川を渡るときの渡し賃が六文だと言われている。だから幸村は、はじめから死ぬ覚悟で戦ったのだろうと詠んだ句。
六文銭三途の川の渡し賃
死出の真田も六文の旗
古川柳は、職業作家ではない一般庶民の作品がほとんど。だから作者名もわからない。そんな名もなき作者が後世に残る作品を創っている。
我々も、一生にひとつくらいは川柳の傑作を作ることができるかもわからない。そのためにも、温故知新で昔の作品を見ていきたい。
次回へつづく
「誹風柳多留」のまとめはこちら、
江戸の町で創られた狂歌は、
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